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2020年12月27日

実家にて(2020/12/27)

昨日、実家に帰ってきた。
する事もなく、食べてはソファーに寝転びテレビを見ている。もう正月気分だ。
両親は元気だ。ソファーに寝転んでいる息子とは違い、万歩計の歩数が目標に達していないと歩きに出かける。
明日から運動をしよう、と実家で毎回思いながら何もせずに家の中にいて、帰って2キロの体重増というのがパターンだ。

木曜日の居酒屋Qの忘年会では多くのご馳走をマスターが作ってくれた。とても3000円の会費では賄えない質と量だ。
ローストビーフやエビの塩焼きが残ったのでママがパックに詰めてくれていた。
金曜日はそれを食って、帰省の準備をしてゆっくりしようと思っていた。
パックをビールを飲みながら食べたが、やはり世話になったし顔を出そうとQへ向かった。

Qへ行くと、結局は忘年会に来ていた客8人の内5人がまた来た。自分も入れて。
21時が閉店だが、マスター・ママ・常連の女性の4人で22時半過ぎまで店に残って呑んだ。
年末は飲み屋を回る檀家参り、今年はQだけで終わった。まあ、あと行くとしてもバーくらいしか無いのだが。

今年はあと29日に同級生3人でスナックEに集まる。スナックEも昨年末に顔を出したきりだ。マスターからお誘いがあったので集まることになった。身体の状態はどうなのだろう。

コロナ禍だ。
対策をしているからといって移動や集まりは控えるべきなのだろう。
ただ、コロナよりも、いつ会えなくなっても仕方ない状態の人もいるのも事実だ。
出来るだけの防衛を施した行動なのだが。
posted by shigenon at 18:13| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2020年12月25日

Qの忘年会

昨日は居酒屋Qの忘年会。
会社を早めに出て風呂に入って出かける。家から徒歩15歩のEさんと一緒に行く。Qまでの道のり、Eさんに手を後ろ手に組んで歩いてもらう。健常者でも歩きに違いが出るのだろうか。
違いは感じないようだ。腰が伸びるからじゃないですかとか言いながらやっている。いや、そういう推測を先に思ってしまったらダメなのだ。

Qの忘年会は17時から。10分前に到着したら先に来ている人がいた。
Qに初めて行ったあと、そうだ、盆前だ。携帯ショップに行った後に一人でQに行ったのだ。その時にカウンターにいた人だ。「お客さんは50代後半かな」と言った人だ。8月にブログに書いている。
便利だ、ほぼ平日書いていると備忘録になる。

その年を当てたオッサンの仲間だろうか、知らない人2人、いつも来る妙齢の女性、Oさん夫婦、マスターとママ。合計10名だ。1名はあとから来るとのことだったが、結局来なかった。
幹事といっても何をするか。特にすることはない。ただ、盛り上げが必要だろうとビンゴのアプリ(数字が出るだけ)をスマホに入れて、カードは用意してもらっていた。

料理は豪勢だった。中トロ、ボタンエビ、ホタテ、ウニなどの刺身、ローストビーフ、チキン、などなど多くの種類と量。結局は残ったのでパックに詰めてくれた。
幹事として、お気に入りの焼酎「いいちこスペシャル」を1本提供していた。案の定、誰も飲んだことがなかったようで、美味しいと飲んでもらってすぐに無くなった。

ビンゴゲームは盛り上がった。一人1000円で参加。忘年会の会費が3000円なのだ、ビンゴ1000円では高いと思う人もいるだろうと、ウチの会社の商品を参加賞として用意してやっていた。1番が5000円、次いで3000円、2000円。
スタートを押して止める、番号を読み上げる。これをやっているうちに、自分がビンゴになっていることに気が付かなかった。2000円はゲットしたが。残っていた参加賞も景品にして長くやった。

