15本のブラインドを開ける。前にも書いたが、このブラインドを開けるという動作がうまく出来なかった。
どういう風にうまく出来ないか。細い紐を掴むということ。掴んでいるつもりが掴んでいない。
手を上下に下すという動作。右手と左手がぶつかる。また、ある程度腕を上げた動作になるが、これも疲れた。
このブラインド作業、去年の今頃はこれほどスムーズに出来ていなかったのだ。
今日も15本のブラインドを上げながら、このうまく出来なかった動作が出来るようになったということにリハビリのヒントが見いだせるように思った。
掴む動作。これは手が痺れているということもあったのか。しかしこの頃は痺れには慣れていたはず。掴むという動作も受傷後は力加減が解らずに紙コップを潰したこともあったが。
軽く掴む、軽く握るようになっていたのだ。モノを見て瞬時にどれくらいの幅でどれくらいの力でという運動神経と感覚神経と目による視認がマッチしていなかったのだろう。
この解消は経験なのだろう。じゃあ退院した2015年4月から実生活から3年半の経験を過ぎてもそれが出来にくかったのだ。
腕を上下に動かして手がぶつからないようにする。
これもこの動作への慣れなが必要なのだろう。当たり前にできていたこと、それは多くの情報を処理しながら運動神経になる。上下に動かすという運動能力は発揮できても、それをうまく実現するという感覚が運動能力で実現できなかったのだろうか。これまでの経験が抜け落ちたわけではない、腕を上下するという単一の運動だけで精いっぱいで、腕を避けながら動かすということまで出来なかったのだろう。
腕を上げたままの運動、これは筋力か。
ブラインドを上げるという動作は今できている。1年での進化。
大した動作ではない、しかしこれは凄いことではないだろうか。
こうやって考えると基本的な筋力がどうしても必要になる。去年の今頃は左腕の筋肉も稼働も弱かった。
「筋肉は身を助ける」、助けるどころかスタートラインではないか。
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