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2022年01月07日

運動神経と感覚神経

予想よりかなり雪が降った。
昼過ぎに帰ってジム。この時にはもう積もり始めていた。ジムを出ると5センチくらいは積もっていたか。滑らないよう足を真っすぐ上げて足裏全体を地面に着ける。
雪道で滑った記憶がよみがえる。34年前のすすきの。札幌に転勤して呑みに行く途中に転んだ。遠くから見ていた女子高生から「オジサン転んだ」という声。オジサンではない。いつも若く見られていた、しかも24歳だ。これがショックで記憶に残っている。転ぶ行為自体がオジサンなのだ。
この頃は歩き方なんて考えることもなかった。どの状態の路面を歩いたらいいかくらいだ。数十年を経て歩き方をこれほど考えることになるとは想像すらできなかった。

昨日書いたこと。解りづらく読みにくい文章だ。
寒くて左脚が固まってしまっていたことが殆どなくなったということ、そして固まってもなんとか動かせる状態にできるようになったということ。
昨日、更新してからタバコロード。寒さを感じたのだろう、左脚が少し動かしにくい。意識すればするほど動きにくくなる。頭の中で考える、左脚に過剰な命令がいっているからかと。
車も人も殆ど通らない道だ、スマホを見ながら歩いた。そうすれば左脚の動きがスムーズに。
やはり意識を他に移せばいい、つまり動かそうと意識しないこと。
これはゴルフのスウィングやパターをする時と同じなのだ。

スポーツで力が入るというのはこういうことなのだろうか。
筋肉を動かす命令なのか信号なのか。これがたくさん発令されて筋肉が戸惑うイメージ。合っているのかどうかは不明だが。
“動かすぞ”という命令をせずとも動かせるのは、その筋肉がちゃんと動くから。
自分の場合は歩くためには“動かすぞ”という命令が長い期間必要だったのだ。そして正しい動き方をする習慣をつけた。ずっと意識して歩く行為をしていた。
それを意識しなくても足が動いて歩けるという感覚がこの前から書いている「歩く運動神経」。

いつも思う。自分が実体験してから調べると、もっと早く知っていればという事が多い。
今、運動神経を検索してまた思った。今初めてだ、詳細なことを知ったのは。
運動神経=筋肉を支配する末梢神経で,中枢の興奮を末梢へ伝える遠心性線維から成る。興奮を末梢から中枢へ伝える感覚神経に対する。自律神経系の末梢神経 (血管運動神経など) も運動神経に含める場合があるが,ふつうは脳脊髄神経系に属するものをさす。

つまり運動神経と感覚神経を理解しながらリハビリを進めれば、自分が今何をどうすればいいかがよく解ったのだろう。
詳細なコトバの意味やその働きをキチンと理解することで仮説が立てられる。その仮説を元にリハビリ
をして検証する。もちろん、その患者が理解できていることが絶対条件だが。
それが現状はなされているだろうか。
どうせ説明しても解らないだろうから簡単なコトバで患者に説明。悪いことではないが。
こう身体を動かしてくださいという指示だけのリハビリ。少しはどこかの動きが良くなりますからという説明はあるだろうが。

悪いことではないのだ。
でもそれは“センセイ”のいう事をやっていれば大丈夫という過信。神様ではない。
悪く言えばセンセイが自分の地位を高めるために使える手法でもある。知識のない患者が最下層に来るヒエラルキー。サラリーマンの世界でもよくあることだ。
立派なセンセイは沢山いる。自分の思う立派なセンセイはちゃんと詳細に、患者の理解力も加味して説明できる・指導できる人だと思うのだが間違っているのだろうか。
でもその人たちは実際の症状がある訳ではない。実際の症状のある人が知識を持って検証していって確信し説明できることこそが治療やリハビリが進歩していくことなのだろう。
しかし改善した患者が説明できる機会などない。ヒエラルキー。

