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2017年07月13日

三願転入

親鸞聖人自身が三願転入の道を通って18願へ出た、
と告白されている三願転入のお言葉

 

ここを以って、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久し
  く万行諸善の仮門を出でて、ながく双樹林下の往生を離れ、善本徳本の真門
  に回入して、偏に難思往生の心をおこしき。然るに今特に方便の真門を出で
  て、選択の願海に転入し、速に難思往生の心を離れて、難思義往生をとげん
  と欲す。果遂の誓、良に由あるかな。

                                                 (教行信証化土巻)


「双樹林下の往生を離れ」
双樹林下往生とはどういうことか。

 

これは19願の往生。だから19願を離れ。

万行諸善の仮門を出でて、というのと同じこと。

「万行諸善の仮門」が因。

「双樹林下往生」が果。化土往生。

 

 万行諸善の仮門 — 因 — 自力
 双樹林下往生   — 果 — 化土往生

 

もし善ができたら。

釈尊がなくなられるときに、沙羅双樹の木の下で淋しく往生された。

 

そして、
「善本徳本の真門に回入して」
20願のことを「植諸徳本の願」といわれる。
諸徳本とは名号のこと。

 

蓮如上人は

 

南無阿弥陀仏」と申す文字は、その数わずかに六字なれば、

さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、

無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなきものなり。
                                             (御文章5帖目3通)

 

釈尊は、

十方恒沙の諸仏如来、皆ともに無量寿仏の威神功徳の

不可思議なるを讃嘆したまう。
                                            (大無量寿経下巻)

 

私達が想像できないのではない。十方の諸仏が想像できない名号。
そういう素晴らしい功徳のある名号。

それを称えなさい、そうすれば助けます。

これが20願。これを「善本徳本の真門」ともいう。

20願に入った。「回入」。

正信偈の「回入」とは意味が違う。

 

「偏に難思往生の心をおこしき」
難思往生、これも20願のこと。

 

 善本徳本の真門 — 因 — 半自力半他力
 難思往生       — 果 — 化土往生

 

称える念仏は他力。だけれども称え心は自力。

だから半自力半他力。
難思往生。

18願を難思義往生と言う。

「義」の字を1字取った。化土往生。

「然るに今特に方便の真門を出でて」

 

20願を出た。
「選択の願海に転入し」
選択の願海とは18願。他力の信心。そこに転入した。

転入とは一念ではいるということ。

回入はいつとはなし。
「速に難思往生の心を離れて」

 

20願を離れて、
「難思義往生をとげん」
難思義往生、18願のこと。

 

 選択の願海 — 因 — 他力
 難思義往生 — 果 — 報土往生 極楽往生

どうして「とげんと欲す」とあるのか。

 

難思義往生を遂げようとしている、ということ。

親鸞聖人教行信証かかれたのは関東におられた52歳のとき。

まだ死んでおられない。

難思義往生遂げておられない。

だから未来形で書かれている。

他力の信心は現在だけれども、往生は死んでからの往生だから。

「果遂の誓、良に由あるかな。」
果遂の誓とは20願。結果を遂げさせて見せる。

結果とは18願。まことであった、といわれている。

 

そういう道のりを親鸞とおった。そしてこの世界へ出た、といわれている。

では、この三願転入のみちのりは親鸞聖人だけのことではないか。

親鸞聖人がご苦労された。我々はそんなことする必要はない。

捨てよといわれているではないか。

そういう人結構いる。この道は十方衆生が通らなければならない、

ということをいうにはどうすればいいか。

 

「十方衆生」と誓われている。

最初からいきなり18願へ入れるのならば、わざわざ19願20願説かれる必要はない。

方便を通らずしては絶対に真実に入ることはできない。

だから善導大師は19願のことを「要門」といわれている。

「要」とは、必要、重要、肝要。

かならずここを通らなければあの世界へ入れない。

 

三願転入の御文、親鸞聖人だけでなく、

すべての人、みんなこの道を通る。

posted by 陽葵 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教
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