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2017年07月15日

悪人正機から見た御臨末の御書


「我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、

和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。

一人居て喜ばは二人と思うべし、

二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり」

御臨末の御書

 

よせかけよせかけ来ておられる聖人を、極楽
浄土へ追いやっている者ばかり。

一人居て喜ばは二人と思えと言われても、

「それは信心決定の人のこと」と、

一人淋しく泣いている。

 

一人居て苦しまば二人と思うべし、

二人居て悩まば三人と思うべし、

その一人は親鸞なり。

 

衆生苦悩我苦悩の聖人を忘れている。
悪人正機、善人あとまわし。

苦しんでいる者を放置されるはずがない。
喜びも悲しみも、聖人は共にある。

 

 

それは信心決定した人の事、

一人寂しく泣いている。

 

そういう人は、極楽へ行ける人だから、いいなぁ、結構だなぁ。

苦しい事や悩ましい事が一杯あって、

聖人が来て下さらない、と寂しく泣いている。

 

苦しんでいる者を放置されるはずがない。
喜びも悲しみも、聖人は共にある。

これは、親鸞聖人がね、衆生済度の為に、何回も何回も帰ってくる、

というのは、道を求めながら、つまずいちゃった、もうだめじゃないか。

途中で、苦しんだり悩んだりしている人に、頑張れよ。

そこでへこたれちゃだめだぞ
あなたの苦しみも悩みもわかっているから、さぁ、前へ進みなさい。

 

そういう親鸞聖人ですから、求めぬいた人を、よかったねぇよかったねぇ。
側にきて、頑張れ頑張れ、といって下された聖人だからこそ、

よかった、よかったと、喜んで下さる聖人。

阿弥陀仏の大慈悲心で、そういう阿弥陀仏の本願を大慈悲と名付けられ、

最期の御臨末の御書。

書かれている。

posted by 陽葵 at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教
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