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2016年05月07日

チェコ宗教事情(五月四日)



 外国で、自分は無宗教だとか、宗教を信じていないなどと言ってはいけないというのは、八十年代の日本で、よく聞かれた言説であるが、チェコではチェコ人自身が無宗教ということも多く、無宗教だろうが、無神論だろうが、好きなように答えて何の問題もない。下手に仏教や神道を信じているなどと答えたほうが、あれこれ質問されて、大変かもしれない。もし、仏教や神道のことに詳かったとしても、語彙の関係上説明しきれなくなってしどろもどろになるのが落ちである。
 昔、電車の中でたまたま一緒になった人に、日本では仏教と神道の信者の数を合計すると人口よりも多くなるという話を聞いたんだけど、それは本当なのかと、質問されて、言葉を尽くして説明したけれども、あまりわかってもらえなかったことがある。仏教徒だとも神道の信者だとも言った覚えはないのだが、チェコ語の勉強をかねてがんばってみた。神社本庁とか、チェコ語で何て言えばいいんだろうなんて考えながらの説明だったから説得力を欠いたかな。
 チェコにキリスト教信者が少なく、無宗教だという人が多いのは、歴史的なことが関係している。ルターやカルビンの宗教改革に先んじて、キリスト教の腐敗を糾弾したヤン・フスを生んだこの国は、宗教にある意味で裏切られ続けてきた。フス派戦争と、その後の再カトリック化、三十年戦争で国土は荒廃し、信仰を理由に弾圧や追放を受けた人々も多かった。

 そして、二十世紀の宗教共産主義にも、1968年のプラハの春で完全に裏切られてしまい、多くの人々は、信じることに絶望してしまったのだと思う。信じるものを求めて、共産主義からキリスト教に宗旨替えした人もいるみたいだけれど。
 チェコ語の師匠から聞いた話だが、師匠のお母さんは、親からかなり大きな農地を相続して農業に従事していた。それが共産党が政権をとった後の国有化によって、その農地を没収されてしまった。国のやったこととはいえ、実行犯は同じ村に住む人たちで、中でも特に熱心な男がいたらしい。
 1989年のビロード革命の後、初めて行われた国会議員の選挙のときに、選挙管理委員として席に座っていたその男を見つけて、師匠のお母さんは、「何でお前みたいな共産党員がこんなところにいるんだ」と、激昂して掴みかかってしまったと言う。国有化と称して自分の農地を奪っていった男が、民主化後もえらそうにしているのが許せなかったらしい。
 師匠もそのときはお母さんと一緒にその男を非難してしまったけど、後で冷静になってからいろいろ調べてみたところ、熱心な、いや、熱狂的な共産党員で、共産党が政権を取った時期に指導的な立場にあったその男は、プラハの春を押しつぶすためにやってきたソ連軍に講義する運動に参加したため共産党を追放されていたらしい。そして、ビロード革命当時は、今度は熱心なキリスト教信者になっていて、指導的な立場にあったのが、師匠のお母さんには許せなかったわけだ。
 師匠は、その男は、本当に心の底から共産主義を信じていたから、ソ連軍がチェコにしたことを許せなかったんだろうねなんてことを言っていた。でも、私が気になったのは、むしろその男がキリスト教に鞍替えしたことで、いくら師匠の故郷にはモラビアでも最大の巡礼地となっている大きな教会があるとはいっても、当時弾圧されていたはずのキリスト教に、そうそう入信するものなのだろうか。

 それで、思い出したのが、どこまで事実なのかは知らないが、戦後のある時期の日本で、共産党の活動方針に絶望した共産党員の多くが創価学会に流れたという話だ。それが創価学会と共産党の血で血を洗うような闘争の原因の一つにもなっているというのだが、宗教と共産主義の親和性というか、共産主義というものが、いわゆる新興宗教と同じレベルでの選択肢の一つになっていたということなのだろう。共産主義政権下でのキリスト教も、一部の熱心な人々によってのみ支えられたという意味で、カルト化していたはずだし。
 EUが押し付けようとする「民主主義」も、総本山の恣意的な解釈による運用によって、単なるありがたいお題目と化している嫌いがある。民主主義を標榜するEUの、特に旧共産圏の新しい加盟国に対する振る舞いは、助成金という人質を取った上での恐喝に等しい。「助成金がほしかったら、この制度を導入しろ」という論理は、ひっくり返せば、「この制度を導入するなら補償金をよこせ」というどこかで聞いたことがあるような論理になってしまう。これが民主主義的なやり方だというなら、日本の文部省がやっていることも十分以上に民主的だよなあ。うん。

 数年前に中東から北アフリカにかけての地域で、民主化をお題目にした「アラブの春」なる運動が吹き荒れたが、その結果は参加者たちの望んでいたものとは大きくかけ離れているだろう。カダフィなどの独裁者を倒せたのはよかったにしても、その後の混乱した情勢で何の支援もなく放り出されたのを見ると、民主主義というものの無責任さ残酷さを見る思いがする。そしてもう一つ気になるのが、言葉自体が独り歩きし始めて、「民主主義」のためなら何をしてもかまわないというような考えがはびこり始めてはいないかということだ。
 かつては、共産主義というものの存在が民主主義を相対化して、民主主義が絶対的で普遍的な真理になるのを防いでいた。共産主義だって内実はともあれ、民主主義を標榜していたのだから、民主主義というものを絶対視することはためらわれた。そのかせが外れて四半世紀、EU的民主主義を相対化できるものが出てこないと、何だかとんでもない方向に世界が進んでいくのではないかと思われてならない。

5月5日16時30分。

 うーん。苦しかった。最後は無理やり結論みたいなものを取ってつけたけれども、久しぶりに考えが堂々巡りに入って、当初は想定していなかった方向に話が展開して着地し損なったという感じである。チェコの政教分離に話を持って行って、ヨーロッパ批判をするつもりだったのに、どうしてこうなったんだ? そもそも『小右記』について毎日書くのは時間がかかりすぎるから、簡単に書き上げられそうなテーマということで始めたのに、余計に時間がかかってしまった。今回もちょっと看板に偽りありである。5月6日追記。

 題名にはちょっと惹かれる。


EU消滅 [ 浜矩子 ]



posted by olomoučan at 07:06| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ
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