ほとんど知識のなかった自分。運動神経と感覚神経、それを司る筋を何かすればまだまだ改善できるという希望が持てた。その何かすればが何かだが。
posted by shigenon at 09:47| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年01月06日

震えても動くか

昨日は8139歩の歩行。通勤・タバコロード、そして帰りに居酒屋Qに寄った。
年末年始と外にあまり出ていないので寒さをあまり感じていなかったので寒さが沁みる。寒くなれば身体が固まって左脚が動かなくなる。またそうなったと書いたのは今冬の始め。地下鉄を降りる階段で足首を伸ばすとマシになるとか書いた。
その状態に暫くなっていなかった。寒くてブルブル震えていない。

そのブルブル震えるという状態も異常な震えだった。
震えは左腕にきていた。左右10センチくらいに大きく震える。自分の意志で止められないのだ。もちろん寒いから震え始めるのだが、それをコントロールできないまでに震えていた。
これはいわゆる片麻痺の症状なのだろう。中風。
その状態になると左脚が動かなくなっていた。腕が震えなくても寒いと左脚が動かなかったのは片麻痺なのだろう。

年末に父親用にゴムの運動具を買った。手にもって伸ばして運動するやつ。セラバンドの太いタイプ。
両手を上げて左右に伸ばすと手がプルプル、荷重に対して筋肉が頑張っているのだろう。
その時に両腕が大きく震えた。寒くはないのに。
筋肉を動かそうという指令が大きくなるとプルプル震えるのかなと仮説。
寒くて震えが始まる時もそれを抑えようと脳が筋肉に過剰な指令が行き震えるのだろうか。
この時はバンドを緩めると震えは収まった。ただショックだったのはそんな風に震えることが自分の症状としてあるのだ再認識したこと。どう克服できるか考えないといけない。

昨日、タバコロードはビル風で寒かった。普通の人くらい少し震えた。
少し左脚は固まりかけるのだが、前のような不自由な動きにならない。大きく震えていないからか。いや、この感じの時に腕は使っていないから震えなくても左脚は固まっていたはずだ。そんなに気になるほど動きが悪いわけではない。
少し左脚を前に出す時に少し違和感がある。踵着地でなく上から着地になる。左下腿がうまく前に出ていないのだろう。脳の中をからっぽにした。過剰に命令して脚を動かさないようイメージ。
なんとなく左脚の動きがスムーズになる。前ほど左脚が固まったようにはならない。

12月20日過ぎから歩く運動神経自体が回復したのではないかと書いた。右下腿の痺れが緩和しただけでなくそういう感じを持っていた。なぜなら右脚だけでなく左脚も自然と脚を繰り出せているから。
そこで気になっていたのが先ほどの寒くて固まるという状態。この状態にまだなるのかどうかを確認したかった。
タバコロードを昨日は何回か往復したが、左脚に不自由感を感じたのはその時だけだった。

そういう理由で帰りに居酒屋Qに寄った。
Qからの帰り道は長く、しかも寒いだろうと。平日なので深酒はしないが、軽い酔いでどのような歩きになるかもチェックしようと。
まあ、それだけでなく帰ってもつまらないしという気持ちもあったが。その気持ちが9割か。
帰り道、寒いが左脚が不自由になることはなかった。軽い酔いだったが、全く素面の時と変わらない歩き。歩く運動神経が回復し、脚の片麻痺は消えたのだろうか。いや安心はしてはいけない。

今日は昼から外出して直帰。ジムに行く予定。
歩く運動神経は回復したように思うが、やはり動く脚を鍛えないといけない。筋肉は身を助ける。
それと年末年始太り。体重を測るのが怖い。
posted by shigenon at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年01月05日

日課

昨日帰京。
何もしないことをのんびりと言うのならのんびりした。大阪での仕事を終えてSNSで知り合った友達と呑み、30日には久しぶりの同級生との呑み。
S君の家に酒や総菜を持ち込んでの呑み会。さながら学生時代に戻ったようだ。学生時代は帰省の度にS君の離れの部屋で呑みながら麻雀か賭けトランプをしたものだ。