20時頃に予約していたカラオケバーへ。1か月ほど前か、ママと一緒に行った店だ。行ったのは7人。
ここでも1000円出して得点ゲーム。Oさん奥さんが90点オーバーだ、上手なのだ。
コロナ禍営業のため22時で閉店。そして帰路に。
マスターやママ、Oさん奥さんからは、本当に忘年会をやってくれて有難うと感謝を何度もされた。いや、言い出しっぺではないのだが。ただ、誰かが幹事ということで進んでいったのだ。
とにかく6歳の誕生日は楽しく過ごせた。
posted by shigenon at 08:32| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2020年12月24日

6歳の誕生日と身体の状態

6年前、2014年12月24日06:00だ、受傷したのは。
倒れた時に打ちどころが悪かったら死んでいたかもしれないし、ベッドの鋭利な背板が目に当たっていたら失明したかもしれないし、いや、背板に当たらなければ頚髄を損傷しなかったかもしれない。
何にせよ、起こってしまったことをどういっても仕方ない。過去があるから現在がある。

粛々と6歳の誕生日を祝おう。
生への感謝。自分に関わって応援してくれた人への感謝。

昨日は関わっている協会の打合せ後に飲み。日本酒を飲んでしまったのでなんとなく二日酔いか。
毎日夜中に目覚めるのは当たり前になってしまった。寝不足感がある。

身体の状態。肩の疼痛は最近あまり感じていない。チクッ程度か。前はチクッ・チクッ・チクッという感じ。手の痺れはずいぶん良くなった。モノを触った感覚を感じられる。
左腕の自由度は高まった。右肩の後ろまで手を持っていける。真っすぐ上にも手を上げられる。
両腕の筋肉量は増えた。

脚。歩きはしっかり地面に吸い付いて歩いている感覚がある。巧緻運動障害の代表例で出る、階段を降りる時の難、確かにこれまで違和感があったが、ほとんど難なく降りられる。これは歩きが良くなってからのこと。今は駆け降りる練習をしている。
右脚の下腿の痺れは一時よりはマシだ。甲の痺れもあるのだが、緩和してきた。これはこの10日くらいのこと。モモ裏の痛みは少しある。内転筋は時々張る。昨日はけっこう痛かった、理由は解らないが。
左脚は筋肉量が増えた。右と比べて見劣りしない。少しグラつくが、片足スクワットもできる。
足首が柔らかくなった。これは正しい歩き方を習得したからか。

今年、通勤で杖を止めたのは正解だった。
ジムのマシンが変わったことも良かった。
龍王峡を歩いたことも良かった。
すべてを善と考えたい。

今日は居酒屋Qの忘年会。飲みすぎ注意だ。
posted by shigenon at 08:20| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2020年12月23日

巧緻運動障害

また同じような話になるが。
新タバコロードを歩きながら歩行のチェック。やはり片手でも手を後ろに回して引き上げると歩くのが楽になる。昨日は上腕や肩の刺激が足になにかを及ぼしているのではと書いたが、もう一つ可能性としては広背筋が引っ張られること。そんな反るくらい引っ張られるわけではないが、少しは引きあがる。

手を後ろ手組んだ時にどの筋肉がどうなるとかは、柔整師さんとかPTさんなら解明できるのだろうか。
また、それで歩行が良くなるという理由も。
いや、これは自分だけの現象なのだろうか。そうでないとすれば、歩行を良くする治療に活用できないだろうか。

受傷後、左足にスリッパを履くとすぐに脱げるという現象がおこった。これは自分だけだと思ったが、同じような中枢神経を損傷した人もブログで書いていた。
巧緻運動障害というらしい。要は細かな運動ができないということ。今日初めて知ったコトバ。
この巧緻運動をするためには、どこの筋肉が動かないからこうなるという説明をしてくれる医師はいるのだろうか。それとも、様々な症状が出る中の一つだから、そんな説明すらする必要はないと考えているのだろうか。

細かな動作ができないことは受傷した本人だからわかっている。
それが「そうなります」という症状としてハッキリと告知はされてはいない。皆には当たり前のことでも、それが症状として・名前としてあるのであれば知っておきたかった。

