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2022年02月07日

予期せぬピクピク

坐骨神経はお尻から足裏まで影響する。
腓骨神経、総腓骨神経、足底神経と。土曜日の鍼では坐骨神経痛が酷いと訴えた。2週間ぶりの鍼。
この日は右足裏・甲にかなりの本数。いつもは内側が中心なのだが外側も。
センセイもこれだけ足裏に打つことは初めてのようだ。写真をパシャリ。そう、ふつうは打たないような打ち方が多いのだろう、よく写真を撮る。お願いして自分のスマホにも収めてもらった。

いつも仰向けでの治療が最初だ。
仰向けで脚と手。その後はいつもうつ伏せなのだがこの日は右横向き。お尻が痛いと言ったのでお尻に打つのだろう。
お尻の肉は厚いので届かない感覚。右腰とお尻に連打。そしてパルスを使うという。
パルスはここではあまりやらなかった。ほんの数回か。今年からパルスを使っていくと言って1度やったがそれっきりだった。

腰とお尻に繋ぐ。
お尻がピクピク動く。パルスの効果自体はよく解らないが、筋肉が動くことによって血流が良くなると理解している。それとピクピクすることで効果がすごくあるように感じる。
パルスをかけながらセンセイと話していた。途中でパルスが途絶える。付け替えて再び復活。
再びパルスが途絶えた時、センセイがお尻の鍼を深く入れた。その時に足先まで少し響いた。そして再びパルスを入れる。

そしたらお尻だけでなく下腿がピクピク動き出した。驚いた。
センセイは気付いていなかったので教える。センセイも思っていなかったようだ。
センセイはお尻のピクピクを動画で撮っていたので「これ、これ!」と教える。自分でも驚いた。
当たり前だが、坐骨神経が足先まで繋がっているということを身をもって実感した。
不思議と上腿は反応していない。上腿を飛ばして下腿と足の親指にかけてがピクピクした。
最初は神経に届いていなかったのだろう。それより鍼が神経に届いていることも改めてすごいと思った。

最後に立って響く鍼を右脚に打ってもらうのだが、この時に気になっている膝のすぐ下の内側の筋に打ってもらう。
いつも寝転んでいるので打っているところは見られないが、長い鍼がどんどん入っていく。入れたまま抜かずに方向を変えて出し入れ。少し出血した。良くあることだ。
センセイが言う、血が濃いと。血が滞留しているからだ。これは冷えに拠ることが多いらしい。
帰りにカイロを買って帰った。腰だけでもいつも温めようと。

寒い日曜日だったのでずっと家で過ごした。
鍼後どうか。右下腿はすっきりしている。足裏の外側も少し痺れが緩和したか。
ただお尻と右上腿は痛みがある。
まだまだ今週は寒い日が続く。寒さ対策をやっておこう。
posted by shigenon at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年02月04日

うまくいかない

坐骨神経がけっこう痛い。
受傷後の右脚の痺れ、これは完全に頚髄の損傷によるものだった。右半身が痺れているのと同様の痺れだった。いつから坐骨神経痛になったのだろう。
脚だけが痺れているわけでなく他にも疼痛があり運動障害の状態だったのだ、坐骨神経痛が起因となる症状が出たとしても、それは頚髄の損傷によるものだと思うのは仕方ないことだった。
起こってしまったことを悔やんでも仕方ない。

坐骨神経痛の原因は椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症、変形性腰椎症など。
入院した時の診断名に脊柱管狭窄症は記載されていた。頚椎は細いということは大昔にもレントゲンの結果言われたこともある。ただそれは頸椎であって腰のあたりではない。ただ可能性はある。
退院後の歩行は右脚が左脚を引っ張るように歩いていた、これにより腰椎にヘルニアであるとか何らかの骨の変形が起こった可能性もある。
どちらにせよ頚髄損傷とは別物と考えた方が良いのかもしれない。