2日には両親、姉家族と近くの海が見えるホテルで過ごした。2人の姪がいるが、彼女たちがこの恒例の旅行に2人揃って来たのは初めてか。
そうだ、上の姪が結婚するという報告を年末に受けた。たぶん38歳かな。もう結婚はしないものと思っていたが。転勤の多い仕事だ。東京、茨木、東京、札幌、東京、NY、ベルリンと何度引っ越したか。今は東京に戻っている。結婚式はしないという。
思い出したことがある。姉が結婚するときに父親の弟、つまり叔父さんがすごく喜んで結婚式で歌を歌った。後で叔母さんに聞いたが、カラオケでずっと歌う曲を練習していたという。叔父さんにとって最初の姪である姉がすごく愛おしかったのだろう。その気持ちを感じた。
大好きな叔父さんだった。高校生の時にこっそりウイスキーをくれたこともある。とても残念なことに交通事故で亡くなった。僕が大学4年の時か。これから一緒に楽しく呑んだりできるはずだったのだ。
その叔父さんの遺品のゴルフクラブを貰ってゴルフを始めた。

実家で過ごして感じたが、両親の日課が変わった。
父親は歩くことが難しくなってはいるが、午前中に家の周りを1周だけ歩く。母親はそれに付いていく。あとは整形の柔整師と訪問で来てくれているPTさんから指導された筋トレ。寝転んで脚を動かすことと椅子に座ってモモ上げ。父親の脚の筋肉はかなり落ちているのだ。
我が家は昼食後に昼寝をする習慣がある。小一時間ほどだった。それが1時間以上になっている。2時間近いか。あとはずっとコタツに座っている。テレビもつけてはいるが見ているのかどうか。新聞や広告を何度も読んだり、株価を気にしたり。

これまでは時間があればずっと庭の畑。あとは近所を歩きに行っていた。目標は1万歩。それと週に何回かのグラウンドゴルフ。母親も同じようにしていた。
これまでと全く違う日課になっているのだ。
動きづらいということでこれまでの日課が変わり、さぞストレスかと思う。だが見ているとそれで1日が何事もなく終わっているのだ。特に1日の過ごし方にストレスは無いようなのだ。

日課とは1日に課せられたこと。という理解をしていた。どちらかというと受動的な意味と思っていた。違うのだ、受動的ではなく能動的なのだ。
「毎日決めてやること」が正しい。
だからこれまでやっていたことが変わって新しい日課になれば、それで過ごすことに慣れるのだろうか。
自分を思った時に、コロナ禍の在宅勤務。少ない業務をこなして昼のウォーキングと夕方の相棒の再放送。それが日課だ。そしたらその生活に慣れてしまった。
たまにウォーキングをサボる。その日の気分で行動する。これもその日の気分で考えようという日課なのだろうか。
今思うと不思議なのだが、ブログさえ家にいると書こうという気がせずに更新が滞った。自分にとっては能動的よりも自身に何をやらないといけないと課さないと怠けてしまうのだろう。

今日から仕事始め。
身体の状態はどうかというとルーティンの生活を送らないと評価しづらい。通勤やタバコロードを歩くこと。こうやって身体の調子を思うことも平日の日課なのだ。
posted by shigenon at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年01月01日

謹賀新年2022

明けましておめでとうございます。
12月28日に大阪出張を終わらせ実家へ。今回は1月4日までいるので元旦はちょうど真ん中。
相変わらず実家では呑んで食べてで動いていない。

父親の様子は12月の最初から変わりない。
曲がった膝は体重をかけると痛いようだが、少しの距離は歩ける。
家の周りを散歩はするが、それ以外はコタツに座っている。
それよりも母親に不安がある。
朝言ったことを夕方には覚えていない。食べようと用意していたものを調理していない。

