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2022年01月14日

新しい刺激を感じる

父の手術は行われなかった。姉からラインが来た。
カテーテルを入れたが石は見つからず、結果として先天的に尿管が狭いということだった。
いや、これって前段階で判らないのだろうか。手術前の検査でそう判明したのなら良いが、麻酔してカテーテルを入れて、そして判ったということなのだろうか。
尿管カテーテルを取って様子を見るようで来週まで入院らしい。心配なのはずっと病院にいて体力が落ちること。数日のベッド生活で確実に筋力は衰える。整形で入院している訳でないのでそういったリハビリはないだろうし。

これまでの自分の経験では筋トレを始めたら3週間くらいで筋肉が付き始めたと感じた。筋トレを止めても普通の生活をしていればそれほど落ちるスピードは早くない。
しかし受傷して入院した時、ほとんど四肢が動かせない状態で寝たきり。筋肉を動かすことがない。
1か月も経たずに筋肉は小さくなったように思う。手術した後の首のホッチキス縫合を写真に撮っているが、首も細くなっている。

会社に着ていくシャツで1つだけ長細身があるが、それを着る時に肩と腕の筋肉が付いたことがよく解る。それと同時に腹回りが太くなったことも。
昨日は早く帰ってジムで筋トレ。正月休みで先週は年末より2.5キロ増えていたのだ。かといって筋トレで体重が減るわけでもないが。
筋肉を動かす指令、神経の伝達、血の流れを意識してゆっくり筋肉を動かす。こう意識して筋トレマシンを動かすと普段と違う感覚になる。昨日、それを一番感じたのはレッグプレス。

うすうすは感じていたが、今調べて納得した。
レッグプレスは足を置く位置で鍛えられる筋肉が変わるようだ。今度意識してみよう。いつもは高い位置にハの字で置いている。
ゆっくり動かすことで昨日は1セットの20回がキツク感じられた。いつもと同じ2セットをこなす。
今の自分に必要な脚の筋肉は全て鍛えてはいるつもりだが、昨日のレッグプレスでどこか普段使っていない筋肉を刺激できたと感じた。

帰りの自転車。
自転車はどんな状態でも漕げる。ペダルが回るように適当に動かせばいいだけだ。退院後、満足に距離を歩けない時でも自転車は動かせた。
ちょっと力強くペダルを漕いでみる。サドルからお尻が離れないように。
ハムストリングスの付け根とお尻の間の筋肉がピクピクする。そう、ここがこの日のレッグプレスで刺激が入ったのだ。
どこなのだろう。小殿筋かなと思うが違うのだろうか。

今日は金曜日。帰りは居酒屋Qへ。
こう朝から書いた時点で脳が喜び身体が軽くなるかな。
posted by shigenon at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年01月13日

複雑な関係

寒くて身体が固まることが少なくなったが、やはりたまに起きる。
今朝も一瞬だ、左手に満タンの飲み物を持っていたが、瞬間に大きく震えてこぼしてしまった。震えるといっても2,3回のブルッだ。前はそこから震えが止まらなかった。
その震えを我慢しようとしたら身体が固まる。
右手では起きない。やはり左は麻痺側と言っていいのだろうか。

会社に来て9時半くらいに最初の一服、タバコロードを歩く。
この時も寒さを感じた身体の固まりが起きる。左脚だ。
しかし前ほどではない。前は糸人形で操られたような脚の運びになっていた。今は少しスムーズだ。
前に書いたように身体を動かそうという過剰な信号で余計に動きづらいのではという仮説は合っているように思う。力を抜かなければいけない。しかしよくある話だ、力を抜こうと力が入る。
一服しながらスマホを見て帰り道は力が抜けている。寒さを感じて身体が固まりそうな気配を感じながらもそうならない。
改めて寒さを感じる感覚神経と運動神経、そして脳の働きの複雑さを感じる。

今日、父親が手術を受ける。
腎臓結石を砕く処方はしたが、うまく排出されなくて内視鏡による手術。
深刻な手術かどうかは解らないが、なんせ90歳と高齢だ。全身麻酔にも心配がある。
なんか心の中がモヤモヤした一日になりそうだ。
posted by shigenon at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年01月12日