こんな言葉も医者は教えない。立つ・歩くだけが最終目標のリハビリ。
「巧緻運動障害になるのは頚髄を損傷したから」なんて誰でも言える。そうなった時にどうやればマシになる可能性があるということを教えることができなければいけないのでは。それが治る可能性があるかどうかは別にして。適切な治療行為とはそう思うのだが違うのだろうか。
リハビリも立つ・歩かせるはいいが、その後のフォローはどうなのだろう。少なくとも頚髄損傷の人で、歩けるようになったならば巧緻運動障害があるから、どこを動かすことを意識して歩いてくださいという指導が必要なのでは。

医療従事者への文句ではない。ちょっとしたことなのだ。知識を学んでその職についていたら、教えられることは教えて欲しいと思うのは自分だけだろうか。
そうかもしれない。自分の職業で、あることに関してはプロだと思っている。その知識を教えてあげて喜ぶ人、関心を持たない人など色々だ。
でも、違うか。疾病は誰もが治したいと思うはずだ。教えてもらえれば嬉しいはずだ。
もちろん、出来ている医師やリハビリ関係者はいるだろうが。

自分に関していえば、色んな事を最初から知りたかった。良くなりたいのは自分、良くなるよう何かするのは自分なのだ。自分が出来ないことは人に依存するしかないが。
「中枢神経を損傷したら元に戻りません」というネットでの検索からのスタート。
ちょっとした身体の変化が大事だ。その変化を大事な事と受け止めて試行錯誤する。それがリハビリだと思っている。それをやるのは自分だ。

日曜日、みんなで飲んでいる時に食べようと思って箸を伸ばしたら、スッと指から箸が抜けてテーブルの下に落ちた。指で挟んでいるつもりで力が入っていない。これが巧緻運動障害だろう。
そうならないためにどうするのか。視認するのも一つ。指の筋肉を鍛える?それが神経の働きに影響する可能性はあるか。指だから、それに影響を及ぼす腕橈骨筋群に何か刺激を入れていく?これは有効そうだが。

このように、現象を知っていれば対策を自分で考えて実践できる。知らなかったから、ただ力が入らないなぁくらいにしか思っていなかった。対策すら考えていなかった。
治らないかもしれないが、何も知らず、ずっと箸を落とすよりマシだ。
他にも、この障害名に合致する現象は多くあった。が、現実にスリッパが脱げるということは、随分マシになった。
これは足首の柔軟性と足裏の使い方が普通に近づいたからだろうと思っている。

だんだん腹が立ってきた。誰かにではない。無知だった自分と、その対策を打てずに過ごした6年に。
posted by shigenon at 08:43| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2020年12月22日

解明求ム

久々に休肝日。
さすがに日曜日に7時間以上も飲み続けたので、1日位は休まないといけないだろうと思った。ただ、酒を飲まないとヒマなのだ。いや、酒を飲んでいたからと言って時間は同じなのだが、手持ちぶさたになる。テレビ番組も何か興味をひくものはない。

昨日書いたが、手を後ろに組んで上げたら歩きやすいということ。
背中が反るとからだというセンセイの見解もあったが、そうではないようだ。今日、外に出ると寒いので足は前に出にくい。両手を後ろにやって上げる。やはり足が進む。
片手ではどうだろう。左手だけを後ろにやって上げる。歩きやすいのだ。

何なんだろう。何度もやってみる。
やはり歩きやすい。ということは、背中が反るとか、肩甲骨が広がるとかが要因ではないのだろう。前腕、もしくは上腕をひねることによって何らかの刺激が足に届くのか。
もしくは肩の後ろへの捻転か。

健常な人がやってみるとどうなのだろう。何か違いを感じるのだろうか。
これを解明すれば肩や腕に刺激を入れることによって、歩きが改善できるだろう。まあ、これは個人的な感覚なのかもしれないが、実際の不自由な患者が感じていることなのだから信ぴょう性があると思ってほしい。

