前半
色は匂えど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
後半
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔いもせず
となっています。
前半は、諸行無常が教えられています。
後半には「有為の奥山今日越えて」
という世界があるんですよということです。
じゃあそれはどんな世界で、
どうしたらその世界に出られるのでしょうか。
この内容を聞かないと死んでも死にきれないと思います。
では有為の奥山今日越えて・・とは
どんな世界でどこに誰が教えているのか。
これは大変な問題なです。
いろは歌の後半二行には
人間に生まれてきた目的、
全人類が生きる意味、
人間存在そのものの意味
これが教えられています。
今回はぎゅっと凝縮します。
有為の奥山の有為とは無為の反対の意味です。
有為とは苦しみ悩みがある、
苦しみ悩みに満ちているということです。
その反対が無為。苦しみ悩みが解決した、
苦しみ悩みから開放された世界です。
仏教の言葉ですから漢字の意味を解説しようとすると難しいですね。
有為の奥山今日越えてということは、
生きているときに、苦しみ悩みが解決できた
ということです。
それは、浅い夢のようなものでもなければ酒に酔ったようなものでもない、
ハッキリしたものだということです。
その本当の生きる意味が仏教に教えられているのです。
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