前から冷凍庫に入れたままの古い食材があったりと、色々と気になる傾向はあったのだが。
父親が調子悪くなって、それにかかりきりになっている事もあるのか、目の前のことは問題なくできるが、物事を組み立てて考えることが弱くなっている。

まあ歳なのだ、これを現実として受け止めないといけない。
寝たきりにならず、生活が送れている事に感謝しないといけないのだろう。

身体の調子。
ほとんど動いていないのでどうなんだろう。寒いからだろうか、両手の痺れは強く感じるがこれは手が冷たくなっているだけか。
脚は寝ている時に少しは痺れがあるが、年末から変わっていないか。

さあ、今から近くのお寺に歩いて行ってみよう。少しは歩かないと。
posted by shigenon at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年12月27日

感覚が変わる

やはり感覚が変わった。
これまでと歩く感覚が違うと先週から書いているが、まさにそう。歩くという意識をしなくても歩いている。これまで常に意識していた。1歩1歩。さあ脚を出そうという命令をしていた。
それをしなくても歩いている。長らくなかったふつうの感覚。脚の痺れはあるが。
右足裏・右下腿の痺れの緩和で変わったと思っていたが違う考えもある。「歩く」という運動神経の回復。あまりいいことばかり言ってもまた泣きつくかもしれないが。

中枢神経には様々な神経がある。
温度や痛覚という感覚神経だけでなく運動神経も通っている。運動をつかさどる運動神経は脊髄の外側を走る皮質脊髄路(錐体路)という部分を通っているらしい。
これまで中枢神経は単なる脳の指令を末梢神経に伝達するだけかと思っていたが勉強不足だった。
その中枢神経の中に歩行を司る神経もあるのだろう(と思う)。
その歩く運動神経が少し回復したのではないか。いや、損傷した中枢神経は復元しない、何か代替機能が出来たのか。

足裏や下腿の痺れが緩和したから歩けるようになったと思っていたが、歩く運動神経のシナプスが形成されたから足の裏や下腿の痺れが緩和したという考え。無理があるだろうか。
痺れは感覚神経。歩くという行動は運動神経。これまでは脳が歩けという命令を無理やり末梢神経に届かせて脚の筋肉を動かしていたイメージなのだ。
その感覚が変わった。

土曜日の鍼。今年1年の変化を記して持って行った。
やはり何がこのように影響したかと言うと鍼の要因は大きいと思う。今年を振り返ったが、何を変わったことをしたかというと足裏の鍼。またその足裏の鍼が打ってもらった瞬間に“効いた”という感覚があったのも事実なのだ。
Aセンセイとも話した。これまでにもお互い思っていたこと。
末梢からカラダを変えられるのではないかという仮説。
自分が受傷して拙い知識で思ったことは、末梢神経を刺激したら中枢神経に何らかの影響を及ぼしてくれないかという希望。「中枢神経を損傷したら元に戻りません」という検索での死刑宣言を受け入れられなかった。
センセイはPNFという。もう既に治療法として研究されていたのだ。自分の勝手な希望的観測は既に研究されていた。ただ、それがどうやって効果や結果を導かせられるかだ。

何がどうなって今の良い状態になったか。それが判れば近道ができるが。
たぶんに複合的な要素がある。鍼、筋トレ、漢方薬、脳の意識など。
それをセンセイと話すが、お互い判りはしない。鍼でも、ここに打ったら効きますよと言い切れる箇所はない。ただセンセイには見える感覚があるのが不思議だ。オカルトのようだ。この日もそうだった。
現時点で改善されたのは事実だ、頚髄不全損傷の後遺症で不自由な身体の人への希望になればいい。
完全に元通りになった訳でもないのにこんなことを書いているのだが、、それくらいの変化なのだ。

金・土と居酒屋Q。帰りに酔って歩いても今までとは違う。
日曜は久しぶりの掃除機。年賀状を終わらせようとしたが、インク切れ。純正でないインクを買っていたのだが、それをプリンターは認識しない。
明日は大阪出張、そしてそのまま友達と呑んで帰省。
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2021年12月24日

