2021年04月07日
ボヘミアの醜聞(四月四日)
昨日の夜、あまり大きな声では言えない方法で入手した「シャーロック・ホームズの冒険」のチェコ語吹き替え版「ボヘミアの醜聞」を見た。全体のストーリーにも興味はあるが、「ボヘミア」がどのように使われているかも興味の対象である。何せ、この作品を読んだり見たりしていたころは、まだチェコのことなどろくに知らず、ボヘミアはドイツの一部だとしか思っていなかったのである。現在の無駄にチェコに詳しくなった目で見ると、いろいろ言いたくなることが出てくるに違いない。
そういうと、まず、この回のチェコ語の題名からして、微妙なものを感じさせられてしまう。「Skandál v Čechách」がそれしかない訳だというのも、自分で訳してもそうするだろうというのも重々承知の上で、ドイツの印象の強い歴史上の「ボヘミア」をチェコ語で「Čechy」と訳すのに慣れないのである。逆に、チェコ語の「Čechy」を「ボヘミア」と日本語訳するのには慣れて違和感も感じなくなっているから不思議である。
作品中に最初に登場するチェコと関係のある物は、紙である。正体不明の依頼人が残して行った手紙の書かれた紙に刷りこまれた文字から、紙の生産地を確定して、差出人はボヘミアのドイツ人だと断定する。その生産地が「エグル」とかいう地名なのである。ボヘミアの地名で、ドイツ名「エグル」となると、日本では「エーガー」と書かれるヘプのことじゃないか。三十年戦争の英雄ワレンシュタイン将軍が暗殺されたことで知られるチェコの最西部の町である。
続いて、手紙の差出人でホームズに事件の解決を依頼するためにボヘミア王が登場する。昔は、ボヘミアという地名があるからには、そこに王がいるのは当然だと考えて不思議にも思わなかったのだが、チェコスロバキア独立以前のこの時期、ボヘミア王位はハプスブルク家のもので、オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝が兼任していたはずである。仮面を取って名乗りを上げるときに、どんな名前を使うかと楽しみに待っていたら、長すぎて聞き取れなかった。ハプスブルクもオーストリアも出てこなかったことは確かだけど。
それで、原作ではどんな名乗りを使っているのか確認することにした。幸いなことに青空文庫に大久保ゆう訳「ボヘミアの醜聞」が上がっていて読めるようになっている。それによると、「ヴィルヘルム・ゴッツライヒ・ジギースモーント・フォン・オルムシュタイン、つまりカッセル=フェルシュタイン大公」と言ったようだ。貴族の正式な名前にありがちな、いくつも名前の連なるものだけど、「オルムシュタイン」ってどこだ? 架空の地名と考えるのがいいか。
コナン・ドイルの時代のイギリスの人たちにとっては、やはりボヘミアなんて名前だけしか知らない僻遠の地だったのだろうなあ。その点では、昔の自分も同じだし、こうやってボヘミア王の名前が云々なんてことが言えるのも、こちらに来てボヘミアの歴史というものを実感を以て知ることができたからに他ならない。これが他の国のことなら、気づきもしないで、そんなもんかという感想で終わったはずである。
そして、もう一つ、驚きが待っていた。この物語の主人公といってもいい女性の名前が、アイリーンではなかったのだ。かの『しゃべくり探偵』でも、「愛人アドラ」として、むりやり、「アイリーン・アドラー」に結び付けていたのに、チェコ語版では「イレーナ・アドレロバー」となっていた。やはり登場人物の名前の響きは、作品の印象と密接に結びついているのだなあ。同じ語源の名前が、英語では「アイリーン」となり、チェコ語では「イレーナ」になるのは、わかってはいるけど、ここは「アイリーン」で通してほしかったと考えるのは、外国人のわがままなのだろうか。
この時代は、名前も使用する言葉によって翻訳していた時代だ(と思う)から、アメリカ出身の「アイリーン」が、ボヘミア王とワルシャワで出会ったときには「イレーナ」と名乗っていたとしても不思議はないのだけど。そういえば青空文庫の「ボヘミアの醜聞」では、冒頭から「イレーナ」が使われていて、最後のホームズに宛てた手紙の署名だけが「アイリーン」になっていた。恐らく意図的に使い分けられているのだろうが、英語名とスラブ語での名前の事情を知らない人が読んだら混乱するかもしれない。
そんな細かいところを気にしながら見たとはいえ、満足満足。これは第二回の「踊る人形」も手にいれずばなるまい。そして、来週からは毎週土曜日の午前中に録画して、お昼時に見るという生活になりそうである。
2021年4月5日11時。
タグ:シャーロック・ホームズ
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