2020年10月31日
百二回目の建国記念日(十月廿八日)
チェコスロバキアが独立したのは、第一次世界大戦直後の1918年のことだった。ただ、独立したといっても当時のチェコの人たちがどこまで実感を持って受け止められたのかは、いささか心もとない。戦争が発生した時点ではオーストリアの一部だったチェコスロバキアは、マサリク大統領たちの国外での活動によって、最終的には戦勝国側に立ったとはいえ、本来は敗戦国で、国土は荒廃し、食料などさまざまな物資の欠乏に悩まされていたという。1918年からの二年は、世界をスペイン風邪の流行が席巻した時代である。現在とは違って医療技術も保険制度も整っていなかったから、感染した場合にしにいたる危険度ははるかに高かったはずだ。
そして、独立は決まったものの、ポーランド、ハンガリーとの国境が完全に確定しておらず、ポーランドとはチェシーン地方を巡る紛争、いわゆる七日間戦争をおこしているし、ハンガリーとも何度か軍事的な衝突が起こっていたはずである。建国されたチェコスロバキアの国境がほぼ確定するのは1920年になってからのことだったと記憶する。その一方で、チェコスロバキアに取り込まれることがほぼ確定していたドイツ系の住民が、不満を高めていた。国際的にも国内的にも情勢は不穏だったのである。
さらに、独立の立役者のマサリク大統領も、スロバキアの英雄シュテファーニクも国外から帰国しておらず、主役を欠いた独立の祝典が、どれだけ盛り上がったのだろうか。マサリク大統領のお国入り、つまり独立を達成して初めて帰国し、鉄道でプラハに到着したときの様子は、一昨日紹介したマサリク大統領の伝記にも記されているが、ある意味で、このマサリク大統領のプラハと帰還が、建国時の最大のイベントだったのではないかとも思われる。
何故こんなことを考えるかというと、今年の建国記念日が、例年とはまったく違って、チェコ各地で行われる式典のほとんどが中止に追い込まれた結果、非常にさびしいものになってしまったからである。大きなものでは、プラハ城前の広場で行なわれる軍の新人の入隊式典も、城内で行われる大統領による勲章授与の式典も、特に後者はゼマン大統領が最後まで実施しようと頑張っていたが、最終的には政府の勧告を受け入れて中止されることになった。この勧告が厚生大臣としてのプリムラ氏の最後の仕事だったのかもしれない。
中止された授与式の代わりに、ゼマン大統領はテレビで演説をしたのだが、受勲予定者とその家族に対して、式典を中止せざるをえなかったことを謝っていた。ただ、勲章を授与されるような功績を挙げた人は、高齢者であることが多いから、式典が開催されていたとしても、出席できない人もかなりの数に上ったに違いない。その家族も感染させる危険性を考えて出席を回避する可能性も高いし、関係者の中にも開催を望まない人が多かったに違いない。
今年の受勲対象者については、名前を発表するだけで、実際の授与式典は来年、来年の分の受勲者と同時に開催されることが決まった。その名簿の発表がまた、物議を醸した。ネット上で名簿を公開しただけで、報道機関の中にはその名簿を入手しようとして大統領府の広報部門に連絡したのに、拒否されたなんてところもあるらしい。個人的には、ゼマン大統領の演説の代わりに、テレビで名前と業績を紹介すればよかったのに。最近のゼマン大統領の話って、同じことの繰り返しばかりで聞いていても全く面白くないのである。
毎年の建国記念日のイベント、勲章の授与式を楽しみにしているなどという気はないが、最近規制ばかりで息が詰まる。スポーツにしても式典にしても、何かのイベントがどこかで行なわれているという事実が、参加しなくてもニュースで目にすることで、精神的な安定をもたらし、安寧な生活を送らせてくれるということに改めて気づかされた。
来年は、無事に建国記念日の式典が、授与式だけでなく、チェコ各地で行われる小さな式典も含めて問題なく開催されることを願っておく。スペイン風邪の流行が二年続いたことを考えると、来年はまだ難しいかなあ。ワクチンに期待とは言っても、そんなに短期間に作れるものでも、作っていいものでもないから、再来年ということになるかもしれない。
2020年10月29日23時。
どう決着をつければいいのかわからないレベルで大失敗。うーん。
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