12月下旬からの痺れの緩和はいったい何だったのだろう。
足裏の痺れと右下腿の痺れも坐骨神経痛だとすれば、それがこの3週間ほどで悪化したことになる。
ただなぜ今になって痛みがこんなに強くなったのか。
調べると「冷え」ということも考えられるか。とはいっても12月も十分に寒くて冷えていたが。
今年は電気毛布を使っていない。単にふつうの毛布を下に引いたから出すのが面倒臭くて。そして深夜に目覚めた時にパジャマの背中・腰の部分がめくれあがっていて寒く感じた事が数回ある。
それと今年はヒートテックのタイツを履いていなかった。暖パンと言われる裏起毛のパンツをずっと履いていたからだ。だが裏起毛は皮膚に温かい感覚を与えはするが、身体を温めはしない。

手のむくみも気になる。
今朝、手の指を揃えてまじまじと見るとカタチが変わっている。手の甲の人差し指と親指の間、合谷がある辺りが膨らんでいる。手を揃えて見るのは久しぶりだったが、カタチの良かった手が醜くなっている。そして全体的にむくんでいる。
手のむくみは夕方には解消するが、手のカタチが何故このように変化したのか。
リンパや血の巡りが悪いのだろうか。漢方薬は続けて飲んでいるが。

せっかく「すごく良くなった」と感じた12月の下旬からわずか1か月で何らかの不調になった。
うまくいかないものだ。
ただ冬を乗り越えるたびに身体は何らかの改善があったのも事実だ。
今日からヒートテックタイツ。しっかり冷え対策をしよう。
posted by shigenon at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年02月03日

平日の焼き鳥

昨日は久しぶりに焼鳥屋に行った。
小さな店だがいつも満員、予約をしなければ入れない。ここは受傷前にもよく行っていた。その頃は平日に行くことも多かったからすぐに入れた。何度か週末に行くと予約でいっぱいと断られることがあって足が遠のいていた。
入院中食べたかったものは寿司と焼き鳥と焼肉。まあ普通に食べたい上位だ。
退院後も何度も行っている。いつも行くバーのすぐ近くなので一人で行くにはちょうどいい。また、ここの白レバーの刺身は絶品なので誰かを連れて行くこともある。

あまり喋らない夫婦だ。でもヒマな時には何度かよく話をした。
行った途端に「身体の調子はどう」と心配してくれた。自分が入院したこと、後遺症のことなどを言っていたのだろう。嬉しかった。「ふつうに見えるでしょ、見かけは」これがこう言って心配のコトバをかけていただいた時の回答。
正直、自分の受傷のことをどの店にどう話したのか覚えていない。それくらいはるか前のことになるのか、受傷したのは。

この日、19時までいたが他にお客さんは来なかった。珍しいことだ。
やはりまん延防止で外呑みは敬遠されているのだろう。バーに向かう。
なんとバーはまん防の期間は休むと書かれていた。そうなのか、仕方ない。タクシーで自宅に戻る。
自宅に戻って熱い風呂に入ると眠気が襲ってきた。まだ20時だ。ソファで意識が戻ったのは21時、他にすることはないのでベッドに入る。

また2時に目覚めた。体内時計が2時になっているのか。
右モモの横と裏が張っている。お尻の右も痛い。坐骨神経痛に良い寝方は横向きで膝を曲げるらしい。腰への負担を減らという。いつも横向きに寝ているのだが。
結局4時半ころまで眠れなかった。
気になっているのが起きた時に手がむくんでいること。この数日だ。
関節リウマチを疑わなければいけないだろうか。
posted by shigenon at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年02月02日

朝の辛さ

朝が辛い。
この辛さも2つあって、1つは深夜に目覚める寝不足感。この数日は2時半くらいに目が覚める。
たぶん夜の晩酌で焼酎の水割りを呑むからだろうか。5杯程度呑むからトイレに行きたくなって目が覚めるのだが、それだけではない。
右横を下にして寝る姿勢が多い。右脚の痺れも関係し、体重がかかることによってそれがラクに感じるのだ。それでたぶん痺れが強くなって目が覚めるようだ。
今日もトイレというよりその痺れで目が覚めた。その後が寝付けない。4時くらいまでウトウト、それからは10分毎に時計を見ながら横になっている。