アナミさんからの電話Aとママからの電話GH

久しぶりだった。
昨日は客先からの帰りが遅くなり弁当を買って帰ってビールで食べていた。突然電話が鳴る。
画面にはアナミ。
アナミさん・・・https://fanblogs.jp/shigenon/archive/628/0?1641940830
先にこちらから元気ですか等の言葉を投げかける。

実は4日にママからも電話があった。大阪時代のお好み焼き屋のママだ。
何を話したろう、年始の挨拶とお互い元気かどうかの確認。ママは「もう82歳やでぇ」という。いやいや、この前80歳と言っていたから81歳ではないかと思うが。
女性の公表年齢は若い時は少なめ、歳を取ると多めになるのかもしれない。
ママは年末にも電話があった。「電話もろたようやけど」と。
確か電話に気づかずメッセージが入っていたので折り返したのは11月くらいか。その着信を見たようだ。
アナミさんはママとたまに連絡を取り合っているらしい。それで電話をくれたようだ。

アナミさんは元気ではなかった。
右手が痺れて握力がほとんどないという。腕も上がらない。医者に行くと首の手術をしないと治らないと言われたという。
恐らく頚椎のヘルニアか。何かが頚髄を圧迫しているのだろう。自分のよく解る分野だ。
「首の手術ゆうて、聞いただけでも痛いわぁ」「手術に失敗してフラフラになった人もおるみたいや」
だから我慢しているという。
ヤ〇ザ相手でも怖いものなしのアナミさん。だが、自分の痛くなることに対してはビビリなのはよく知っている。

首を手術と言われれば誰でも怖いし、想像するだけでゾッとする。
自分に置き換えても、ほとんど動けない状態で入院して手術と言われたからした。手術すればその状態から解放されると思っていたのだ。実際はそれ以上悪化しないための処置なのだが。
アナミさんには自分がした手術と多分同じだよと言う。そして手術をしないと悪化する可能性を言う。
少し手術に対して安心したようだ。今度大きな病院へ行ってみるという。

ママとアナミさんとの付き合いは東京の前に居た大阪での3年。もう20年近く前になる。
それがこのように繋がってお互いを気にする関係が続いているのは嬉しいことだ。

脚の状態はいい状態で変わらない。痺れはあるが。
いつも歩く地下鉄の通路がランウェイだ。わずか200mもない平らな通路で評価できる。
歩くぞという力をいれなくてしっかり歩ける。駅を上がって弁当屋に寄ったので脚は休む。そこから家までのわずかな距離がとても快適に歩ける。少し休むと良く動くようになるのだろうか。
夜に風呂で筋肉を確認すると硬かった右下腿の後ろ、アキレス腱の左右が柔らかくなっている。そこに土曜に鍼を打ってもらったからだろうか。昨日までは硬く張っていたのだが。
posted by shigenon at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年01月11日

身体も気分も引き締める

3連休もあっという間だ。休み慣れしているから朝は起きることを忘れそうだった。
今年も初詣に深川不動堂と富岡八幡宮、そして亀戸神社へ。それ以外は特に何もすることがない連休だ。休みと言っても家事をやるくらいだが、それも最低限必要に差し迫ってやるくらい。

体重が増加している。毎年正月の帰省から戻ると2キロ増えるが今年も例外ではなかった。
一昨年に増えた2キロは去年1年間持ち越している。72.5キロだ。
177センチのBMIとしてのベストは69キロだ。しかしこのBMIっていうのは目安なのだろう。年齢や身体の組成を全く無視している。
覚えている限りの体重の変化は22歳の時は60キロ、24歳で64キロ、26歳で67キロ、30歳過ぎで72キロ、30歳後半で74キロ。74キロがピークか。

ジムに入会したのが39歳か。エアロビやステップマシンで69キロになった。
40代は72キロくらいか。受傷した51歳の時で74キロ近くになった。この頃は週3か4はジムには行っているが、毎日の呑みと締めのラーメンで体重が減ることはなかった。
受傷して入院生活。退院すると体重は66キロだった。顔もすっきりした、首のぜい肉が落ちてシワが目立った。