明日は知人と飲み、明後日はQの忘年会。知っている店・知っている人とクローズな空間での飲みだが、飛沫に気をつけて過ごそう。対面での会話、料理の共有を避けることだ。
posted by shigenon at 08:14| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2020年12月21日

3連休を忙しく過ごす

金曜日は有休を取ってゴルフ。
Eさんも僕も車を持っていないのでレンタカー。8時前に出たいが、レンタカー屋は8時から。結局は前日から借りて駐車場に入れるしかなかった。
リハビリゴルフと思いながらもいいスコアを出したい。そう思うと全くカラ回りする。その通りになった。

風があって寒かった。途中から腕がパンパンに固くなっている。これは寒さも関係あるが、十分に腕が働いているのだろう。普段の筋トレで腕の筋肉は付いている。だがそれはマシンの動きで太くなっただけだ。ゴルフなど違う動きで使って初めて付いた筋肉は活きてくる。
受傷前と同じよう、ふつうのスィングでクラブを振る。違和感はない。ちょっと前は左がヘナヘナと力が抜けたのだ。
ただ、焦って打つときはダメだ。腕でなく、上体が安定しない。まぁ、これは障害がなくても同じか。

まあ散々なスコアだった。Eさんは上手ではない。ゴルフは上手な人と一緒に回ると影響されて、ほどよい緊張感で回ってスコアも良くなる。その逆もある。
帰りは渋滞。居酒屋Qでスッポンを予約していた。Qは21時閉店なので焦ったが、19時半には店に到着した。Qでスッポンは2回目だ。元気をつけてどうするか。いや、老体にスッポンを注入しても身体には何の変化もなかった。美味しかっただけだ。帰る時に前かがみになって帰るよと冗談を飛ばしていたのだが。

これは前から気づいていたのだが、歩くときに腕を後ろに組んで上へ上げたり肩甲骨を寄せたり開いたりする。すると歩きが良くなるのだ。
足が前に出にくい時にそうすると快調に歩ける。今は歩きが快調になったとはいえ、今もたまに左脚が前に出にくい時がある。寒さで足がすくむことがある。
先週、何度かやってみたが、間違いなく歩きが良くなる。これを土曜の鍼の時にAセンセイに話す。

胸を張るとか腰が反るといった状態になるからいいのだろうという見解。でも不思議なのだ。そんなに上体を反ったようにしなくて、ただ腕を後ろにやるだけで足が前に出る。
これは健常な人はどうなのだろうか。
ただ言えることは、身体は繋がっているということ。部分治療だけでは良くならない。

土曜日は一人でQへ。今週24日にQの忘年会をする。その幹事なのだ。前もって差し入れの焼酎を持って行った。
店の忘年会を店が主催というカタチにすると色々面倒らしい。誰かお客さんが主催となれば、来たい人だけでやっても店は逃げ道がある。マスターもママも何かやりたいのだ。まだQに行き始めて4か月の新参者なのだが、言われれば断ることもない。

日曜日は沖縄のAさんが帰ってきているので集まることになっていた。15時から飲み会だ。
カラオケスナックYに集合。Yのマスターは急に手が痺れるなどの頚髄圧迫の症状で、僕と同じように頚椎を拡げる手術をしている。症状が出た頃に相談を受けて、説明してあげたことがある。
Yには久しぶりに元居酒屋Kのマスター、Hちゃん、Mちゃん、Sちゃん、Kくん、そしてAさんが集まった。イニシャルにすると訳が分からんな。

けっこう飲んだ。18時までの貸し切りだったので、そのままいつも行くバーへ移動。
ワイン2本飲んで、AさんとKくんと僕以外は先に帰った。それからワイン1本追加。そうやっているとTくんが来た。なんだかんだで22時まで飲んだか。
Yでビール1本、レモン杯3杯、日本酒3合、バーではワイン1本分は飲んだか。飲み過ぎだ、翌日を心配したが、そんなに二日酔いではない。マスクの中に赤ワインの香りがするだけだ。

