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2020年08月14日

ツィムルマンの夏4(八月十一日)





9.Hospoda na mýtince
 題名の「mýtinka」は、恐らく「mýtina」の指小形で、森の中を切り開いた土地を指すと考えておこう。森の中のホスポダ、つまりは飲み屋ということになる。ホスポダ文化の国の生んだ天才ツィムルマンもまたホスポダにこだわるのである。
 研究発表の部分でテーマになるのは、ツィムルマンがはじめて書いたとされる「zpěvohra」というから、直訳すると歌劇、オペラなのかオペレッタなのかわからないけれども、「Proso」という作品についてである。この7時間にも及ぶという作品は、ウィーンの歌劇場が開設記念に募集したコンテストに応募したもので、ちょっとけちなところのあったツィムルマンが書留で送らなかったために、審査員達によってなかったことにされたらしい。審査員達が決定稿である郵送された楽譜を私物化して自作に取り入れたと言うのだけどね。

 結果として、残された未定稿から復元されたのが、「Hospoda na mýtince」らしい。しかし、本来の題名の「Proso」は「黍」を意味する名詞である。それがどうして、森の中の飲み屋の話になってしまうのだろう。まあツィムルマンだから、何が出てきても不思議はない。
 初演は正常化が始まったばかりの1969年。こんなのを通した共産党政権の検閲制度を懐が深いと評するべきか、内容が理解できなかったのだろうと評するべきか。後者だとすれば、いまいち笑えない身としては親近感を持ってしまう。


10. Afrika
 チェコのアフリカ探検家というとエミル・ホルプの名前が上がるのだが、実はツィムルマンもアフリカの地を踏んだことがあるらしい。多分そのときの経験を基に書かれたのが戯曲「アフリカ、もしくは食人部族の中のチェコ人」である。
 内容は、簡単にまとめると、四人のチェコ人からなるアフリカ探検隊が、人肉食の風習を持つ部族と出会って、チェコ語やキリスト教を教え、部族の長をプラハに連れ帰るまでのどたばた劇というところ。この部族のキリスト教化の中で、11番目の戒律、「汝の隣人を食してはならない」というのが生まれたのだとか。

 隊員の名前もチェコ人には笑えるのだろうけど、こちらが笑えたのは二人だけ、一人は宣教師のツィリル・メトデイと冒険のスポンサーでもある男爵のルドビク・フォン・ウーバリ・ウ・プラヒ。前者は、大モラバにキリスト教をもたらした兄弟の名前をつなげたもの。肩書きも「ブラトル」で兄か弟を表す言葉が使われている。カトリックで神父を「オテツ(父)」と呼ぶのにもあてつけているのかな。後者は、途中までは完全にドイツ語の名前なのに、名字の地の地名が典型的なチェコ語というのがおかしいのだと思う。
 それから、エミル・ホルプを思わせるのかなとも思わなくはないエミル・ジャーバ。ホルプが鳩なら、ジャーバは蛙である。最後の一人はボフスラフ・プフマイェル。名字の響きが可笑しいような気もするけどチェコ人がどう感じるのかはわからない。
 この劇は2004年に初演されたもので、インターネットの時代になっていたことを反映して、最初の研究発表の部分では、インターネットの発明者が、実はツィムルマンだったことが明らかにされる。どうしてそうなるなんて疑問の答えは、ツィムルマンだからである。


11. Švestka
 題名のシュベストカは、スリボビツェの原料になる果物である。スリーフカとかトルンカとか似たような果物を指す言葉はいくつもあって、同じものなのか微妙に違うのかよくわからない。日本の梅もこの果物の仲間として扱われるので、日本から梅の木が贈られて植樹なんてニュースがあると、シュベストカかスリボニュが木の名前として使われることが多い。
 今回の放送ではじめてみたのだけど、衝撃の事実を知ってしまった。ツィムルマンは日本に行ったことがあるというのである。日本ではナイフとフォークの使い方を教えるという仕事をしていたようで、東京のレストランで箸で食べるのと、ナイフとフォークで食べるのを比較する実演をして見せ、ナイフとフォークで食べる際には、箸で食べるのと違ってタイプライターを打つだけの余裕があるなんて余興もあったという。あれ、そもそもツィムルマンは箸が使えたのか? ツィムルマンの生きた時代なら、日本でも洋食にはナイフとフォークを使っていたような気もする。

 演劇のほうは、年を取ったことによって作品のレベルが下がったというのがテーマの一つになっているようで、そのできの悪さもまた笑いを呼ぶようだ。天才も年齢という敵には勝てなかったのであるって、ツィムルマンの映画によればツィムルマンがリプターコフを離れたときには、そんなに年寄りじゃなかったんだけどなあ。その後も生き続けて記念館のお婆さんがツィムルマン本人だとすると、最晩年は共産党政権下で創作活動をしていたということにならないか? 
2020年8月12日14時。











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