退院後暫く体重は増えなかった。やはり食う総量が減っていたのと、少しでも動いていたからか。
呑む量や食う量が増えても動く量が伴った。2020年の夏で68キロちょっとだったと覚えている。
それが2021年の正月で2キロ増え、そしてこの正月で2キロ増。
身体の可動も良くなり活動量は多くなっているのだが、それを上回って食べているのだろう。そろそろ身体を引き締めていかないといけない。一昨年買ったスーツやパンツはキツクて履いていない。

身体の調子は悪くない。歩くという事に関しては問題ない。
土曜日の鍼ではまだ押せば痛い右下腿の裏に打ってもらった。その刺激からか右下腿が張って痺れが強く感じているがイヤな痺れではない。
何事にも慣れてしまってはいけないのだろう。調子が良ければそれが当たり前になる。中枢神経を損傷しているのだ、いつ症状が悪化するとか違う症状が出るかもしれないのだ。
ジムの筋トレではそれぞれの筋肉を意識して動かす。出来ることはキチンとやらないといけないいけない。

新年が始まりルーティンの生活が始まってすぐに3連休。
まだ身体の調子が12月20日過ぎの良かった状態と同じかどうか評価できない。
体重を管理することを含めて気を引き締めないといけない、元通りっぽくなるのではなく元通りの自分が目標だから。
posted by shigenon at 09:59| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年01月07日

運動神経と感覚神経

予想よりかなり雪が降った。
昼過ぎに帰ってジム。この時にはもう積もり始めていた。ジムを出ると5センチくらいは積もっていたか。滑らないよう足を真っすぐ上げて足裏全体を地面に着ける。
雪道で滑った記憶がよみがえる。34年前のすすきの。札幌に転勤して呑みに行く途中に転んだ。遠くから見ていた女子高生から「オジサン転んだ」という声。オジサンではない。いつも若く見られていた、しかも24歳だ。これがショックで記憶に残っている。転ぶ行為自体がオジサンなのだ。
この頃は歩き方なんて考えることもなかった。どの状態の路面を歩いたらいいかくらいだ。数十年を経て歩き方をこれほど考えることになるとは想像すらできなかった。

昨日書いたこと。解りづらく読みにくい文章だ。
寒くて左脚が固まってしまっていたことが殆どなくなったということ、そして固まってもなんとか動かせる状態にできるようになったということ。
昨日、更新してからタバコロード。寒さを感じたのだろう、左脚が少し動かしにくい。意識すればするほど動きにくくなる。頭の中で考える、左脚に過剰な命令がいっているからかと。
車も人も殆ど通らない道だ、スマホを見ながら歩いた。そうすれば左脚の動きがスムーズに。
やはり意識を他に移せばいい、つまり動かそうと意識しないこと。
これはゴルフのスウィングやパターをする時と同じなのだ。

スポーツで力が入るというのはこういうことなのだろうか。
筋肉を動かす命令なのか信号なのか。これがたくさん発令されて筋肉が戸惑うイメージ。合っているのかどうかは不明だが。
“動かすぞ”という命令をせずとも動かせるのは、その筋肉がちゃんと動くから。
自分の場合は歩くためには“動かすぞ”という命令が長い期間必要だったのだ。そして正しい動き方をする習慣をつけた。ずっと意識して歩く行為をしていた。
それを意識しなくても足が動いて歩けるという感覚がこの前から書いている「歩く運動神経」。

いつも思う。自分が実体験してから調べると、もっと早く知っていればという事が多い。
今、運動神経を検索してまた思った。今初めてだ、詳細なことを知ったのは。
運動神経=筋肉を支配する末梢神経で,中枢の興奮を末梢へ伝える遠心性線維から成る。興奮を末梢から中枢へ伝える感覚神経に対する。自律神経系の末梢神経 (血管運動神経など) も運動神経に含める場合があるが,ふつうは脳脊髄神経系に属するものをさす。

