2019年03月21日
市民民主党内紛(三月十九日)
国会の審議の場で、EUからもたらされる命令と、ナチスドイツがユダヤ人を強制労働所に送るために出していた命令を比較して同じようなものじゃないかという問題発言をしたバーツラフ・クラウス氏にかんして、所属の市民民主党は党籍を剥奪して党からも、国会の会派からも追放処分とした。えっと思ったかた、その疑問は多分正しい。このバーツラフ・クラウス氏は、元大統領ではなく、その息子の上院議員である。どこかの学校の校長もやっていたかもしれない。
親の七光りで社会的な地位を得、バーツラフ・クラウスという市民民主党の創設者の名前で入党し、選挙で票を集めて議員になり遂せたこの人物は、以前から、オカムラ氏とその一派ほどではないにしても問題発言を繰り返して、党内外からの批判を浴びていた。党首のフィアラ氏をはじめとする執行部にとっては、その名前で支持者の間にノスタルジーめいたものを呼び、党の得票数を伸ばすのに貢献しているバーツラフ・クラウス氏の存在は、頭が痛いものだったに違いない。
1989年11月に起こったビロード革命を主導して、共産党からの戦いなき権力移譲を実現するのに貢献したのは、市民フィーラムと呼ばれる組織だった。政治勢力というよりは、共産党政権を終わらせることを目的とした人たちが、目的達成のために大同団結したもので、特に一定の主義主張を持つ人たちが集まったということはなかったので、その役割を果たした後は分裂して解体されてしまったのは歴史の必然だったといってもいい。
その解体の第一歩を記したのがバーツラフ・クラウス氏の父親のほうである。恐らくハベル大統領の色の濃い市民フォーラムに留まりハベル大統領の下に置かれることを嫌ったのだろう。支持者を集めて市民フォーラムを飛び出し市民民主党という新しい政党を設立した。この結党の経緯もそうだが、資金源となったのがビロード革命のドサクサにまぎれて、非合法に近い手段で資産を築いた特に地方の実力者だったところも批判の対象となっている。この地方の実力者達は共産主義の時代にもそれなりにうまくやっていた人たちで、市民民主党の影の海の親だということで、クモトル(洗礼のかかわるゴットファーザー)と呼ばれて、現在でも市民民主党の頭痛の種となっている。
クラウス氏の分派行動の後、市民フォーラムはさらに分裂する。反共産等でも左翼的な考えを持つ人たちは、かつて存在した社会民主党を再建し、共産党員でも共産党に入党した言い訳を必要としていた人たちをも受け入れて、一大勢力を築いた。90年代にこの党を主導していたのが、現在の大統領のミロシュ・ゼマン氏である。
話を市民民主党に戻そう。バーツラフ・クラウス氏は、市民民主党の党首として首相を何回か務め、ハベル大統領の二回目の任期の切れる2003年には、市民民主党の推薦で大統領選挙に出馬した。確かこのときだったと思うが、大統領は党派性を有していてはいけないという建前の下に、党首を辞任し党籍も返上した。それに対して、党の側は、長年の貢献に感謝するために名誉党首という肩書きを与えたのだった。
ただ、この時点ですでにクラウス氏と党の関係はギクシャクし始めていた。それは後任の党首を選ぶ党内選挙で、クラウス氏の子飼いで後継者と目されていたネチャス氏が、あまり知られていなかったトポラーネク氏に敗れたことからも明らかである。市民民主党との関係が完全に切れたのは、2008年に二回目の大統領選挙に出馬した際のことだったと記憶する。このとき名誉党首の肩書きを返上し、任期が終わった後の選挙では、市民民主党ではなく別の政党を支持することを表明するまでになっていた。
クラウス氏の二人の息子も、クラウス氏が名誉党首を辞めたのと前後して、市民民主党を離党していたはずである。党会費を払わず党籍を剥奪されたとか言うニュースをみた記憶がある。それが、息子のバーツラフ・クラウス氏は、いつの間にか市民民主党に戻っていて、前回の2017年の下院選挙に立候補していてびっくりした。この時点では、ネチャス内閣が総辞職したあとの下院選挙で歴史的な惨敗を喫した市民民主党が、創立者の子供で名前も同じバーツラフ・クラウス氏を必要としていたということなのだろう。
その立場の強さが、新人議員でありながら、党の指導部の意向に反するような発言を繰り返すことにつながったのだろうし、国会で何とか審議会の副議長という要職を与えられていた理由なのだろう。2017年の選挙で大差をつけられたとはいえ、ANOに次ぐ第二党に入り、その後の世論調査でも海賊党と2位を争っていて、党勢が完全に回復基調にあると判断した執行部は、クラウス氏の切りどころ、切りどきを探していたのだろう。そんなときに冒頭に書いた問題発言が出たから、これを幸いと追放処分にしたというのが真相と見る。
党の功労者であり、同時に悪しき部分を体現していたクラウス氏とその息子と完全に縁を切ったことで、90年代の市民民主党とは違うと主張することになるのだろうが、いまだにビッグブラザーたちの影は見え隠れしている。オロモウツのラングル氏とか、プラハのベーム氏あたりが党員であり続けている以上、そんなに大きく変わったとは思えないのだけど。
問題は、今回の一件で市民民主党の支持率を上げるか、下げるかだが、下げると見る。バーツラフ・クラウスの名前は、市民民主党支持者の間では大きな意味を持ち続けているはずである。
2019年3月20日22時。
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