2016年06月20日
チェコ代表の憂鬱(六月十七日)
月曜日の試合は午後三時からというはた迷惑な時間の開始だったが、本日の試合は午後六時からというまともな開始時間だったので、最初から見られるはずだった。それなのに仕事がちょっと長引いて帰ってきたときには、前半も半分を過ぎたところだった。正直な話、間に合わなかったことを後悔する気持ちにはなれなかった。
相手を警戒するあまりずるずる下がって、パスをいいようにつながれ、反対にこちらのパスは勢いが弱すぎたり、トラップミスしたりで、あっさりとボールを奪われることが多すぎた。典型的な悪いときのチェコ代表の姿だった。モドリッチを中心としたクロアチアのできがよかったというのあるのだろうけど、チェコ代表のプレーはひどかった。
初めてのEUROという選手たちも、初戦を終えて過度の緊張も取れて大会の雰囲気に飲まれるなんてこともなくなっているはずである。いや、そもそも初戦のスペイン戦の戦い方を間違えたのが、このクロアチア戦にまで悪い影響を及ぼしているのかもしれない。
月曜日の試合のあと、日本のネット上では、チェコ大健闘も力尽くみたいな論調の記事をいくつか見かけたが、違和感ばかりで賛同はしかねた。結果は終盤に一点取られて完封負け。チェコが点を取れていない以上、完敗であって惜敗とは言えない。このチームはチェフのスーパーセーブの連発があっても、相手を0に抑えることなどできないチームである。1−1、2−2の引き分けはありえても、0−0の引き分けはありえない。勝ちに行くにしろ、引き分けを狙うにしろ、点を取りに行くしかなかったはずなのである。
0−1で負けても、0−5で負けても、同じ一敗に過ぎないのだから、開き直って一点取りに行ってほしかったなあ。0−1で負けるぐらいなら、1−5とかで負けたほうが、まだ次に期待が持てたような気がする。この辺もグループ三位でも上に進める可能性のある奇妙なシステムの弊害かもしれない。ブルバ監督がこの手の大きな大会で識を取るのが初めてというのも、影響があるかな。
チェコのマスコミでは、露骨な引き分け狙いの守備的な戦術がかなり批判されていた。負けるのは想定済みなのだから、同じ負けは負けでも次につながるような負けを期待していたということなのだろう。正直何点取られてもいいから、全力で一点取りに行ってほしかった。
スペイン戦の試合の内容も把握しないまま、そんなことを考えていたら、クロアチア代表のキャプテンスルナ選手が、父親が亡くなったために、チームを一時離脱して帰国するが、チェコとの試合までには復帰する予定というニュースが流れた。これは父親の死を乗り越えてスルナ選手が大活躍してクロアチアが勝つパターンかなと、嫌な予感がした。チームのキャプテンがこの状態だったら、チームの団結力も一段階上がるだろうし。
実際試合でも、怪我上がりのロシツキーはモドリッチに対抗できていなかったし、期待の若手カデジャーベクも、クレイチーもいつのも若さに任せた大胆なプレーからは程遠かった。そして、ユーロ出場経験もあるベテラン達のできも、四回目の出場のプラシルやチェフを含めていまいちだった。前半を見ている限りでは、どうあがいても引き分けすら無理そうだった。35分過ぎに例によってしょうもない形で失点したときには、もう負けは決まったから後半は見るのはやめようとも思ったのだが、ブルバのチームは、後半になると別のチームのように活性化することが多いのを思い出して、改めてテレビの前に座った。
後半の開始直後は、前半とは違って、積極的に前に出ようとする姿勢が見えて、どうして試合の最初からこれやらないんだろうといつもの感想を抱いてしまった。それほど相手を崩せていたわけではないけど、これを続けていればいつかは点が取れるんじゃないかという期待を持って見ていたら、チェフとフブニークのミスが重なって失点。
ここからしばらくクロアチアペースになって、諦めかけていたら、中盤に君臨していたモドリッチが負傷で交代、それからしばらくしてチェコ側もほとんど機能していなかったラファタとスカラークに代えて、シュコダとシュラルを投入。この三つの交代で流れが完全にチェコに移った。ロシツキーの全盛期を彷彿させるアウトサイドでのパスからシュコダが頭で決めて、一点差。
