キルケゴールはこう言っています。
1つ目は美的実存です。
欲望を満たして幸せになろうとしている段階です。
しかし、欲望は満たせませんので、幸せにはなれません。
2つ目は倫理的実存です。
今度は逆に欲望を無くして幸せになろうとする段階です。
年をとって、後は、ボランティアなどをしますという人もあります。
キルケゴールも徹底的に実行しようとしました。
すると悪に敏感になってきました。
ずるずる寝ていた人が、しっかりと起きてと実行するようになると悪に敏感になります。
今まで自分がやっていたのに、8時に起きたとかいう友達に対して、だめじゃないかと思います。
私はこんな善をやっているぞと、自惚れている心が知らされてきます。
やればやるほど煩悩が逆巻いてきて、
とてもなくすことはできないということが知らされます。
そんな煩悩でできた人間が幸せになれないということが知らされます。
では幸せになれない存在というので結論でいいでしょうか。
それでは苦しむために生きていることになってしまいます。
そこで、人間が幸せになれるとしたら3つ目の宗教的実存になります。
田辺元とキルケゴールという本がありました。
キルケゴールの哲学を浄土真宗の立場で理解するとこうなるというものです。
本当の幸せになるには、真の心を外から得なければならない。
真の心を与えて幸せにするという教えあるか。
キルケゴールは一度、キリスト教を捨てて
三段階でまた、キリスト教に求めました。
ピュアな心を与えて救うという教えを求めた。
しかしキルケゴールには見つかりませんでした。
キリスト教は神を信じよといいます。
信じる者は救われるというもの。
私達に信じる心があれば救われるが、私たちには信じる心も無いから救われません。
そんな者を救うのが、阿弥陀如来なのです。
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