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2019年05月01日

ヨゼフ・シュラルを悼む(四月廿九日)



 朝起きてセズナムのニュースの見出しを眺めていたら、信じられないようなものが目に飛び込んできた。一月にトルコに移籍したばかりのヨゼフ・シュラルが亡くなったというのだ。二年前のライトラルの件もあるので、思わず自殺かと疑ってしまったのだが、交通事故だった。
 日本のメディアでも報道されているようだが、少しだけ詳しい情報を。日曜日にシュラルの所属するアランヤスポルは、約570km離れたカイセリで試合を行なった。行きはチーム全体で飛行機を使って移動し、帰りも飛行機が準備されていたらしい。

 ただ、チームから月火と二日の休暇を与えられた選手たちの一部、具体的には7人の選手たちが、マイクロバスをチャーターして、アランヤに戻ることにしたのだという。これは、飛行機を使うと翌朝の出発で、直行便ではなくイスタンブール経由になって時間がかかるために、少しでも早く自宅に戻りたい、家族に会いたいという気持ちの表れだったのだろうか。特にシュラルは子供が生まれたばかりだったというし。
 そのマイクロバスには、長距離ということもあって、途中で交代できるように運転手が二人乗っていたらしい。交代要員が寝てしまうのはともかく、今回は運転していた運転手までが居眠りをしてしまい、道路から外れて車が横転してしまった。最悪だったのがその際に、車のドアが開いてしまったことで、シュラルはそこから車外に転落し、道路わきの岩にぶつかりながら転がることになったようだ。他の選手たちは車外に落ちることはなかったため、怪我で済んだという。

 トルコでは、シュラルがシートベルトをしていなかったのではないかという憶測も流れているようだが、シートベルトをしていたのに、横転の衝撃で外れた可能性もあるのではないかと思う。しっかりと整備された車であればそんなことはありえないのだろうが、それなら本来ドアも開かなかったはずではないのか。
 チーム全体で飛行機で移動していたとしても、数年前にロシアでアイスホッケーチームの乗った飛行機が墜落して、そのチームの選手がほぼ全員なくなるという事件も起こっているから、絶対に安全だとは言い切れないのだけど、今回はチームとは別行動をするという決断が運命の決断となってしまった。やりきれないのは、事故現場がマイクロバスの目的地であるチームの本拠地までわずか2キロという場所で起こったことである。

 ヨゼフ・シュラルは、享年28歳、まだまだこれからという年齢で、リベレツ時代の恩師シルハビーが代表の監督になったこともあって、代表への復帰も期待されていたのだが、残念なことである。トルコリーグでは、あまりうまくいかない選手も多いけど、バロシュが復活ののろしを上げたことがあるし、シュラルもそれに続いてくれないかと思っていたのだけど。
 シュラルは、リベレツで優勝に貢献したことで大きな注目を集め始めた選手だが、現在は2部に沈んでいるブルノで育った選手である。ブルノはときどき有望な選手を輩出するのだけど、代表に定着して活躍したのは、ポラークとこのシュラルぐらいである。ポラークもブルノからリベレツに移籍したのだが、ポラークがそこからドイツに移籍して長年活躍したのに対して、シュラルはスパルタ・プラハに移籍して、キャプテンを務めるまでになっていた。
 昨年スパルタがイタリア人監督を招聘して多国籍化という壮大な、失敗が約束されていた実験を行ない、予想通り大失敗に終わったのだが、その実験で割を食った選手の一人だという印象がある。トルコ移籍で、環境を変えることで、かつての調子を取り戻してくれれば、チェコ代表にも大きなプラスになるという期待はかなえられないままに終わってしまった。

 ところで、日本のメディアでは、シュラルの名前を「ヨセフ」と表記しているところがあるようだが、正しい発音は「ヨゼフ」である。チェコ語の発音のルールに基づけば、「Josef」の「se」は清音で読まれるべきなのだが、恐らくドイツ語の影響で濁音で読まれるようになっている。ちなみにスロバキア語では発音に合わせて「Jozef」と表記される。
 友人たちには、ヨゼフから作られるあだ名であるペパと呼ばれることが多かったようである。それから、同じ名前の人が呼ばれることも多い代表なんかだと、名字のシュラルから、シュリと呼ばれていたのかな。トルコでのあだ名は何だったんだろう。

 最後にこんな悲劇が繰り返されないことを願っておく。サッカーに限らず将来のあるスポーツ選手がキャリアの途中で命を絶たれるというのはやるせないものである。
2019年4月30日23時55分。











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