痺れはこれまで右下腿と右足裏が強かった。
これが最近書いているようにずいぶん緩和した。改善されていた状態は1月の中旬位から変わってきた。目が覚めた時にどこかが痺れていたり痛みがあったりする。前とは違う感じだ。
右上腿とお尻が痛い。典型的な坐骨神経痛の症状だと思うのだが。
右足裏についての痺れは緩和しているが、少し敏感に感じるようだ。特に足先がピリピリしている。
右下腿はこれまでと違う痺れがある。痺れというよりスジ張っている感覚。押せば痛みがある。
右上腿は太い筋肉を押せば痛い。モモの横と後ろ。
夜中に目が覚め、トイレまで10歩ほどなのだが立ち上がると力が入り辛い。

もう1つの辛さは朝起きて動くこと。
トイレまで歩くことが辛いのと同様、朝の支度で寝室やリビングを行き来している時に歩き辛い。
それが不思議なことに靴を履いて玄関を出るとちゃんと歩ける。多少のぎごちなさから10数歩歩くとふつうの歩き方になる。身体にエネルギーが入ったかのように。
朝起きた時に肩の疼痛を感じるが、朝の支度をしているうちに疼痛を感じなくなる。それと同じような事か。生活が始まると脳は別のことに忙しくなる。だから定着した痛みや痺れにかまっているヒマがないからではと自分では解釈しているのだが。

その、朝の歩けなさが解消して1日を過ごす。
昨日もそうだ、風呂に入っていて右脚をマッサージするが、痛い箇所はそれほどない。痛みが治まっている。寝る前まで快調なのだ。そして寝て夜中に痛みが甦る。
こんな状態が1月の中旬から続いている。続けば慣れてしまうものだ。
これまでもそうだが、少しずつ痺れが強くなってくると1日単位では気づかない。1週間でも気づきにくい。10日位ごとにチェックポイントを設けて記入していった方がいいのだろうか。
posted by shigenon at 11:48| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年02月01日

2022年2月1日の状態

身体の調子、備忘録として。
年末の調子の良さは残念ながら継続していない。急に調子が悪くなったわけではない、ジワジワと悪い状態になったのだろう。
右脚に何か1本の棒が入ったような感覚がある。上腿から下腿まで。張っているのか。
右足の裏の痺れは以前ほど強くないものの、ジンジンとした感覚が強い。正座の痺れで言うなら無感覚になる前の強さ。

歩きはどうかというと、歩くということを意識しなくても歩けているのは変わらない。
ただ、ギッコンバッタンのような動きになることもある。左脚が付いていかないこともある。これらを克服するために1歩1歩考えながら歩く習慣をつけていたのだ。
習慣は癖になり定着すると信じているのだが、まだ早かったのか。もう一度1歩1歩を考えながら歩くことに戻ろう。
早歩きも何度かトライしているが、やはり脚がついていかないという表現がピッタリか。

左の上腕が張っている。
これは悪い感覚ではないか。去年の1月なのだ、筋トレマシンの荷重を左右同じにしたのは。この1年間で左腕・肩はずいぶんと筋肉が付いた。
2キロのダンベルを真っすぐ上に上げられなかったのだ、左は。これは筋肉とかでなく、何か神経的な要因であるように感じる。2キロ程度を上げる筋肉はずっと前からあるのだ。手を上げる筋肉が働いていないのか。
左肩の張りは筋肉が付くときに膨らんでいくような感覚。ずっと動かしていても筋肉が付かない箇所はたくさんある、神経が眠っているかのように。
左腕も大きな筋の肉はかなり付いたが、まだ眠っている筋があり、そこが目覚めたのであれば嬉しい。

身体の状態が良きにつけ悪しきに付け、急激に変化したのなら実感できる。
昨年のように寝ていて痺れが無くなった位の変化。しかし、それに慣れると前はどうだったのかが解らなくなる。少しずつ悪化していくと自分でも変化に気づかない。
こうやって書き記しておこう。
posted by shigenon at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年01月31日

再び息子が実家に

土曜日に姉からラインが来ていた。
母親の物忘れが激しくなったので病院に連れて行ったところ軽度のアルツハイマー型認知症という診断だった。
姉は父親の調子が悪くなり、入院とかで色んな手続きをやっている時に母親がすぐ忘れることを感じたようだ。
今に始まったことではないのだ。もう去年より前から物忘れは激しかった。頻繁に会っている姉は気づかなかっただけなのだ。たまに帰る自分は感じていた。
賞味期限を超えた食品が冷蔵庫に多い。醤油やポン酢など使っても蓋をちゃんと閉めていないなど。
薬で進行を遅らせられるというので、そうする以外に選択肢はないだろう。

