「我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、
和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり」
(御臨末の御書)
よせかけよせかけ来ておられる聖人を、極楽
浄土へ追いやっている者ばかり。
一人居て喜ばは二人と思えと言われても、
「それは信心決定の人のこと」と、
一人淋しく泣いている。
一人居て苦しまば二人と思うべし、
二人居て悩まば三人と思うべし、
その一人は親鸞なり。
衆生苦悩我苦悩の聖人を忘れている。
悪人正機、善人あとまわし。
苦しんでいる者を放置されるはずがない。
喜びも悲しみも、聖人は共にある。
それは信心決定した人の事、
一人寂しく泣いている。
そういう人は、極楽へ行ける人だから、いいなぁ、結構だなぁ。
苦しい事や悩ましい事が一杯あって、
聖人が来て下さらない、と寂しく泣いている。
苦しんでいる者を放置されるはずがない。
喜びも悲しみも、聖人は共にある。
これは、親鸞聖人がね、衆生済度の為に、何回も何回も帰ってくる、
というのは、道を求めながら、つまずいちゃった、もうだめじゃないか。
途中で、苦しんだり悩んだりしている人に、頑張れよ。
そこでへこたれちゃだめだぞ
あなたの苦しみも悩みもわかっているから、さぁ、前へ進みなさい。
そういう親鸞聖人ですから、求めぬいた人を、よかったねぇよかったねぇ。
側にきて、頑張れ頑張れ、といって下された聖人だからこそ、
よかった、よかったと、喜んで下さる聖人。
阿弥陀仏の大慈悲心で、そういう阿弥陀仏の本願を大慈悲と名付けられ、
最期の御臨末の御書。
書かれている。
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