つまり運動神経と感覚神経を理解しながらリハビリを進めれば、自分が今何をどうすればいいかがよく解ったのだろう。
詳細なコトバの意味やその働きをキチンと理解することで仮説が立てられる。その仮説を元にリハビリ
をして検証する。もちろん、その患者が理解できていることが絶対条件だが。
それが現状はなされているだろうか。
どうせ説明しても解らないだろうから簡単なコトバで患者に説明。悪いことではないが。
こう身体を動かしてくださいという指示だけのリハビリ。少しはどこかの動きが良くなりますからという説明はあるだろうが。

悪いことではないのだ。
でもそれは“センセイ”のいう事をやっていれば大丈夫という過信。神様ではない。
悪く言えばセンセイが自分の地位を高めるために使える手法でもある。知識のない患者が最下層に来るヒエラルキー。サラリーマンの世界でもよくあることだ。
立派なセンセイは沢山いる。自分の思う立派なセンセイはちゃんと詳細に、患者の理解力も加味して説明できる・指導できる人だと思うのだが間違っているのだろうか。
でもその人たちは実際の症状がある訳ではない。実際の症状のある人が知識を持って検証していって確信し説明できることこそが治療やリハビリが進歩していくことなのだろう。
しかし改善した患者が説明できる機会などない。ヒエラルキー。

ほとんど知識のなかった自分。運動神経と感覚神経、それを司る筋を何かすればまだまだ改善できるという希望が持てた。その何かすればが何かだが。
posted by shigenon at 09:47| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年01月06日

震えても動くか

昨日は8139歩の歩行。通勤・タバコロード、そして帰りに居酒屋Qに寄った。
年末年始と外にあまり出ていないので寒さをあまり感じていなかったので寒さが沁みる。寒くなれば身体が固まって左脚が動かなくなる。またそうなったと書いたのは今冬の始め。地下鉄を降りる階段で足首を伸ばすとマシになるとか書いた。
その状態に暫くなっていなかった。寒くてブルブル震えていない。

そのブルブル震えるという状態も異常な震えだった。
震えは左腕にきていた。左右10センチくらいに大きく震える。自分の意志で止められないのだ。もちろん寒いから震え始めるのだが、それをコントロールできないまでに震えていた。
これはいわゆる片麻痺の症状なのだろう。中風。
その状態になると左脚が動かなくなっていた。腕が震えなくても寒いと左脚が動かなかったのは片麻痺なのだろう。

年末に父親用にゴムの運動具を買った。手にもって伸ばして運動するやつ。セラバンドの太いタイプ。
両手を上げて左右に伸ばすと手がプルプル、荷重に対して筋肉が頑張っているのだろう。
その時に両腕が大きく震えた。寒くはないのに。
筋肉を動かそうという指令が大きくなるとプルプル震えるのかなと仮説。
寒くて震えが始まる時もそれを抑えようと脳が筋肉に過剰な指令が行き震えるのだろうか。
この時はバンドを緩めると震えは収まった。ただショックだったのはそんな風に震えることが自分の症状としてあるのだ再認識したこと。どう克服できるか考えないといけない。

昨日、タバコロードはビル風で寒かった。普通の人くらい少し震えた。
少し左脚は固まりかけるのだが、前のような不自由な動きにならない。大きく震えていないからか。いや、この感じの時に腕は使っていないから震えなくても左脚は固まっていたはずだ。そんなに気になるほど動きが悪いわけではない。
少し左脚を前に出す時に少し違和感がある。踵着地でなく上から着地になる。左下腿がうまく前に出ていないのだろう。脳の中をからっぽにした。過剰に命令して脚を動かさないようイメージ。
なんとなく左脚の動きがスムーズになる。前ほど左脚が固まったようにはならない。

12月20日過ぎから歩く運動神経自体が回復したのではないかと書いた。右下腿の痺れが緩和しただけでなくそういう感じを持っていた。なぜなら右脚だけでなく左脚も自然と脚を繰り出せているから。
そこで気になっていたのが先ほどの寒くて固まるという状態。この状態にまだなるのかどうかを確認したかった。
タバコロードを昨日は何回か往復したが、左脚に不自由感を感じたのはその時だけだった。