さあ、もう今週で年内の仕事が終わる。クリスマスやら正月といった雰囲気を感じないのは、みんな同じだろう。もう年賀状の印刷も終えてポストに入れた。部屋の掃除も終わらせた。
そして、息子へのクリスマスプレゼントも送った。今年はセーターとクオカードや図書カード1万分。
それと、自分が何回か着たがサイズがでかくて着られないトミーヒルフィガーのカーデガンも入れたが、これは余分だったか。もう父親の177センチを超えているだろう。
顔も知らない父親なのだ、他人が着たもの的な感覚になるか。
posted by shigenon at 08:42| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2020年12月17日

振り出しに戻れるか

調子は悪くない。
歩きが良くなると中枢神経による他の症状もマシになったような。
疼痛も毎朝起きた時にイタッと声を発するくらいだったのだが、最近気にしていない。手の痺れも幾分よい。今日は今年一番の冷え込みだが、なんともない。

神経の疎通、というか流れが良くなっているのだろうか。以下、大阪大学・分子神経科学のHPから
~
脊髄損傷の7割を占める不完全損傷の場合には、ある程度の運動機能の回復が長い期間のうちに自然にもたらされることがある。これは損傷を免れた軸索が新たな神経回路を形成した結果ではないかと考えられる。実際に、脊髄損傷の後に大脳皮質、中脳、脊髄など様々なレベルで神経回路の再形成が起こり、成体でも中枢神経損傷後の回路の再形成が活発に起こっていることが動物実験でわかってきた。したがって、たとえ損傷した軸索が再生しなくとも、残存した軸索が新たな神経回路を構築することができれば、機能回復につながるのではないかと考えられる。これら中枢神経回路の可塑性ともいえる現象がなぜ起こるのかについては、ほとんど解明されていない。この可塑性ともいうべき現象を制御するメカニズムの解明が進めば、リハビリテーションの概念および再生治療法の開発的研究に新たな視点が与えられるであろう。すなわち神経回路の効果的な再構築をもたらす手法は、有効な再生治療法となりうる。

新たな神経回路が構築されて身体が動く。でも、この新たな神経回路はどうすれば形成されるかが重要だ。
この論文を読むずいぶん前、受傷してリハビリ病院の中で思っていたのは、末梢神経を刺激することで何か中枢神経に刺激を送って変化が起きないかということ。
それだけしか自分が動けるようになる希望はなかった。愚直にそれを実践した。6年近く。
動かすしかないというのが考えだ。神経に刺激を送るには筋肉を通じて、もしくは鍼や電気によるものだろう。

今回の「歩き」は、動けるようになる⇒動きがよくなるというプロセスで他の症状がマシに感じるということは起きるのだろうか。
正しい動きができることによって、神経の刺激が促進されるのだろうか。

「ある程度の運動機能の回復が長い期間のうちに自然にもたらされる」ことを待っている訳にはいかない。それを加速させる術をやらないと。ヨボヨボの爺さんになって、疼痛や痺れが無くなってもしょうがない。

さあ、木曜日。明日は有休でEさんとゴルフだ。今朝の寒さに耐えられているなら、明日のゴルフの気温を恐れることはないだろう。
左肩の可動はほぼ元通り。左腕の筋肉も付いている。昔のスウィングができるか。ヘッドスピードがこれまでよりも出せるかが明日のゴルフの見どころ。もちろんスコアも。受傷前日の88がスゴロクでいう振り出しだ。
posted by shigenon at 08:15| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2020年12月16日

敏感に感じて対応する

熟睡ができない。
前に書いてからずっとだが、2時半や3時半に目が覚める。そのまま朝まで眠れないこともある。
大抵は夢から覚めてハッとして目覚める。これはリボトリールを断薬した3月くらいと同じだ。ただ違うのが悪夢ではないことくらいか。