しかしモドリッチが怪我をせずに残っていたら、シュコダとシュラルの投入があっても、おそらくチェコはあのまま負けていただろう。見ていると、かつての輝いていたころのロシツキーを思い出し、怪我さえなければと嘆いてしまうほどに、モドリッチは存在感のある選手だった。
クロアチアの不運はこれで終わらない。クロアチアのファンが試合終盤に発炎筒を投げ込むという愚行を繰り広げたのだ。処理に当たっていた消防士のすぐそばで爆発が起こり消防士が倒れてしまうというショッキングなシーンを目にして、ヨーロッパのサッカーの抱える問題の深さに暗澹たる気分になる。ハンドボールの闇は審判と運営組織にあるが、サッカーのそれはファンと称する連中にあるのである。
今回の愚行を犯したクロアチア人たちは、ハイドゥク・スプリトというチームのファンたちで、クロアチアのサッカー協会との間に問題を抱えていたらしい。しかも、事前に会場となるサンテティエンヌのファンが、スプリトのファンに協力して爆発物を会場に持ち込ませようとしているという情報もあったというのだ。入場の際にスプリトファンをはじき出して、入場禁止にしておけばよかったのにと思うのは変なことだろうか。サッカーを見るためではなく、他のことのために来ている連中をスタジアムに入れる謂われはないはずだ。
ロシア人とイングランド人たちの所業も考え合わせると、たかだかネット上で人種差別的な発言を書き込んでしまったことが大問題になる日本のサッカー界は幸せな場所なのだと思う。Jリーグをはじめとする日本サッカー関係者には、今後もこの手の問題には厳罰を科して、再発を防止するとともに、チームを応援するためなら、チーム応援の名目であれば何をしてもかまわないという、ヨーロッパにはびこる誤った考えが、日本に流入しないようにしてほしいと心の底から願う。
正直な話、ロシアとイングランド、それからこの日のクロアチアには、今大会からの追放と、次のユーロへの参加資格の剥奪、このぐらいしないと、いつもの罰金では何の効果もないと思う。愚行を繰り返す自称ファンたちを、その国の一般のファンも含めたサッカー界が許せなくなるような状況を作ってやらない限り、この手の自称ファンが消えることはない。発炎筒を投げ込んだ以外は、暴動を起こした以外はいい応援だったとか、ファンだったとか言っていたら、永遠にこのままである。政治的な事情も絡むので、大会からの追放がむりなら、最低でも没収試合にして、勝ち点剥奪とかやれよ。たぶん、犯罪者個人の自由とか、人権とか、プライバシーなんかを過度に重視するヨーロッパでは、一般の観客が安全に試合を見る権利を侵害されても、屁とも思わないのだろう。
試合のほうは、自国ファンの愚行に呆然となったクロアチア選手たちが、試合再開後プレーに精彩を欠き、チェコがネツィットのPKで同点に追いついてそのまま引き分けに終わった。しかし、結果なんかどうでもいい。今回の発炎筒事件に関った連中を、クロアチア人もフランス人も、すべて特定して、全員逮捕して死ぬまで強制労働させろ、もしくは強制的に義勇軍を組織させて世界中の戦闘地域の最前線に送り込め。と叫んでしまうほどに、怒りで一杯である。
ロシツキーが、我らがロシツキーさまが、再び怪我をして、交代枠を使い切っていたので、試合の最期は、ふらふらと歩きまわることしかできなかったのだ。筋肉の怪我で今後数週間はサッカーなどできないらしい。これでロシツキーの最後のヨーロッパ選手権は終わってしまった。原因は発炎筒投入で試合が中断したせいで、筋肉が冷えてしまったことである。中断がなければ、試合には負けたかもしれないが、ロシツキーは無事だったはずである。チェコ政府が外交問題にして、実行犯の引渡しをクロアチア政府に求めたりしないかな。それぐらいチェコにとっては痛恨の出来事なのだ。ロシツキーの怪我には慣れてしまったという面もないわけではないけど。
中断中や試合後のクロアチア選手の表情、試合後のコメントを見ると、一番の被害者は彼らだったのだろう。応援すべきチームに、迷惑をかける、いや損害を与えてしまうファンなんて、いないほうがましだ。
6月19日11時。
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