そういう理由で帰りに居酒屋Qに寄った。
Qからの帰り道は長く、しかも寒いだろうと。平日なので深酒はしないが、軽い酔いでどのような歩きになるかもチェックしようと。
まあ、それだけでなく帰ってもつまらないしという気持ちもあったが。その気持ちが9割か。
帰り道、寒いが左脚が不自由になることはなかった。軽い酔いだったが、全く素面の時と変わらない歩き。歩く運動神経が回復し、脚の片麻痺は消えたのだろうか。いや安心はしてはいけない。

今日は昼から外出して直帰。ジムに行く予定。
歩く運動神経は回復したように思うが、やはり動く脚を鍛えないといけない。筋肉は身を助ける。
それと年末年始太り。体重を測るのが怖い。
posted by shigenon at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年01月05日

日課

昨日帰京。
何もしないことをのんびりと言うのならのんびりした。大阪での仕事を終えてSNSで知り合った友達と呑み、30日には久しぶりの同級生との呑み。
S君の家に酒や総菜を持ち込んでの呑み会。さながら学生時代に戻ったようだ。学生時代は帰省の度にS君の離れの部屋で呑みながら麻雀か賭けトランプをしたものだ。

2日には両親、姉家族と近くの海が見えるホテルで過ごした。2人の姪がいるが、彼女たちがこの恒例の旅行に2人揃って来たのは初めてか。
そうだ、上の姪が結婚するという報告を年末に受けた。たぶん38歳かな。もう結婚はしないものと思っていたが。転勤の多い仕事だ。東京、茨木、東京、札幌、東京、NY、ベルリンと何度引っ越したか。今は東京に戻っている。結婚式はしないという。
思い出したことがある。姉が結婚するときに父親の弟、つまり叔父さんがすごく喜んで結婚式で歌を歌った。後で叔母さんに聞いたが、カラオケでずっと歌う曲を練習していたという。叔父さんにとって最初の姪である姉がすごく愛おしかったのだろう。その気持ちを感じた。
大好きな叔父さんだった。高校生の時にこっそりウイスキーをくれたこともある。とても残念なことに交通事故で亡くなった。僕が大学4年の時か。これから一緒に楽しく呑んだりできるはずだったのだ。
その叔父さんの遺品のゴルフクラブを貰ってゴルフを始めた。

実家で過ごして感じたが、両親の日課が変わった。
父親は歩くことが難しくなってはいるが、午前中に家の周りを1周だけ歩く。母親はそれに付いていく。あとは整形の柔整師と訪問で来てくれているPTさんから指導された筋トレ。寝転んで脚を動かすことと椅子に座ってモモ上げ。父親の脚の筋肉はかなり落ちているのだ。
我が家は昼食後に昼寝をする習慣がある。小一時間ほどだった。それが1時間以上になっている。2時間近いか。あとはずっとコタツに座っている。テレビもつけてはいるが見ているのかどうか。新聞や広告を何度も読んだり、株価を気にしたり。

これまでは時間があればずっと庭の畑。あとは近所を歩きに行っていた。目標は1万歩。それと週に何回かのグラウンドゴルフ。母親も同じようにしていた。
これまでと全く違う日課になっているのだ。
動きづらいということでこれまでの日課が変わり、さぞストレスかと思う。だが見ているとそれで1日が何事もなく終わっているのだ。特に1日の過ごし方にストレスは無いようなのだ。

日課とは1日に課せられたこと。という理解をしていた。どちらかというと受動的な意味と思っていた。違うのだ、受動的ではなく能動的なのだ。
「毎日決めてやること」が正しい。
だからこれまでやっていたことが変わって新しい日課になれば、それで過ごすことに慣れるのだろうか。
自分を思った時に、コロナ禍の在宅勤務。少ない業務をこなして昼のウォーキングと夕方の相棒の再放送。それが日課だ。そしたらその生活に慣れてしまった。
たまにウォーキングをサボる。その日の気分で行動する。これもその日の気分で考えようという日課なのだろうか。
今思うと不思議なのだが、ブログさえ家にいると書こうという気がせずに更新が滞った。自分にとっては能動的よりも自身に何をやらないといけないと課さないと怠けてしまうのだろう。