睡眠は自律神経のバランスだと解っていても、それを日常でなかなか管理はできない。
受傷前、神経の作用、漢方の作用、経絡など、コトバとしては知ってはいたが、理解はしていなかった。これらを意識して身体の変化があったことは事実だ。
でも、健常で普通に生活している人はそれほど意識しない。何か自分の身体にコトが起きてから対処法として実施するのだろう。

それが普通であり、自分にとっても元通りなのだろう。最近は歩きが良くなったので、すっかり健常者気分だ。それでは思わぬ悪化をまねくことを肝に銘じなければいけない。
神経に関わることはずいぶんと調べたし実践もしたが、体内の環境に関する知識はそれほどない。
毎日ヨーグルトドリンクを飲んでいるが、腸の環境が良くない気がしている。

それで“腸まで届く”ビフィズス菌のお試しを買った。
腸内フローラや腸まで届くというキーワードは、よくテレビでもやっているので知っている。ただ試したことがなかった。ビフィズス菌が有効ということも知っている。
ただ実感がないのだ。少しくらい便秘になったり下痢になっても、それが重篤なこととは誰も思わないだろう。ただ毎日の生活の中で気持ち悪いだけだ。
でも、それは身体が発しているSOSかもしれない。

受傷前の自分のことに置き換えれば、ずっと続いていた肩こり・首こり、受傷の1年ほど前からあった首から指先への痺れなど。
それが、頚椎が狭く後縦靭帯が硬化しているなんて思いもしない。受傷の12年くらい前に行った大阪の整形外科の先生だけが、頚椎が狭いので気を付けるよう言ってくれた。

受傷した時は目の上からベッドの背板に倒れたわけだが、その倒れた原因が不明だ。立ち上がって電気を点けた、後は記憶がない。立ち上がった瞬間にめまいを起こしたのか、立ち上がった瞬間に頚髄を損傷して力が抜けたのか。立ち上がった瞬間に頚髄を損傷することはあり得るのだろうか。
運び込まれた病院のI医師に倒れて背板に当たって…と説明したが、その前の倒れた原因が重要だと言っていた。それで立ち上がった瞬間に頚髄が損傷する可能性も思ったりする。
まあ、どっちでもいいことだ、何かが変わるわけでもない。

右半身の上体は痺れて感覚が鈍い。些細な変化を感じ取れない身体だ。それだけに体内の調子の変化には敏感に反応しなければいけない。
posted by shigenon at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2020年12月15日

わかった!

そうだったのかと漠然と思っていたが確信に変わった。
坐骨神経痛が前より格段にマシになった。いつもモモ裏が痛かったのは坐骨神経だ。今は押せば痛みを感じる程度。右側だ。
いつもモモ裏や下腿を自分で押していた。その爪跡が参考になると鍼のAセンセイにも言われていたが、最近は爪痕が無いですねと言われた。

歩き方が変わってからだ。
踵から着地、足先から抜くということはずいぶん前から解っていながら、間違っていた。足が後ろになった時に足首が前傾になっていなかった。足首にギブスをしている人のような歩き方だった。
それに気づいて、両足を意識して歩いている。
右脚を指で押さなくなったのはそれからだ。

センセイと話していて、右脚が頑張りすぎていたからかなぁというコトバが出た。
その通りだったのだ。このブログを始めた頃にも何度も書いているが、右脚に力を入れて地面を蹴って左脚を無理やり前に出す歩き方。そのうち、カッコよく見えるよう歩く。そんなに極端に見えないよう・自然に見えるように右脚の力で左足を前に出すようにするには、右のお尻に負担がかかる。
左足が地面に付く時に“ペッタン”となるのは、右脚が左脚を引き上げて、左脚に十分な力が入っていない証拠だ。

