2020年10月27日
ボヘミアの研究(十月廿四日)
武漢風邪の話ばかりだと気がめいるので、久しぶりに国会図書館のオンライン目録を使った調査の結果をまとめておこう。1918年にチェコスロバキアが独立する前は、現在のチェコ共和国全体を一語で表す言葉がなかったため、例外的に民族を表す言葉として「チェック」民族が出てくることはあっても、原則として現在までつながる地域名でしか登場しない。
チェコの西側のプラハを中心とする地域は、チェコ語では「チェヒ」と呼ばれるが、日本語では英語起源の「ボヘミア」という言葉で呼ばれる。問題はその「チェヒ」が、「チェコ」の語源に当たることで、チェコ語でも本来「チェヒ」から出来た形容詞「チェスキー」が、地名を指す場合でも「チェヒの」、つまりは「ボヘミアの」という意味になることもあれば、現在の「チェコの」という意味になることもある。まあ、地名の「チェヒ」と民族名の「チェシ(単数はチェフ)」のどちらが先かという問題はあるのだけど。
とまれ、今回はボヘミアを指す言葉が、いつごろから日本の印刷物に現れ始めたのかを調べてみることにしたのである。ただし、例によって、本文検索は出来ないので、雑誌の記事名か、単行本の章の名称に登場している場合しか発見できないのだけど。英語期限の「ボヘミア」「ボヘミヤ」に加えて、ドイツ語起源の「ベーメン」なども検索の対象とした。誤記もありうると考えて、あれこれバリエーションを交えて検索したが、落しがある可能性はある。
最初の例は、19世紀後半、1986年にまでさかのぼる。東京教育社が刊行していた「教育報知」という雑誌のこの年の6月号(通巻第28号)に、「ヘ育報知墺國ボヘミア小學ヘ育博覽會に出づ」という報告記事が載っている。「墺國」はオーストリアを指すのだが、開催地はプラハだったのだろうか。現在ではこの手の博覧会、国際展示会の開催地というとブルノが真っ先に思い浮かぶのだが、ブルノはモラビアである。
二つ目の例は、十年ちょっとたった1898年のもので、ドイツ語起源の「ベーメン」という表記が使われている。「大日本山林会報」という林学の雑誌の同年4月号(通巻第184号)に、「ベーメン國シエレバッハ市樂器製造用木材」(地名につけられた「」は省略)という中堀幾三カの記事が掲載されている。問題は、ドイツ語をカタカナ表記したものと思しい「シエレバッハ」が指すチェコの地名がわからないことである。雑誌についても著者についてもよくわからないのだけど。「大日本山林会報」には後にモラビアとシレジアも登場するのだが、それは後のお楽しみである。
三例目と四例目は、チェコスロバキアのときにも何度か登場した「外交時報」の記事である。まず1902年11月20日付けの第58号に、「歐羅巴とボヘミヤ」という記事が載り、翌年3月20日付けの第62号には「ボヘミヤの國語問題」という記事が載せられている。後者はドイツ語とチェコ語の使用者の混在を取り上げたものであろうか。注目すべきは、初例の「教育報知」が「ボヘミア」という今日と同じ表記を使っていたのが、「ボヘミヤ」という表記に変わっていることである。
五例目は、1905年1月の「通商月報」第95号に掲載された「ボヘミヤの陶磁器及玻璃工業」になる。ボヘミアの陶器というとカルロビ・バリなどの温泉地で温泉水を飲むために使っている特殊な吸い口のついたものを思い浮かべてしまうのだが、どうなのだろう。この雑誌は大阪の「府立大阪商品陳列所」が刊行していたものである。実際に展示されたものをまとめた雑誌なのだろうか。
続いて久津見蕨村『無政府主義』(平民書房、1906)という出版社名からしてあれな本に「ボヘミヤの無政府主義」という章が立てられている。単行本なのでオンライン公開されているのだが、抽象的な記述で章自体も短く、ボヘミアで起こったどの運動を指しているのかさっぱりわからない。フス派の運動は無政府主義とみなせるのかなあ? 共産党政権がプロパガンダに活用できたということは、共産主義的な部分がなくはなかったと言うことだから、無政府主義に近いともいえるか。
以上が1910年以前に登場するボヘミアである。以後音楽や美術の概説書などの一章としてボヘミアが立てられることが増えていく。それについてはまた次回。
2020年10月25日22時。
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