今日から仕事始め。
身体の状態はどうかというとルーティンの生活を送らないと評価しづらい。通勤やタバコロードを歩くこと。こうやって身体の調子を思うことも平日の日課なのだ。
posted by shigenon at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2022年01月01日

謹賀新年2022

明けましておめでとうございます。
12月28日に大阪出張を終わらせ実家へ。今回は1月4日までいるので元旦はちょうど真ん中。
相変わらず実家では呑んで食べてで動いていない。

父親の様子は12月の最初から変わりない。
曲がった膝は体重をかけると痛いようだが、少しの距離は歩ける。
家の周りを散歩はするが、それ以外はコタツに座っている。
それよりも母親に不安がある。
朝言ったことを夕方には覚えていない。食べようと用意していたものを調理していない。

前から冷凍庫に入れたままの古い食材があったりと、色々と気になる傾向はあったのだが。
父親が調子悪くなって、それにかかりきりになっている事もあるのか、目の前のことは問題なくできるが、物事を組み立てて考えることが弱くなっている。

まあ歳なのだ、これを現実として受け止めないといけない。
寝たきりにならず、生活が送れている事に感謝しないといけないのだろう。

身体の調子。
ほとんど動いていないのでどうなんだろう。寒いからだろうか、両手の痺れは強く感じるがこれは手が冷たくなっているだけか。
脚は寝ている時に少しは痺れがあるが、年末から変わっていないか。

さあ、今から近くのお寺に歩いて行ってみよう。少しは歩かないと。
posted by shigenon at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年12月27日

感覚が変わる

やはり感覚が変わった。
これまでと歩く感覚が違うと先週から書いているが、まさにそう。歩くという意識をしなくても歩いている。これまで常に意識していた。1歩1歩。さあ脚を出そうという命令をしていた。
それをしなくても歩いている。長らくなかったふつうの感覚。脚の痺れはあるが。
右足裏・右下腿の痺れの緩和で変わったと思っていたが違う考えもある。「歩く」という運動神経の回復。あまりいいことばかり言ってもまた泣きつくかもしれないが。

中枢神経には様々な神経がある。
温度や痛覚という感覚神経だけでなく運動神経も通っている。運動をつかさどる運動神経は脊髄の外側を走る皮質脊髄路(錐体路)という部分を通っているらしい。
これまで中枢神経は単なる脳の指令を末梢神経に伝達するだけかと思っていたが勉強不足だった。
その中枢神経の中に歩行を司る神経もあるのだろう(と思う)。
その歩く運動神経が少し回復したのではないか。いや、損傷した中枢神経は復元しない、何か代替機能が出来たのか。

足裏や下腿の痺れが緩和したから歩けるようになったと思っていたが、歩く運動神経のシナプスが形成されたから足の裏や下腿の痺れが緩和したという考え。無理があるだろうか。
痺れは感覚神経。歩くという行動は運動神経。これまでは脳が歩けという命令を無理やり末梢神経に届かせて脚の筋肉を動かしていたイメージなのだ。
その感覚が変わった。

土曜日の鍼。今年1年の変化を記して持って行った。
やはり何がこのように影響したかと言うと鍼の要因は大きいと思う。今年を振り返ったが、何を変わったことをしたかというと足裏の鍼。またその足裏の鍼が打ってもらった瞬間に“効いた”という感覚があったのも事実なのだ。
Aセンセイとも話した。これまでにもお互い思っていたこと。
末梢からカラダを変えられるのではないかという仮説。
自分が受傷して拙い知識で思ったことは、末梢神経を刺激したら中枢神経に何らかの影響を及ぼしてくれないかという希望。「中枢神経を損傷したら元に戻りません」という検索での死刑宣言を受け入れられなかった。
センセイはPNFという。もう既に治療法として研究されていたのだ。自分の勝手な希望的観測は既に研究されていた。ただ、それがどうやって効果や結果を導かせられるかだ。