母親と話そうと土曜日の16時半ごろに電話をした。
すると息子と元妻が今来ているという。
息子へクリスマスプレゼントを贈った時に、おじいさんの調子が良くないのでまた行ってやって欲しいと書いていた。それでだろうか。いや、それ以外にはないか。
今来ているからとすぐに電話を切られた。孫に会える嬉しさは解る、しかし息子と16年会っていない父親と電話がつながっているのだが…。

居ても立ってもいられないという状態だ。仕方ないので少し早いが居酒屋Qに向かった。
暫くして電話がかかってきた。
息子はよくしゃべったということ、クラブはバドミントンをやっているということ、身長は178センチ、お年玉3万円あげたこと。
他にもしゃべったことはあるのだろうが、もう忘れたのかもしれない。
写真を撮った。これは最初に電話した後にもう一度電話して写真を撮るよう言ったから。
残念ながら画像を送ることは両親にはできない。

日曜日、画像が来た。姉が実家に行ったのだろう。
去年の高校入学時に比べて大人っぽい顔になっていた。お世辞抜きで男前だ。髪も前に下してかわいらしい、今の自分の髪型と同じだ、こっちは白髪だが。
服装がダサい。なんでこんなダボダボで短いパンツを履いているのか。フーディにカーディガンも合わない。色の組み合わせも。
自分に似ているのだ。自分の高校時代でない、ハタチ過ぎくらいの時の顔に。
今の自分は顔のカタチが変わったから誰も信じてくれないだろう。
ずっと画像を見ていた。彼は父親のことをどう思っているのだろうか。

土曜日はもともと出張で会議予定だったので鍼は予約していなかった。この環境下で会議は中止になったが、2週間という間を空けて身体の調子を見たくて予約は再度入れなかった。
右脚の調子はあまりよくない。お尻から痛みがある。坐骨神経痛が強くなっている。
右足裏の痺れは軽くなった状態を維持しているが、少しジンジンしている。右下腿も12月の良かった時よりは痺れや押したときの痛みがある。

さあ月曜日。コロナ感染者が増え続けている。緊急事態宣言は出るのだろうか。
posted by shigenon at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年01月28日

オギさんからの電話

一昨日、電話が鳴った。オギさんだ。話すのは2年ぶりくらいか。
オギさんは年上の元同僚だ。もう定年退職して8年くらいになるか。元々の会社が同じなのだ。どちらも出向したが。
「身体の調子はどうなの」心配してくれる。後は元々の会社の話や株の話。オギさんは株の売買でずいぶん資産を形成している。

オギさんはたたき上げだ。派遣社員でウチの会社に入った。
ずっと東京に勤務、僕は違う地域なので関わることはなかった。関わるようになったのは僕が広島営業所の所長になってから。
その時オギさんは福岡営業所の所長だった。福岡と広島、得意先も交差していた。何よりも親密になったのは社員旅行を一緒に行っていたことだ。
当時、社員旅行は営業所単位だった。
広島も福岡もベテランのパートの女性営業が複数いた。全国でもこの2つの営業所だけだ。彼女たちは仲が良かったので、社員旅行の時は一緒にということになった。

プロパーの社員が殆どの中でオギさんは珍しい存在だった。
どちらかというと福岡の所長になったのもプロパー人材が育つまでの中継ぎの感が否めない。当の本人もそれは自覚していた。
いい加減なところもあるが、営業という職務には忠実な人だ。売り上げを作るということにはかなりのこだわりを持っていた。
月末に「生産工場が火事になったから早く商品を買わないと無くなりますよ」と得意先にウソを言ってでも売り上げを達成する人だった。

ある営業部が立ち上がった。オギさんは東京に戻りその事業の営業となった。
それからしばらくして僕は広島から大阪に移動しその営業部の企画担当となった。それでより濃厚にオギさんと接することが多くなった。東京と大阪と離れてはいたが、しょっちゅう電話がかかってきた。東京へ出張した時は一緒に呑んだ。
その営業部が無くなる時、オギさんは子会社に出向した。
その後僕は全社の企画担当として東京へ。東京に来てからもオギさんと酒の付き合いは続いた。

