仏様の慈悲とは、どういうものか教えられた言葉に、
「仏の慈悲は、苦ある者に偏に重し」
たとえば、苦しんでますか?
それとも楽してますか?
苦しんでます、という事は、よかったねぇ。余計に重い。
苦しみや悩みの色濃い人と、さほど苦しんでいない人と。
苦しい者に、余計に重くかかるのだ。
特に、仏法を求めてゆく上で、家庭の苦労とか、仕事の苦労とか。
別に仏法を聞き求めても、求めなくても、
どんな場合にも問題になるのですが。
真実を求めてゆく時に、苦しみや悩み、可哀想だ、
とは、ちょっと思いませんね。
実は、そういう人に、偏に重くかかって下さるのが、仏の慈悲だ、
ということです。
親鸞聖人が比叡山で修行をしておられたとき、
不思議な女性とめぐりあい、
「私もお山に連れていって下さい」
といわれました。
ところが、女人だから、連れてゆけないよ。
とルール通りの回答をすると、
「親鸞さま、あなたまでそんな事おっしゃるのですか」
どうもおかしい事でありませんか。
「メスの獣や鳥がおりませんか。すでに汚れています。
人間のメスだけが汚れているのならば、苦しんでいる、
その苦しんでいるものに重くかかるのが仏の慈悲と聞いております」
仏教では、女人という言葉を使って、
女の人というよりも、苦しんでいる人
男性でも、苦しんでいる人もいますし、
女性でも全然苦しんでいない人もいる。
最近では、女性よりも男性の方が悩みやすいですよね。
何を、そんな事悩んでもしかたないだろ。
女性よりも男性が多い時代に突入。
そこで、そういうこれ、女人の事を、
仏教の言葉で、悪人とも言いまして、
仏の慈悲が、苦ある者に重い、という事は、苦しんでいる人、
苦悩の人が正客である。
そういう人に、より強く慈悲がかかって、その慈悲によって、救いとる。
苦悩の人が正客であるという事を、悪人正機の教え、といいます。
ほぼ同じ意味を表す、女人成仏。
親鸞聖人の御和讃や
女人成仏、という言葉がよく出てきて、
浄土真宗の特徴です。
そんなものを目当てに救う、そんな教えだという事ですが、
仏教の別の言葉で言うと、何の事でしょう。
これは、阿弥陀仏の本願の事であります。
阿弥陀仏の本願といいますのは、
阿弥陀仏の大慈悲心によってたてられた願いの事ですから、
慈悲という言葉を使って阿弥陀仏の本願を表しますと、
大悲の弘誓。
大悲の願船。
超世の悲願。
沢山ありますけれど、阿弥陀仏の本願とは、まったくこれもって、
阿弥陀仏の大慈悲心によって立てられたものでありますから。
苦しきものに重い、そんなものの為に建てられた本願。
そんなものの元になっている、仏の慈悲とは、何か。
知る必要があります。
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