この世のすべては常がない、続かないということです。
このように話すと続かなくてもいいのでないか。
続かないからこそ趣があっていいんでないかという向きもあります。
なくなったらなくなったで仕方ない。
次のものを求めればそれでいいのではないかということです。
確かに消しゴムなくしたといって1週間も落ち込んでいる人はない。
また新しいのをかえばいい。
だが、無常は無常でも自分が大事に、大切にしているものを失ったらどうか。
自分が心から大事にしているものを失ったら。
目が悪くてかけているメガネを失ったら・・
仕事をしている人、一ヶ月かけて稼いだ給料を20万円とすると、
その給料を財布にいれて美味しいものでも食べようと思っていたが
帰ってみるとなくなっていた。
どこ落とした!と探しても出てこない。
財布落としたんだって、大変だったね。
なくしてもいいじゃん、なくしたからこそいいんだよ
ということです。
財布をなくした友達がいたらどう思うでしょうか?
人の気も知らないでと怒ると思います。
例えば、大学のレポート、5時間かけて書いたデータが消えた
どこ探しても出てこない。俺の5時間、なんだったのか!とショックを受けます。
無常は無常でも、自分にとって大事なものを失った時、苦しんだり悲しんだりします。
100円なら捨てておけても1万円なら捨てておけません。
実は100円も捨てておけません。
まだお金やレポートなら再び作り直す事はできるが
そうでないものならどうでしょうか?
津波で家族を失った人があります。
家族いなくなってもいいじゃんとはとても言えないし、そもそも思えません。
このように私たちは幸せを求めて生きているがいつかは失ってしまう。
そして、一番激しい無常は、自分自身です。
自分もやがて死んでしまう。
それが諸行無常です。
この諸行無常のまま、変わらない幸せになる方法が、
仏教に教えられているのです。
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