2020年10月28日
ボヘミアの研究2(十月廿五日)
昨日の続きである。国会図書館のオンライン検索で発見した1910年代に入ってからのボヘミアの用例を紹介する。
1912年に大阪で刊行された石河武稚訳『世界国歌集 : 翻訳』(七成館)に「ボヘミヤ國歌」なるものが掲載されている。当時はまだチェコスロバキア独立以前で、最初は国もないのに国歌とはこれ如何にと思ったのだが、今のチェコの国歌は、独立以前からチェコの人たちに歌い継がれていた民族の歌とでも言うべきもので、独立直後にマサリク大統領の意向で新たに国歌を制定しようとして失敗した結果、国歌として、国歌の前半として採用されたものだと聞いているから、「Kde domov můj(いずくんぞ我が祖国)」かと思ったら違った。
楽譜があって、英語の歌詞が記され、その下にカタカナで読み仮名が振られているのだが、余った部分に「意訳」とする翻訳がついている。「いざわれらに美しき望を起さしめよ、/荒れし野山もゆたかにみのらせて」と始まる歌詞はどう見ても今の国歌とは違う。途中に「聖きウェンツエスラレスよ我がボヘミヤの尊き君よ」なんて部分があるから、聖バーツラフ伝説に基づいた歌のようである。戦いに向かうときの歌に見えるから、ブラニークの騎士の伝説の歌かもしれない。チェコでは聞いたことはないけど、そんなに民俗音楽は聞かないからなあ。それに聞いても歌詞が聞き取れないことが多いし。
日本語のウィキペディアには、「聖バーツラフ」と関連して、「ウェンセスラスはよき王様」という歌が立項されているので、もしかしたらと思って覗いてみたが、ぜんぜん違う歌詞だった。説明を読んでも、何でチェコの守護聖人がイギリスでクリスマス・キャロルの題材になっているのか、さっぱりわからなかったけれども、「ウェンセスラス」とか、「ウェンツエスラレス」とか書かれてもバーツラフだとは思えないのが辛いところである。
1914年には再び「外交時報」の9月1日付けの第236号に「ボヘミヤの民族鬩爭」という記事が掲載されている。第一次世界大戦の始まったこの年、オーストリアの一部であったボヘミアにおけるチェコ人とドイツ人の民族対立について書くとは目の付け所がいい。この時期にはすでに戦後のチェコスロバキア独立の種は蒔かれていたのである。
翌1915年には岡島狂花『現代の西洋絵画』(丙午出版社)が「ボヘミヤの絵画」という章を立てている。著者の岡島狂花は詳細不明だが、著作権の処理が済んでいないとかで、国会図書館ではオンラインでの公開を行っていないため中が読めないのが残念である。それにしても誰が取り上げられているのだろう。クプカとかムハかな。チェスキー・クルムロフ関連でシーレなんて可能性もあるのかな。
また同年の農商務省鉱山局がまとめた『海外諸国炭礦瓦斯炭塵爆発ノ予防規則』の中に、「プラーグ鑛山監督署管内ベーメンニ於ケル石炭礦ノ瓦斯及炭塵爆發豫防ニ關スル鑛業警察規則」(地名の「」は省略)という、恐らく当時のオーストリアの規則の翻訳が収められている。オーストリアの公用語はドイツ語なので、「ベーメン」という名称が使われているのだろう。
続いて二冊の音楽関係の本がボヘミアを取り上げている。一冊目は1915年に刊行された田辺尚雄『通俗西洋音楽講話』(岩波書店)で「ボヘミア」と「ボヘミア楽派」の二章が立てられている。前者は概説的で、後者ではスメタナとドボジャークが重点的に取り上げられている。ズクとフィビッヒという作曲家も現在の作曲家として名前だけは挙げられている。ドボジャークが「ヅボルシャク」と書かれているのは、時代を考えると仕方がないかな。通俗というがいわゆるクラシック音楽の概説書であるのは間違いない。著者の田辺尚雄は、ウィキペディアによれば、東大で物理学を学んで音楽研究に進んだという人物である。
翌1916年には、富尾木知佳『西洋音楽史綱』が、「独乙及ボヘミアの音楽」という章を立て、その末尾にスメタナとドボジャークを紹介している。人名は原則としてドイツ語で表記されており、日本語で書かれる場合にはひらがなが使われている。著者について詳しいことはわからないが、国会図書館の出版社のところに著者名が書かれていることを考えると、私費出版だったのかもしれない。
この二冊の内容で気づくことは、チェコ第三の作曲家であるヤナーチェクの名前がないことである。この時期にはすでに国内では作曲家としての名声は高めていたはずだが、国外まではそれほど知られていなかったということなのか、モラビアの作曲家なのでボヘミアには入れなかったのか、どちらであろうか。
注目すべきは大戦も終わる1918年の雑誌「新公論」9月号であろう。「マサリツク博士」の写真を表紙に使った上で、「ボヘミヤ志士の首領」という文章を掲載しているのである。著者は長醒子とあるが、どうも編集者か誰かの変名のように思われる。それはともかく記事の題名が……、マサリク大統領山賊の親分扱いされているのか。オーストリアの官憲から見ると、不逞の志士だったというのは確かなのだろうけど、これでは幕末の京都ではないか。状況は似ているのか?
最後に1919年のものになるが、「官報」にも触れておく。この時期、チェコスロバキアがオーストリアから分離したため、郵便物などの扱いをどうするかという告示が、逓信省の名で何度か、「官報」に発表されている。面白いのは内容が郵便物にかかわる場合には「ボヘーム」「モラヴィー」という表記が使われ(第616号、5月9日付けなど)、電報にかかわるものは「ボヘミア」「モラビア」という表記になっていること(第628号、5月21日付け)である。国際条約の原文が何語かによる表記の違いだろうか。
2020年10月26日23時。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/10302141
この記事へのトラックバック