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2020年11月01日

チェコの童話1(十月廿九日)



 国会図書館のオンライン目録で、チェコスロバキアを表す言葉の用例を探していたら、思わぬ発見があった。「靴と指環」というチェコの童話が、すでに1924年に日本語に翻訳され、童話集に収録されていたのだ。1924年といえば、チャペクの作品の最初の日本語訳『人造人間』が刊行されたのが1923年だから、その翌年、現在確認できている中では二番目に古いチェコの作品の日本語訳ということになる。もちろん「チェコ童話」とは書かれておらず、「チエツク童話」とされている。

 この童話が収録されたのは『世界童話名作選集 少年詩人の旅』(日本評論社)という本で、ヨーロッパを中心に9カ国、全15編の童話が日本語に翻訳されて収録されている。アジアからは中国ではなくて、「支那童話」が1編だけ。イギリスとスコットランドが別にされているのが興味を引くが、イギリスが4編、スコットランドが3編とこの二つ、つまりはイギリスだけで全体の約半分を占めている。残りはドイル2、フランス、ベルギー、ロシア、ハンガリー、それにチェコが1編ずつという構成である。
 訳者はプロレタリア文学の評論家だった山内房吉。どのような事情でこれらの作品が選ばれたのかは、「はしがき」にも書かれていないので不明。チェコの童話「靴と指環」は、この時期にチェコ語から翻訳できる人がいたとは思えないので、恐らくは英語かドイツ語、もしくはロシア語版からの重訳であろう。本の構成がイギリス物に偏っていることを考えると、英語版のネタ本があったようにも思われる。

 さて、著作権処理も終えてインターネット公開されているから、全文引用しても問題なかろうとも思ったのだが、いざ始めてみると思った以上に厄介で、あらすじを紹介するにとどめる。中途半端な歴史的仮名遣いで書かれているのがいけない。自分で歴史的仮名遣いで文章を書こうとは思わないけど、歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに直すのはしたくない。

 主人公は鍛冶屋の息子のハインクで、年老いた両親を残して、自分に合った仕事を探すために旅に出る。二日目に、父親の遺した三つのものを巡って争う三人の兄弟と出会う。一つは履くと「一足で十里も行く」ことが出来る靴、二つ目は着るとどんな遠いところにもどんな高い場所にも飛んでいける外套、最後は被ると姿が見えなくなる帽子だった。ハインクは三人を仲裁するといって三つのものを預ってトンずらする。
 外套を着て空を飛んで休憩のために降りた場所で、切株の下に大きな洞穴があるのに気づく。その洞穴に入っていくと、人は誰も居ないが、御馳走がおいてあったので、食べてしまった。そうすると老婆が出てきて、この洞穴に泊めてもらうことになる。三晩続けてハインクが幽霊の出てくる試練を乗り越えると、老婆はこれで魔法の国が助かったという。
 魔法の国の王女が出てきて、ハインクに自分とともに国の跡継ぎとなるように求めて金の指輪を渡す。そして二人は洞穴を出て魔法の国の王様の城に向かい滞在する。あるときハインクは両親のことを思い出し、王女との結婚式に招待したいと思うようになる。王女は金の指輪が、指の上で一回まわすとどんな遠いところにでも1分で行けることを教えて、迎えに行くように勧める。
 しかし、ハインクはその途中で金の指輪をなくしてしまう。魔法の国にも両親のところにも戻れなくなったハインクは、魔法の外套を使って太陽と月と風のもとを訪れ、最後は風の助けで魔法の国に戻ってくることに成功する。それは魔法の国で王女の結婚式が行われようとしているときだった。結局ハインクの代わりに婿となる予定だった男の勧めもあって、王女はハインクと結婚する。
 二人でハインクの両親を訪ねて、魔法の国の宮殿に迎え入れ、途中で三人の兄弟に盗んだ靴と外套と帽子を返す。最後はまだ二人が生きているなら、魔法の国で幸福に暮らしているだろうという形で終わる。

 チェコの童話をそれほどたくさん知っているわけではなく、この童話の原典がチェコのどの作品なのもわからなかった。それで知り合いに調査の協力をお願いしたら、あっさり答がわかってしまった。モラビアの民話や民謡を収集して刊行していた民俗学者(と呼びたい)のベネシュ・メトット・クルダの「Boty, plášť, klobouk a prsten」という民話だろうというのである。チェコ語の題名を直訳すると「靴と外套と帽子と指輪」ということになり、民話に登場するものが並べられている。邦題は最初と最後の二つをとったと考えればよさそうだ。
 クルダは1820年に生まれ1903年に亡くなっているが、カトリックの教会の司祭として活動する傍らで、モラビア各地の民話を集めて書物としてまとめて刊行したようだ。チェコ語版のウィキペディアには『Moravské národní pohádky, pověsti, obyčeje a pověry』という1874年に刊行された大部の本の書名が上がっているが、協力してくれた知人の話では、『Valašské pohádky』という本で読んだというので、モラビア全体の民話集の中から、バラシュスコ地方の民話だけを抜き出して刊行した版も存在したのかもしれない。

 ドイツのグリム兄弟の影響を受けて、チェコで民話を収集してまとめたり、再話したりして刊行した人物というと、まずエルベンの名前が浮かび、それにニェムツォバーが続くのだが、二人とも語へミアが中心である。モラビアにはこのクルダがいたというなのだろうが、今までその存在を知らなかった。恐らくモラビアの一地方の民話をもとにして書かれた童話が、チェコスロバキア独立から数年で日本語に翻訳されて紹介されたというのは、それが他言語版からの重訳だったとしても、信じ難い思いがする。あれ、モラビアの童話に「チエツク童話」とつけられているのはどういうことなんだろう。チェコスロバキアの童話というのを短縮しただけかな。
2020年10月30日16時。












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