7歳の誕生日

受傷から丸7年を迎えた。
2017年5月からこのブログを始めている。ということは受傷3年半後だったのだ。少しは症状に慣れた頃だったのだろうか。
過去の身体の状態や症状はあまり覚えていない。痺れと疼痛は今でもあるので、過去にどれくらいの強さだったかは解らなくなる。痺れや痛みが消えてしまえば、痛かった・痺れていたという感覚を持つのだろうが。記しておいて良かったと思う。
とはいっても、右下腿や足裏は最近でどんどん痺れが強くなったのだけは間違いない。前は正座で甲が地面に当たっても痺れていなかったし、青竹踏みをしてもそれほど無感覚ではなかった。

この7年は苦痛だったのかどうか。
全くそんなことを思わない。もちろんこんな身体になったこと自体は悔しさがあるが、起きたことは仕方ない。この7年をどう過ごせたかと考えれば、自分で自分を褒めてあげたいことしかない。それは主に仕事か。それは仕方ない、サラリーを貰って生活しているから生業だ。自己満足の域を出ないのかもしれないが、きちんとアウトプットされた多くの事がある
じゃあプライベートはどうか。元通りの身体を取り戻すことが中心ではあったが、それなりに元通りの生活パターンになったのでは。ただコロナ禍という環境の変化はあるが。
「身体がこうなったから」という言い訳をしない自分を目指したし、それを実現できたと思っていいか。

昨日、ふと思った。
受傷した状態は、朝トイレで目覚めて照明を点けようと立ち上がり、そのまま倒れてベッドの背板に目の上をぶつけて首が反れた。頭がベランダ近くにして倒れていた。
初めて思ったが不思議なのだ。ベッドの背板はベランダ側。照明は足首あたりの位置の上。引っ張って点けられる様ヒモを垂らしている。トイレは足の方向。
立ち上がって照明を点けてからの記憶がない。この時に立ち眩みだったのではないかと自分で推測。
しかし、足元に立ち上がってなぜ背板の方に倒れるのだろうか。ありえないのだ。
ベッドの高さが膝の裏くらい。立ち上がる時に膝の裏に当たって身体が回転したのだろうか。

どうでもいいことだ。これまで一度もこれについて思ったことはなかった。
そんなことを悔やむくらいならスクワットを10回やろうと思ってきた。
これは最近右足裏や右下腿が調子いいからこんなことを思ったのだろう。人間だれしも調子が良ければ調子に乗ってしまう。全ての事柄において。
慢心・過信。ここに隙が生まれる。

調子がいいからこそ、ここでもっと進まないといけない。
そう思って筋トレをすれば荷重も軽く感じる。最近は全て重く感じていた。これは悪い慣れだ。
とにかく次の7年後は65歳。この時にまわりの65歳のオッサンよりも体力・気力が大幅に上回る自分でいよう。
ただただ今日だけは自分を甘やかせたい。Happy Birthday to me. 7歳だ。
posted by shigenon at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年12月23日

友と集まる予定

自然に歩けている。
何かを考えなくても足が出て動く。これまではさあ足を出すぞと命令していた。例えば右足だして踏ん張って左足といったような。命令しなくても足は出る状態にはずいぶん前からなっていたのだが。しかし命令しないと動きが悪い時があったからそれが習慣だったのだ。
今はそうしなくても足が動く。
痺れが緩和しただけでこのようになるのか。何かが少し変わったような気がする。

健常な時と全く同じではない。
もちろん緩和したとはいえ痺れは残っている。左脚もちゃんと動いているとはいえ、たまにガックンとなりそうな時もある。ただこれまでと違うのはしっかり歩けていることに加え、何かちがう感覚なのだ。自然というコトバしか思いつかない。
そういえば昨日、足先を地面に叩く動作が自然と出た。リズムを取る時にやる動作。
たぶん受傷後はじめてこの動きをしたのではないか。