これが坐骨神経痛の原因だったのだろう。
左脚に少し力が付いた頃でも、習慣的に右脚に力が入る歩き方だったのだろう。これは、足の蹴り方を意識し始めてよく解った。歩くときに左脚をうまく使えていなかったことが。それに加え、ペッタンとならないようにするには、どこにどう力を入れたらいいか考えたことも重要だった。
左脚の足首もほぼ前傾することなく歩いていた。それが、歩き方を変えてから足首が使えて、少し柔らかくなった。今でも前脛骨筋が張っている。
地下鉄を降りる階段でよくわかる。前は降りるときに左足首が前にいかなかった。今は完全ではないがスムーズに降りられる。少し駆けても大丈夫だ。

タバコロードが変わって、1日に歩く量が2000歩くらい増えたことも歩き方チェックに役立った。
完全に坐骨神経痛が無くなったわけではない。昨日も湯船の中でお尻を押したら痛みはある。モモ裏も。
だが、マシだ。やはり無理な力が一方にかかると身体は何か異変を起こすのだろう。
これまでかかった整体師は言っていた。左右のバランスが大事だと。それだけではないのだろうが、まさにそれを思っていなかったのだろう。

でも仕方ないのだ。優先順位で言うと、歩けること⇒転ばないこと⇒普通に見えるよう歩ける、といった考えだったのだ。次のステップに進めた。持続的に正しく歩くというステップに。
posted by shigenon at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2020年12月14日

週末もろもろ

いつもの週末だ。
金曜は帰りにT君の事務所を見上げたら(駅を出た交差点すぐに東京の事務所はある)、椅子に座っているT君が見えた。久しぶりだ。事務所に寄って話をする。
とうとう中央競馬の馬主になったようだ。今は地方競馬で30頭くらい持っている。

その後、Eさんと待ち合わせて居酒屋Qへ。Qで飲んだ後、火曜も行ったスナックへ行く。帰ったのは1時を回っていた。
土曜はジムと鍼。金曜に歩いていて気づいたこと。左脚の息継ぎのような一回沈み込む感じと足の親指側が垂れる状態は少しマシだが、こうなる原因として左脚が後ろにいったときの踏ん張りが弱いのだろうと感じている。
その踏ん張りはどこの筋肉かというと、内側広筋か。縫工筋かもしれないが。

そういう話をAセンセイに言って、左脚の鍼を増やしてもらった。太ももには2本、かなり深くまで入っていた。5センチくらいだろうか。
その後、土曜も居酒屋Qまで10分歩いたのだが、その打ってもらった箇所が効いている。刺激が入って、そのあとに動かして何か感じるのは経験上良いことだ。

土曜に散髪に言った。1000円カットだが、今は値上げして1200円。
ここには長く行っていた。たぶん、東京へ来て何軒か散髪屋を変えたが、最初に行ったのは16年くらい前だろう。それから自分で毛染めが面倒になって美容院に行っていたが、毛染めを止めた2年前からはここに来ていた。
待っていると「12月30日で閉店」というお知らせが貼ってあった。ふつう散髪屋は色んな世間話をしながら髪の毛を切ってもらうが、1000円カットなのでそんなに話をしない。が、何度か話をしていた。
店主に「閉店なんですね」と話しかけ、店の更新が年末までで更新が3年ということ、沖縄出身で両親も歳なので戻ろうと思っていることなどを聞いた。
最後の散髪になるのだが、いつもより丁寧に、何か感謝をこめたようにカットしてくれた。それが十分に伝わった。最後にお元気でと別れた。

日曜は午前からおでんを仕込んだ。Eさんからスジ肉をもらったのだ。
大根やこんにゃくの下茹でなど面倒くさいことをこなし、結局は2つの鍋になった。これだけの量を食べるには4日かかるだろう。
作りたいという思いで作ったが、量を考えないと。一人ではやはり料理は非効率なのだ。

日曜日の英会話。3か月の期間が終わり1か月休んで次は1月15日から。
これを英語で言って次は1月ねとA講師と別れた。先にメリークリスマスとハッピーニュイヤーとお互いに言って。少しは英語の会話ができるようになったか。

さあ月曜日。今週の金曜日は有休をとってEさんと二人でゴルフ。
posted by shigenon at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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