2020年12月09日
カレル・チャペクの戯曲番外(十二月六日)
チャペクの戯曲の話だとは言っても、まだ読んだことがない『母』とか、『白い病気』を読んだというわけではない。『白い病気』は最近日本語訳が相次いで刊行されたはずだから、読むべきは今だと言えなくもないのだけど、チェコにいると読む以前に買えないのである。いや、hontoで買えばチェコまで送ってくれるだろうけど、緊急事態宣言が発令されて外出に制限がかかっている中、郵便局に荷物を取りに行く気にはなれない。
それに戯曲は読むの苦手だし。ということで見ることにした。以前チェコテレビで放送されたチャペクの戯曲『母』と『白い病気』が映像化されたものを、録画するだけして見ていないものがあるのだ。『白い病気』は以前も存在だけ紹介した、フゴ・ハースが監督主演を務めた映画だが、『母』のほうは、映画ではなく1985年に国民劇場で上演されたときの映像である。
まずは、土曜日の昼食時に「母」を見た。食事しながらで、その後皿を洗ったりコーヒーを入れたりしたので、最初から最後まで集中して見たわけではないが、なかなか見ごたえのある作品だった。出演者達もほぼみんなビロード革命後も役者として仕事を続けていて、どこかで見たことがあるという人たちばかりだったし。
ストーリーは、どこかで読んだ「反戦、反ファシズム」という面もないわけではないけれども、一面的なものではなく、むしろ、子供を守ろうとする母親としての女性の論理と、自分にしかできないことだという理由で命を懸けてしまう男性の論理のぶつかり合いが中心になっているようにも見えた。男性の考え方を英雄願望なんて言葉でも表現していたような気がする。
登場人物は、母親である女性と、その夫、五人の子供たち、それに父親の八人。劇が始まる時点で夫と長男、次男、父親の四人はすでに死んでいるようである。生きている人物だけが登場する場面、すでに死んだ人物だけが登場する場面、そして母親と死んだ人物が登場する場面が、頻繁に入れ替わりながら進行して行く。
夫は軍人で戦争中に自ら最も危険な任務に赴き戦死、長男は医者で死亡率の高い伝染病の研究中に命を落とし、次男は航空技師で自ら設計した飛行機の飛行中に墜落死だったかな。いずれも自分の使命と信じる仕事について、危険な自分にしかできないことをしようとして命を落としたということになる。最初の場面では生きている三男はチェスに夢中で、四男は狩猟が趣味なのか銃を持ち歩いている。
ただ一人、末っ子だけが、特に夢中になることもなく、母親も兄たちもこの子だけは他の子供たちとは違うと考えている。言い換えれば、未だ母親の庇護の元で子供であり続けているといってもいいのだろうか。そんな状況で話は始まり、死者たちと母親との会話で、それぞれの亡くなった事情が明らかになるのだが、男たちが「母さんにはわからないんだ」などと自ら死地に赴いたことを言い訳すると、母親は「男はいつもそうだ。都合が悪くなると、女にはわからないと言う」と批判する。
そして、この家族の暮らす国で内乱が発生する。細切れに見ていたので、よくわからなかったのだけど、他国に占領されていてそれに対して市民が蜂起したという話だったかもしれない。とにかくその蜂起に参加して三男も四男もはかなくなってしまう。その結果、末っ子も戦いに向かうことを求めるのだが、母親は拒否する。亡くなった夫や、子供たち、いつの間にか現れていた父親から、末っ子ももう大人なんだから本人の意思を尊重して、戦いに行かせてやれといわれてもかたくなに拒否する。
私には末っ子以外には何も残っていないのだから、取り上げないでほしいという母親の叫びは痛切に響き、男たちも諦めたように見えたところで、自体は急変する。戦闘の様子を伝えるラジオが、町のどこか、病院だったかなで、敵軍が80人もの子供たちを虐殺したというニュースを伝えた瞬間、母親は豹変して、末っ子に隠していた銃を与えて戦いへと送り出すのである。
演劇は、何を言っているかわからず、見てもつまらないと思うことが多いのだが、この「母」は台詞も聞き取りやすく、途中で何度も席を外したけど、最後まで面白く見ることができた。この内容を知っているという強みを基に読めば、苦手な戯曲も読み通せるかななんてことも考えたけど、「母」の収録された『チャペック戯曲全集』は、電子化してないんだよなあ。
2020年12月7日10時。
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