2018年11月01日
チェコスロバキア独立100年(十月廿八日)
十月廿八日は建国記念日として祝日になっている。ただし、チェコには日本のような振り替え休日の制度がないので、土日に祝日が重なると一日休日を損することになる。その上、十月最後の日曜ということで、夏時間から冬時間への切り替えとも重なっている。冬時間に向かうほうは、一時間長く寝られるわけだから、比較的楽なのだけど、体内時計、特にお腹のすき具合で測る腹時計が狂うので全く問題なしとはいかない。来年からはこのまま時間が固定されることを願おう。
さて、建国百周年ということで、年初から大々的な盛り上がりをするのかと思っていたら、そんなこともなく、近づくにつれて第一共和国百年に関する報道が増えて、すこしずつ盛り上がってきたのだけど、正直期待したほどでもなかった。当日の軍や警察、消防隊などのパレードも例年のものを拡大したもののように見えたし、チェコテレビの中継はゲストをたくさん呼んで例年以上に気合は入っていたかな。ただ、こういうイベントで軍のパレードが儀式の中心に据えられているあたりが、日本とヨーロッパの国の軍隊に対する認識の違いを物語っているようでなかなか興味深い。
この建国100周年のイベントがそれほど盛り上がらない理由を考えてみると、一つには、100年前に誕生したチェコスロバキアという国がすでに存在しないことがあるだろうスロバキアでもこの日が国家の祝日になっていて、共同で式典をやるということになっていれば、話はまた違ったのだろうが、1990年代に分離独立したスロバキアでは、第一共和国をチェコ人がハンガリー人に代わってスロバキア人を支配したものという解釈が優勢だったために、この日は祝日から外されてしまっているのだ。スロバキアでも式典は行われているようだけれども、チェコほど力は入っていない。
今年の式典の一部は、すでに土曜日から始まり、フランスのマクロン大統領と、ドイツのメルケル首相がプラハを訪問し式典に参加していた。第一共和国の誕生に協力的だったフランスもミュンヘン協定でチェコスロバ期を裏切ったわけだし、ドイツは第一共和国の解体に直接関与した国である。いかにEUの有力刻とはいえ、独立100周年の式典に招待するにふさわしい国だったのかねえ。むしろ民族自決主義を掲げてチェコスロバキアの独立に最大の貢献をしたウィルソン大統領を讃えて、アメリカの大統領を招待するべきではなかったのか。現職がトランプという問題はあるにしてもである。
オロモウツでは、当日具体的にどんな式典が行われたのかは知らないが、一週間ぐらい前からホルニー広場にパネル展示が設置されていた。8月にも1968年のプラハの春を蹂躙したワルシャワ条約機構軍の侵攻についての展示が行なわれていたが、今回は独立前後の出来事についての展示で、当時の市長などの写真、新聞、オロモウツの地図などが展示されていた。古い地図を見ると現在と通りの名前が違ったり、今はない川が流れたりしていてなかなかに興味深かった。
夜は、例年同様に、プラハ城で大統領による勲章の授与式が行なわれる。叙勲者は国会議員による推薦などいくつかの方法で選出されるのだが、最終的な決定権は大統領が握っている。その人選に関しては、ハベル大統領でさえ批判にさらされたことがあるのだが、ゼマン大統領は2年前にダライラマ問題で文化大臣のおじの叙勲を取り消したことで、国民の半分を敵に回した前科がある。個人的には、いかにホロコーストを生き延び、その体験を語り続けている人とはいえ、政治家の縁者に勲章を与えるのにもお手盛りの感じがして好感は持てないのだけど、チェコの良識派を自任する人たちは文化大臣の側に立った。毎年何人かいる大統領の恣意で何でこんなのがってのに比べれば、ちゃんとした理由があるから支持はしやすいんだけどね。
今年も事前に何人かの叙勲者の名前が漏れてきている。チェコ人ならぬ身でも知っている人物となると、スポーツ界の人ということになる。事前に判明しているのは先日引退試合を挙行したばかりのテニスのラデク・シュテパーネクと、今年の冬季オリンピックで、スキーとスノーボードの二種目で金メダルを獲得して世界を驚かせたエステル・レデツカーの二人。他にもスポーツ新聞の情報では、二年前の選手生命にかかわる大怪我から復活して、今年ランキングのトップ10に復帰したペトラ・クビトバーの名前も挙がっている。ゼマン大統領は、クビトバーが節税のためにモナコに住民登録していることを国に対する裏切り者だ敵なことばで非難していたと思うのだけど、どういう心境の変化なのだろうか。
ふたを開けてみたら、スポーツ界からはこの三人に加えて、サッカーのペトル・チェフ、テニスのヘレナ・スコバーの二人も勲章をもらっていた。引退したシュテパーネクとスコバーはともかく、まだ現役で頑張っているチェフとクビトバーを叙勲するってのはどうなんだろう。去年引退したロシツキーとかもうもらっているのかな。
それからスポーツ新聞では叙勲式に関して、もう一人、格闘家のベーモラという人の名前も挙がっていたのだけど、これは勲章をもらうというのではなく、授与式に招待されたということのようだ。MMAだかUFCだかいう団体でアメリカで試合をしたときに、トランクスのチェコの国旗の代わりにスポンサー名を入れることを求められたのを拒否したのが愛国心の発露だとして、大統領のお気に召したのだとか。ゼマン大統領とチェコの国旗、トランクスというのは因縁があるからなあ。ゼマン批判勢力に対するあてつけの意味もあるのだろう。
うちのが、何でこいつが叙勲されるのだとお冠だったのが、歌手のミハル・ダビットという人物。80年代に一つか二つヒットを飛ばしたらしいけど、その歌の内容はしょうもないものだったのだとか。たしか一つは「ポウパタ(つぼみ)」という歌で、スパルタキアーダ(共産党政権時代の集団体操)の体操の一つのテーマ曲として選ばれたことで頻繁に流れたから、一定以上の年齢の人は知っているはずだという。今はナにやってるのかねえ。ゼマン党(SPO)から国会議員に立候補したのがこの人だったかな。それは何とか・リンゴ・チェフだったかもしれない。ゼマン大統領支持者の歌手とか俳優とかってみんな印象が似通っているから区別がつきにくいんだよなあ。
チェコ在住で例外的にチェコに堪能なアメリカ人の新聞記者エリック・ベストが勲章をもらっているのも意外だった。うちのの話では、アメリカ人でありながらロシア親派で、ロシア寄りすぎて問題含みの記事を垂れ流しているらしい。以前はチェコテレビのニュースや解説番組にしばしば登場していたのだが、最近見かけないと思っていたら、中立ではなくロシアよりの発言をするのが嫌われたのか。ゼマン大統領にはそこが気に入られたのだろうけどさ。
そういえば、最近の報道で、以前ポーランド軍が攻め込んできてと書いたチェシーン地方をめぐる戦いは、最初に仕掛けたのはチェコスロバキア軍であったことを知った。調停案どおりの国境線だと鉄道など重要なインフラがポーランド側に行くことになっていたのが問題だったようだ。それから、実行はされなかったが、ボヘミア北部のドイツとの国境を山脈の稜線から北に押し出して、山脈の山すそまでチェコスロバキア領にしようという計画もあったらしい。誕生したばかりのチェコスロバキア第一共和国もなかなか野心的な国家だったのである。ちょっとイメージの修正が必要である。
2018年10月29日22時。
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