日曜日のゴルフの最中に電話がきた。
同級生のS君だ。同級生の仲が良い5人とは帰省の度に会ってゴルフをした後に呑んでいたが、このコロナ禍でそれもままならなかった。今年は1度も集まっていない。
S君は仕事柄休みが取りにくい。が、今年の年末年始はまとまって休みが取れるようだ。
30日に久しぶりに集まろうかという話。しかし集まる店が無くなった。
いつも集まっていたスナックEはこの夏にマスターが亡くなり、店は無くなった。

S君がウチでやろうと言い出した。
S君の両親はこの夏から施設に入った。父親は寝たきり、それを介護していた母親は痴呆になった。しばらくは彼が面倒を見ていたようだが、もうどうしようもなくなったようだ。
学生時代、彼は離れのプレハブに部屋があった。家の中でなく離れに部屋があるというのは憧れだった。親の干渉を嫌がる年ごろだ。よくそこに集まった。呑んだり麻雀をしたり。
彼の両親が施設に入ると聞いたこの夏、まだ彼は離れに住んでいた。
もう一人になっている。離れから母屋に引っ越したのだろうか。30日、久しぶりに友が集まって呑めるのが嬉しい。

今日は木曜日。早く帰ってジムに行く予定。
やはり筋肉は身を助けるのだろう。転ばないよう踏ん張れる筋力は維持しないといけない。
posted by shigenon at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年12月22日

父と息子

足裏の感覚があるので少し間違った歩き方に気づいた。
正しい歩き方は、着地は踵から着いて、足の外側から小指の付け根から親指の付け根に流れるイメージ。そして親指で蹴る。
どうも親指で蹴ることばかり考えて足裏の全体を使っていなかった。内側だけを地面に着けて蹴っていたか。そして蹴ることを意識してか、母指球に負担がかかっている。
これまでは痺れというより無感覚に近かったからはっきり解っていなかった。

足裏・右下腿の痺れは一番緩和したと感じた時よりは痺れがあるか。でも気にならない。
それ以上に快適な歩行ができている。言い方は変だが、一生懸命に歩くことを考えなくても歩ける。
その他の状態、肩の疼痛は辛いほど感じないし手の痺れもそれほど強くない。これは状態が変わったのではなく慣れによるものか。
夜中に目覚めた時に軽く脚が痙攣するのが気になる。右も左も。脚を曲げれば痙攣は収まる。何か症状が出てもすぐ対処法を見出だせるようになった。

昨日姉からラインが来ていた。父親の腎臓結石、外からの粉砕でも十分に取れなかったようで内視鏡手術になると。どういう手術なのかすぐに調べた。
要は内視鏡を入れて粉砕して石を取り出す。リスクは色々とあるようだが、日常的に行われている手術のようだ。心配なのは全身麻酔。
まあこれも日常的に行われているから心配することはないか。ただ90歳と高齢なのだ。
しかし石が無くならない以上、尿管に管を繋いだままになるのでやらないといけない手術なのだろう。
1月13日に手術だという。実家に帰った方がいいかどうか電話すると病院の付き添いは一人だけだし、入院中は面会できないようだ。コロナ禍での対策。

電話した時に父親はぶら下がり健康器を使いに別の部屋に行っていた。
ぶら下がり健康器は大昔に流行った。1970年代半ばか。父親は健康には最大限に気を付けて生活してきたのだ。健康の月刊誌や健康グッズ、そういったモノには目がなかった。だから今回の腎臓結石も必ず乗り越え、膝関節痛もこれ以上悪化することなく元気になると信じている。

昨日は息子にクリスマスプレゼントを贈った。
どのおもちゃがいいかなとトイザらスに行ったり、アマゾンで科学の実験道具を探していたのはついこの間だ。もう高校1年生、贈るモノが見当たらない。
クオカード、図書カード、面白そうな本。本はこのために選ぶ。小学生の時にアガサクリスティを送ったら気に入ったようだ。たぶんミステリー系が好きなのだろうか。父の遺伝子を引き継いでいてそうかもしれない。
そして服も送る。気が引けるが、自分が着なくなった服。
Hard Rock Caféのラスベガスの刺繍が背中に入ったGジャン、Calvin Kleinのダウンコート。
父親のお古ってどうなのだろうか。しかも会ったこともない父親だ。入れない方が良かったか。

