2016年04月10日
シュムナー・ムニェスタ(四月七日)
建築探偵と言う言葉を聞いて、「藤森照信」という名前がすぐに思い浮かぶ人は、この番組が気に入るはずである。日本の藤森建築探偵は、明治以降の洋風建築に関する調査から始まって、外国にも調査の足を延ばして、我々一般の人間にもわかりやすく書籍と言う形で提供してくれた。自分自身では建築ファンなどではないと思っているが、普通の人よりは建築や建築用語に詳しいのは、昔友人に勧められて、『建築探偵の冒険』以下の本を読んだからに他ならない。さすがに赤瀬川源平のトマソンには付いていけなかったけど。
チェコ版『建築探偵』と言うべきものが、今回取り上げるテレビ番組「シュムナー・ムニェスタ」で、建築探偵の役を果たすのは、自身も建築家である俳優のダビット・バーブラである。バーブラは俳優としては、スクレプ劇団を立ち上げた人物として知られている。スクレプというのは本来、一軒家やアパートなどの地下にある物置のことを意味し、南モラビアの丘陵地帯にある丘の斜面に穴を掘って作られたワインの醸造、熟成用の地下蔵もこの言葉で呼ばれる。劇団はバーブラの祖母の家の地下室で誕生したことから、このように名づけられたらしい。地下劇団と訳してもいいのかな。ただし、この劇団が本当にアンダーグラウンドの存在だったのかどうかはわからない。
この番組は、チェコ各地に残された建築物、特に過小評価されがちな近代の建築物を紹介するドキュメンタリーである。チェコの番組にしては珍しく、時間がほぼ一定で25分前後、建築物を紹介して回るさすらいの建築家を演じるバーブラのほかに、必ず最初と最後に子供たちが出てくる。子供たちに教えるという設定なのかもしれないが、子供たちは建築物めぐりには同行しない。建築家が移動に使うのは、毎回、何これといいたくなるような変なものである。古い自転車だったり、トラクターだったり、取り上げる町に関係のありそうなものを使っているのだろうか。
それから、毎回欠かせないのが、喫茶店に入って、年老いたウェーターにコーヒーを出してもらうシーンである。その町で、かつてもっとも有名だった喫茶店があった建物に入るのだが、そこに喫茶店が残っているとは限らない。たとえば、オロモウツではモラビア劇場の隣の「喫茶店」に入る。そこが撮影当時は自転車屋になっていたため、コーヒーではなくスポーツドリンクのようなものが出てきていた。ちなみにこの場所は、番組のおかげか、自転車屋は撤退し、現在では喫茶店に戻って営業している。
思い返してみると、かつての有名な喫茶店がかつての姿で喫茶店としてあり続けていた町のほうが少ないような気がする。荒れるに任されていて崩壊寸前という建物もあったなあ。カメラは、美しく改修された建物ばかりでなく、このような残酷な現実をも、そのまま映し出す。現在まで生き残った建築的に貴重な建物で文化財に指定されている建物であっても、所有者によっては、まったく改修もされず、改修されても本来とは違う使い方をされてしまうのである。
オロモウツでは、かつて、ホルニー広場の市庁舎の天文時計の向かい側の一番目立つところにある建物に中華料理屋が入っていて、真っ赤な看板に漢字で店名が書かれていた。あれは、興ざめだったなあ。この店はなくなり、広場の反対側に入った中華料理店は看板が控えめになっているので好感が持てる。広場にはマクドナルドもあったけど、あれもあまり好ましいとは思えなかった。今では移転か撤退かで広場から姿を消したので、目に優しくなった。
「シュムナー・ムニェスタ」は、全部で66本が制作され、すべてチェコテレビで放送された。最初のオストラバ、オロモウツ、オパバの三本は、独立した作品として作られたものを後から、シリーズに組み入れたものらしい。撮影年は古いのに真ん中付近に位置づけられているのはそのためである。それにしても、モラビア地方の町から始められたのが素晴らしい。そして、ブルノが最後の町というのも悪くはないが、プラハを完全に無視してしまったのが私にとっては最高である。プラハについて、プラハの建築物についてのドキュメンタリーなんて、すでに腐るほど存在するのだ。この番組の関係者なら新しい視点から面白い番組を作り出すだろうけれども、そんなことに労力を使うぐらいなら、これまで誰も取り上げなかった地方の忘れられた建築物に光を当てるほうがはるかに重要な仕事であろう。この番組で取り上げられたことで、保存が決まったり改修されることになった建物もあるのではないかと思う。
さて、66ものチェコの町(場合によっては地方)に残る建築物の紹介を終えたバーブラたちは、今度は国外に眼を向ける。そして誕生したのが、続編とも言える「シュムネー・ストピ」である。こちらは、近代にチェコを出て国外で活躍したチェコ人建築家の活動の後を追ったドキュメンタリーである。今度は国ごとに、そして建築家ごとに作品が紹介されていく。
その記念すべき第一回目の国が日本だったのである。よく知られた広島の原爆ドームを設計したヤン・レツル以外にも、東京の聖路加病院の建築にかかわったレーモンド、フォイエルシュタイン、シュバグルなど、日本で活動した建築家は意外に多い。一部はチェコ人としてではなくアメリカ人としての仕事だったりとよくわからない部分もあるらしいのだが。
以上のチェコ人四人のうち、シュバグル以外の名前は、この番組を見る以前から知っていた。それは日本の建築探偵藤森先生の著作に登場していたからである。そうしたら、「シュムネー・ストピ」に、なんと藤森探偵自身が登場した。チェコの建築探偵と日本の建築探偵が、それぞれチェコ語と日本語で話すというなかなかシュールなシーンになっていたが、チェコテレビ、もしくはチェコ大使館の文化部、いい仕事したなあ。
日本編が数回続いた後は、旧ユーゴスラビア、南米などのチェコ人建築家の足跡を紹介している。だから、南米にある製靴会社バチャの創った町なんかも出てくる。日本では企業城下町というと、悪いイメージで語られることも多いが、チェコでは、少なくともバチャの工場城下町に関しては高く評価されることが多いようである。
とまれ、私が日本の人にオロモウツの建築物について、あれこれ説明するときの説明、特にジャーマン・セセッション様式の傑作プリマベシ邸の説明は、ほとんどこの番組が元ねたになっていて、建築用語は『建築探偵』で覚えたものを使っている。読書もテレビの視聴も、たまには役に立つということか。
4月7日18時。
この本がまだ絶版になっていないのは、さすが筑摩書房というところだろうか。面白いので次々に新たな読者を獲得しているということなのかもしれないけど。4月9日追記。
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