オギさんは細かくてセコイところもある。
退職して電話をたまにくれるのだがワン切り。掛けてこいということなのだろう。セコい。
退職してからも当時から仲の良かったM君、彼は別の会社に転職しているのだが、M君とオギさんの3人で呑みに行くようになった。M君も年に数回電話をくれる。
M君との会話ではいつもオギさんの話題が出る。M君とオギさんは家も近いのでたまに会っているようだ。オギさんは長野の佐久に実家があり、野菜を持って帰ってM君にあげるようだ。

今年に入ってからM君から電話があり、出向元の人事などを話していた。
たぶんオギさんはそれをM君から聞いて電話してきたのだろう。オギさんが最後にいた会社の社長も変わる。
この環境下でいつ呑みに行こうという約束はできない。ただ近いうちに呑みに行こうと約束して電話を切った。
posted by shigenon at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年01月27日

接触したが

今日も4時前に目覚めて寝られなかった。
しばらく収まってはいたのだが、呼吸が出来なくなって寝られない。息が吸えなくなるのだ。
無呼吸症候群なのか。こんな時は気管支を拡張するスプレーを使う。そうすれば呼吸は回復する。
5時半に寝付いて5時50分のアラーム。今日は7時に再アラームにして2度寝した。

会社に行くと驚くことを聞いた。
社内でオミクロン感染者が出たという。本人は喉が痛い程度らしいが、医者で調べると陽性だったようだ。
しかもその社員と昨日の午前中2時間打ち合わせをしたのだ。マスクをした打ち合わせなので濃厚接触者にはならないという。
マスクをしていたとはいえ気分のいいものではない。今朝、息苦しく目覚めたことは関係あるのだろうかとか思ってしまう。

ウィルスの種類が変わっても感染する仕組みは同じだ。ウィルスは飛沫感染だけではないのだが。飛沫感染による感染が殆どという結論が出たのだろうか。
濃厚接触者ではないから医者でPCR検査も受けられない。
しばらく様子をみるしかない。すぐに症状がでるものでもないし、どうしようもない。
まあ起きたことはどうしようもないのだ。

普通に歩くことは問題なくなった、普段できる次の目標を定めないと。
歩くスピードだ。うまく歩けるようになったのは嬉しいが、爺さんの歩行スピードだ。
昨日はタバコロードで早足をやってみたのだが、なかなか難しい。脚が付いていかないという表現そのものだ。
早く地面を蹴ろうとするとつま先が地面に引っかかる。脚の送りも右と左で反応が違うためにギクシャクする。
極端な早足ではなく、少し急ぐくらいでやってみる。それでも動きは悪い。身体の軸が前になっていることに気づいて修正する。

普段と違う筋肉の使い方をしたからだろうか。
入浴時に右脚がとても柔らかい。最近は筋肉を使ったら柔らかくなることが多い。
ところが4時前に目覚めた時、坐骨神経が及ぼす筋が痛い。右のお尻、モモ裏、膝裏と。通勤で歩くと右足裏の右半分の痺れが強い。
この症状は坐骨神経痛なのか、頚髄損傷による後遺症なのかが判らない。

さあ木曜日。医療費控除をやらなければいけないと思いながら手付かずだ。
posted by shigenon at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年01月26日

3回目予約

昨日帰るとコロナワクチン3回目の接種券が届いていた。
2回目を摂取したのが7月31日、区の広報を見ていると2月になってから発送と合ったが早く来た。早速予約をしておこう。
この感染者数の増加だといつ自分が感染するか判らない。いくら重症化しないと言われていても、それは確実な事ではないし何よりも行動が制限されることが疎ましい。

これまで2回はファイザー。
モデルナは早くから打てるようだ。でも副反応が多く出るとかモデルナアームとかで3回目もファイザーと考えていた。
先週の金曜、居酒屋Qのマスター・ママの元に接種券が届いた。二人もファイザー接種だった。
マスターが言う、3回目は違う種類を打った方が効くらしいよと。
いったいどこの情報なのだろう。営業時間以外はテレビを見て過ごしているのだ、何かそういうことの説明の放映があったのだろう。
ふーん、そうなのか。何よりも早く3回目を摂取することが大事かもしれない。