もう1週間もすれば年末休暇。
あと年末までにやり残したのは年賀状と掃除くらいか。
posted by shigenon at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年12月21日

かさぶたのように

最近は0時半と4時半の2回目が覚める。
トイレが近くなっている。目が覚めると右下腿と足裏の痺れが強くなっていなくてホッとする。
横になっている時は足裏と甲がジンジンしている。悪い感覚ではない。これまでが無感覚だったから違和感がある。右下腿はポカポカしている。実際に左足で触ると温かい。
まだ何か変化をしているのだろうか。鍼が終わったその日だったらこういう状態は解るのだが。
1日動かした後に自動修復しているような深夜の右下腿だ。

ゴルフ後に歩きの調子が良くなることは何度も経験している。
これはゴルフシューズがより足にフィットしていることと裏にスパイクがあることも関係しているだろう。それと歩く場所が柔らかい芝。地面に足が食い込み、良い蹴りだしができる。
歩くために必要な筋肉は足を着いた時と蹴りだす時で違うが、ほぼすべての脚の筋肉を使う。それ以外ではお尻の筋肉や脊柱起立筋。

それだけでなく、ゴルフクラブを振るという行為も調子が良くなる要因だろう。
ゴルフクラブを振ることは全身運動だ、必要な筋肉は肩や腕、脚の大きな筋肉もそうだが、インナーマッスルも使う。ただそれは理想のスウィングだろうが。
自分の健常な時にどうだったかと言うと、全て左側の背中、腰、腕、脚の外側の筋肉が痛くなっていた。これらの筋肉を使うだけでも歩くことには影響していると思われる。

歩くことや立つことの脚に関わる不安は大きく改善した。
これは右足裏や右下腿の痺れが改善したから起きたことなのだろうか。もしかしたら損傷した中枢神経が再生したのではないのかという希望を思う。
頚髄の損傷による痺れは足から始まる。手からは始まらない。それは脊髄の表面部分に下肢の感覚神経、内側部分に上肢や手の感覚神経が通っている。そのため外側からの圧迫である損傷では足が先で、その深度によって上肢や手に障害が起きる。
損傷した脊髄が外側から修復され、内側も修復する。擦り傷でかさぶたができるように。
そんなことはあり得ないだろうが。

しかし右下腿の痺れの改善で左脚もよく動くようになっている。いわば下肢の運動神経が改善されたのだ。右が良くなったら左も良くなるという関連性もあるが、不思議だ。
それに加え日曜日のゴルフ。ちゃんとクラブが振れたのだ。もしかしたら上肢の運動機能も知らず知らず改善されたか。
これで手の痺れがかなり改善されれば、たぶん他に例をみない回復例ではないだろうか。

夢物語。調子の良い時くらいは夢を語っても良いじゃないか。
「一度損傷した中枢神経は元に戻ることはありません」
入院時にスマホで検索してキズついた検索結果。このコトバを受け入れたくなくリハビリをした。しかし常に頭の片隅にあるコトバ。
症状固定。これも腹が立つコトバだ。
中枢神経損傷者の常識を大きく変えてやる。まもなく受傷した日から7年目を迎える。
posted by shigenon at 08:28| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年12月20日

普通にプレー

金曜日はサイゼで本を読みながらワイン。
ファミレスで2時間も過ごしたのは初めてだ。老後の時間の潰し方の参考になったか。帰って焼酎を1杯飲んだら眠くなった。
せっかくの週末といっても、一人だと寂しい。一人での過ごし方が慣れたといっても基本はすることがない。いや、掃除・片付け・年賀状などやることはいっぱいなのだが、やる気がしないだけ。そんな時は寝るに限る。

