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2021年12月27日

感覚が変わる

やはり感覚が変わった。
これまでと歩く感覚が違うと先週から書いているが、まさにそう。歩くという意識をしなくても歩いている。これまで常に意識していた。1歩1歩。さあ脚を出そうという命令をしていた。
それをしなくても歩いている。長らくなかったふつうの感覚。脚の痺れはあるが。
右足裏・右下腿の痺れの緩和で変わったと思っていたが違う考えもある。「歩く」という運動神経の回復。あまりいいことばかり言ってもまた泣きつくかもしれないが。

中枢神経には様々な神経がある。
温度や痛覚という感覚神経だけでなく運動神経も通っている。運動をつかさどる運動神経は脊髄の外側を走る皮質脊髄路(錐体路)という部分を通っているらしい。
これまで中枢神経は単なる脳の指令を末梢神経に伝達するだけかと思っていたが勉強不足だった。
その中枢神経の中に歩行を司る神経もあるのだろう(と思う)。
その歩く運動神経が少し回復したのではないか。いや、損傷した中枢神経は復元しない、何か代替機能が出来たのか。

足裏や下腿の痺れが緩和したから歩けるようになったと思っていたが、歩く運動神経のシナプスが形成されたから足の裏や下腿の痺れが緩和したという考え。無理があるだろうか。
痺れは感覚神経。歩くという行動は運動神経。これまでは脳が歩けという命令を無理やり末梢神経に届かせて脚の筋肉を動かしていたイメージなのだ。
その感覚が変わった。

土曜日の鍼。今年1年の変化を記して持って行った。
やはり何がこのように影響したかと言うと鍼の要因は大きいと思う。今年を振り返ったが、何を変わったことをしたかというと足裏の鍼。またその足裏の鍼が打ってもらった瞬間に“効いた”という感覚があったのも事実なのだ。
Aセンセイとも話した。これまでにもお互い思っていたこと。
末梢からカラダを変えられるのではないかという仮説。
自分が受傷して拙い知識で思ったことは、末梢神経を刺激したら中枢神経に何らかの影響を及ぼしてくれないかという希望。「中枢神経を損傷したら元に戻りません」という検索での死刑宣言を受け入れられなかった。
センセイはPNFという。もう既に治療法として研究されていたのだ。自分の勝手な希望的観測は既に研究されていた。ただ、それがどうやって効果や結果を導かせられるかだ。

何がどうなって今の良い状態になったか。それが判れば近道ができるが。
たぶんに複合的な要素がある。鍼、筋トレ、漢方薬、脳の意識など。
それをセンセイと話すが、お互い判りはしない。鍼でも、ここに打ったら効きますよと言い切れる箇所はない。ただセンセイには見える感覚があるのが不思議だ。オカルトのようだ。この日もそうだった。
現時点で改善されたのは事実だ、頚髄不全損傷の後遺症で不自由な身体の人への希望になればいい。
完全に元通りになった訳でもないのにこんなことを書いているのだが、、それくらいの変化なのだ。

金・土と居酒屋Q。帰りに酔って歩いても今までとは違う。
日曜は久しぶりの掃除機。年賀状を終わらせようとしたが、インク切れ。純正でないインクを買っていたのだが、それをプリンターは認識しない。
明日は大阪出張、そしてそのまま友達と呑んで帰省。
posted by shigenon at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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