スマホで予約をする。
案内にはモデルナ接種券が届いて予約できればすぐ打てますと書いてある。もう明日から打てるのかと誰でも思う。2月1日で予約を入れるが、画面は2回目接種後7か月が経過していないので予約できませんと出る。
案内用紙には確かに2回目接種から高齢者は7か月後、一般の方は8か月後と書いてある。
なるほど、予約できればとはそういう意味なのか。じゃあ予約のトップ画面に接種可能日を掲載してほしいものだ。

家から10mほどの所の耳鼻咽喉科で打てるようだ。それで3月1日に予約。
それでもファイザーに未練がある。スマホでは気づかなかったが、今パソコンで見たら接種会場にワクチンの種類が書いてある。いろいろ調べるがモデルナしか掲載されていない。
最初に接種する場所を選択しないと予約に進めない。近くの住所で選択すればモデルナしかないからしょうがないか。
たぶん摂取できる医院が増えてきたらファイザーで打てる場所も更新されるのだろう。何よりも優先すべきことはいち早い接種なのでしょうがない。

テレビを見ながらそんなことをやっていて夜のひと時は終わりを告げる。
そんなものなのか1日って。
脚は少し張っている。足裏の感覚も良くなった時と少し違う感覚。今日は超音波治療器をやろう。
posted by shigenon at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年01月25日

変化した生活

平日は自分で簡単な夕食を作る。
いや、夕食というより酒のアテ。豊かな食生活とは言えない内容だが。
日曜日はレンコンピザ。薄切りされたレンコンカットを焼いて、その上にシーフードミックスと溶けるチーズ。昨日は日曜日に買っておいた手羽先8本を焼いて食う。日曜日から4本は焼肉のタレ、4本は塩水に漬け込んだ。
長年の外食で「熱いものは熱い内に食べる」ことが当たり前になっている。そのため火を通す料理を数種類揃えることはない。酒のアテといっても出来上がってビール1本で平らげている。

もうこんな生活が2年になった。
元々は居酒屋Yが閉店し、行く居酒屋が無くなった。そのすぐあとにコロナ禍。
独りで過ごすことにも慣れてきた。最初は時間がとても長く感じたが、今はあっという間に時間が過ぎる。まるで時間というものが速く進むようになったのではないかと思うほどだ。
昨日なんかも17時に帰って手羽先を焼き終わったのが17時半。それから食べると18時過ぎには食事が終わっている。だいたいの平日がこの時間のパターンだ。
食事と一緒に缶ビール1缶、食後は焼酎を呑み始める。

19時から何か面白いテレビ番組でもあればいいが。昨日、Youは何しに日本へがあったから救われた。今日はオモうまい店と何でも鑑定団が楽しみだ。それ以外で見ているのは日曜の相葉君とダッシュ、バナナマン、日曜ドラマくらいだ。
テレビ以外だとSNSに投稿やコメントをしていると時間は過ぎる。たまにYouTube。
20時頃には風呂に湯を張って入浴。22時過ぎにはベッドに入る。

つまらない毎日だ。
でもこんなものなのかもしれない。これまでの人生の中で夜の過ごし方が特異だったのだろうか。
ずっと単身赴任で会社勤めをしていたFさんを思い出す。仕事が終わると誰かと一緒にいないと寂しいと言っていた。広島時代のことだ、よく一緒に呑みに行っていた。20時には家に帰るのだが。
そのFさんも僕が退院したころに癌で亡くなったと聞いた。

身体の調子。
右下腿の痺れが強くなった。12月下旬に緩和した状態より痺れている。その前の状態と同じかと言うと、それは判断つかない。
右脚全体が張っているか。右のお尻も押せば痛い箇所が多い。
夜中に目覚めてトイレに行く時に右脚に力が入り辛い。やはり痺れがあるからだろうか。
着替えて外を歩き始めると気にならない。歩くことは全く問題ない。少し右の痺れを感じながらも大きな筋肉で動かしているからだろうか。
posted by shigenon at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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