土曜は沖縄のAさんが帰京したのに合わせて呑み会。ジムを終わらせ15時から。鍼は休んだ。
Aさんは元気そうだった。急に記憶などがおかしくなって入院したのが1か月ほど前。今回は冗談めかして皆と合うのは最後だから帰ってきたといっていた。
いつも集まるメンバー、久しぶりに元居酒屋Kのマスターも顔を出した。会ったのは2年ぶりくらいではないか。
いつも通りのゲラゲラ笑う呑み会。Aさんは少し脳の働きが付いていかない所もあるように見えたが、ほとんど変わらない。聞くとAさんの病名は「心原性脳塞栓症」だった。調べるとかなり深刻だ。
翌日曜日は早い時間から出発のゴルフなので18時過ぎに別れる。

日曜日は料理屋Hのコンペ。11月にやったばかりだが、忘年コンペとして。
ゴルフに対しては期待もしていなかった。ちょっと前だとゴルフで身体がどう変化するかとかすごく期待があったが、右下腿の痺れが緩和されただけで喜んでしまっている。これは反省すべきことなのだろう。ただ日曜日は最低気温‐4℃予報で、ゴルフをやる気がしなかったことも事実だ。
こんな寒い時にやるゴルフは久しぶり。健常な時でもやらなかった。
寒さ対策だけはしていたが、後は何も考えていなかった。例えば寒さを感じて左脚が動かなくなるとか、左腕が前に固まるとか。
そう思わなかったのが良かったのか、『普通にプレー』できた。寒い、寒いとみんなで言いながら。

不自由な自分の身体を忘れていた。痺れているのか寒さで感覚が無いのか解らない状態だった。寒さによる感覚なしの方が強かった。だからだろうか。
何も考えずにサッサと打っていく。打ったらカートに座る。それを繰り返していて気づいた。
何の苦労もなく歩いている。確かに最近は特に意識しなくてもちゃんと歩けていた。しかしそれは平坦な道路。ゴルフ場のようにアンジュレーションのある所は脚を踏みしめてまさに歩いた感を感じていた。それが苦も無く歩いている。痺れより強い寒さの無感覚の中で。
それと何も考えずにクラブが振れて、そのあとの違和感がない。

前にも書いたように、身体は健常な時のクラブの振り方が自然に出る。それが身についているから。
だから不自由になってクラブが振れなかった。左腕がうまく使えなかった。だから意識して右手を使っていた。でもその打ち方を毎回忘れて、元々の打ち方で打って失敗が多かった。
今回はそれを思うことなく普通にクラブを振っていた。クラブを振った後の違和感がなかった、ただ健常な時のようなヘッドスピードはないが。
寒いしグリーンは凍っている。ふつうはグリーンに止まる球も大きく跳ねる。
そんなミスがあっただけなのだ。あとは『普通にプレー』をしていた。

2,3ホール回ってそう思った。そう思ったらミスが出る。それがゴルフであり普通のプレー。
試しに全く振れなかったフェアウエイウッドを使った。ちゃんと使える。健常な時よりも使えている。
スコアは良いわけではなかった。それ以上に皆が悪かった。
結果は準優勝。それはそれで光栄なのだが、『普通にプレー』したことの実感を未だ持っていない。
落ち着いて思い起こして考えるべきことなのだ。
昨日は店で表彰式、そして2次会で中華屋。何かを思う時間もなかった。

深夜に2回目覚めた。右下腿はここ最近の中では痺れているか。
右下腿だけでない、左脚も少し違和感がある。腰から下の筋肉神経が興奮しているような感覚。それは仕方ない、筋肉を使った。腰が安定していたからクラブがちゃんと振れたのだろうか。
特に筋トレを変えていない。前回の11月のゴルフ後にやり始めたのは左腕が振り切れるようになったのはラットプルダウンだけだ。そういえば健常な時はいつもやっていた。
広背筋が何か関係するのだろうか。
posted by shigenon at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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