何がどうなって今の良い状態になったか。それが判れば近道ができるが。
たぶんに複合的な要素がある。鍼、筋トレ、漢方薬、脳の意識など。
それをセンセイと話すが、お互い判りはしない。鍼でも、ここに打ったら効きますよと言い切れる箇所はない。ただセンセイには見える感覚があるのが不思議だ。オカルトのようだ。この日もそうだった。
現時点で改善されたのは事実だ、頚髄不全損傷の後遺症で不自由な身体の人への希望になればいい。
完全に元通りになった訳でもないのにこんなことを書いているのだが、、それくらいの変化なのだ。

金・土と居酒屋Q。帰りに酔って歩いても今までとは違う。
日曜は久しぶりの掃除機。年賀状を終わらせようとしたが、インク切れ。純正でないインクを買っていたのだが、それをプリンターは認識しない。
明日は大阪出張、そしてそのまま友達と呑んで帰省。
posted by shigenon at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年12月24日

7歳の誕生日

受傷から丸7年を迎えた。
2017年5月からこのブログを始めている。ということは受傷3年半後だったのだ。少しは症状に慣れた頃だったのだろうか。
過去の身体の状態や症状はあまり覚えていない。痺れと疼痛は今でもあるので、過去にどれくらいの強さだったかは解らなくなる。痺れや痛みが消えてしまえば、痛かった・痺れていたという感覚を持つのだろうが。記しておいて良かったと思う。
とはいっても、右下腿や足裏は最近でどんどん痺れが強くなったのだけは間違いない。前は正座で甲が地面に当たっても痺れていなかったし、青竹踏みをしてもそれほど無感覚ではなかった。

この7年は苦痛だったのかどうか。
全くそんなことを思わない。もちろんこんな身体になったこと自体は悔しさがあるが、起きたことは仕方ない。この7年をどう過ごせたかと考えれば、自分で自分を褒めてあげたいことしかない。それは主に仕事か。それは仕方ない、サラリーを貰って生活しているから生業だ。自己満足の域を出ないのかもしれないが、きちんとアウトプットされた多くの事がある
じゃあプライベートはどうか。元通りの身体を取り戻すことが中心ではあったが、それなりに元通りの生活パターンになったのでは。ただコロナ禍という環境の変化はあるが。
「身体がこうなったから」という言い訳をしない自分を目指したし、それを実現できたと思っていいか。

昨日、ふと思った。
受傷した状態は、朝トイレで目覚めて照明を点けようと立ち上がり、そのまま倒れてベッドの背板に目の上をぶつけて首が反れた。頭がベランダ近くにして倒れていた。
初めて思ったが不思議なのだ。ベッドの背板はベランダ側。照明は足首あたりの位置の上。引っ張って点けられる様ヒモを垂らしている。トイレは足の方向。
立ち上がって照明を点けてからの記憶がない。この時に立ち眩みだったのではないかと自分で推測。
しかし、足元に立ち上がってなぜ背板の方に倒れるのだろうか。ありえないのだ。
ベッドの高さが膝の裏くらい。立ち上がる時に膝の裏に当たって身体が回転したのだろうか。

どうでもいいことだ。これまで一度もこれについて思ったことはなかった。
そんなことを悔やむくらいならスクワットを10回やろうと思ってきた。
これは最近右足裏や右下腿が調子いいからこんなことを思ったのだろう。人間だれしも調子が良ければ調子に乗ってしまう。全ての事柄において。
慢心・過信。ここに隙が生まれる。

調子がいいからこそ、ここでもっと進まないといけない。
そう思って筋トレをすれば荷重も軽く感じる。最近は全て重く感じていた。これは悪い慣れだ。
とにかく次の7年後は65歳。この時にまわりの65歳のオッサンよりも体力・気力が大幅に上回る自分でいよう。
ただただ今日だけは自分を甘やかせたい。Happy Birthday to me. 7歳だ。
posted by shigenon at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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