人生の荒海で、すがっていた丸太ん棒に裏切られる
というのはどういうことでしょうか。
丸太棒とは生きがいのことです。
なぜ、丸太ん棒にすがるのかというと、
いろいろな波が次から次とやってきて苦しいからです。
溺れるものは藁をもつかむ。
趣味や生きがいで何とか楽しく生きたいと思っています。
それが裏切られます。
これさえあれば幸せになれるに違いないと思っていたのに、
手に入れたら全然そうではなかった。
初めは楽しめたけど、その楽しみが消えてしまった。
楽しみが続かなかった、ということです。
・彼女さえいれば幸せになれると思っていて、
実際に彼女ができた。
しかし、彼女がいると金がかかります。
他の男と話をしていると気が気でない。
また苦しみます。
・テナーサックスを買った。
しかし、音程がみんな半音低かった。
・家さえあれば幸せになれると思っていて、家を建てた。
しかし、ローン地獄。
やっと払い終わったと思ったら、家はぼろぼろです。
・結婚さえしたらと思って、結婚をした。
しかし、鬼嫁だった。
夜いびきがうるさかったとか、歯ぎしりがうるさかったとか。
・子供さえいればと思って、子供ができた。
しかし、病気がちで病院がよい。
あるいは、他の子供をいじめ始めたとか。
子供が覚醒剤をやっているとか。
それによって自由が奪われて、やがて苦しみます。
これさえ手に入れれば幸せになれるはずだと思って、
手に入れたらちっとも喜べなかった。
これを「裏切られた」といいます。
誰も一遍も裏切られたことがないなんていう人はいません。
共感できます。
何度も裏切られていくうちに、結局人生どうにもならないものなのだ、
本当に幸せになれるなどということはないのだと思います。
それが心の闇です。
所詮は人生はこんなものなのだなと、最後は諦めて死んでしまいます。
これが心の闇。
その心の闇が、難度海を明るく楽しく渡す大船に乗せていただいたらなくなります。
ところが仏教には、
「難思の弘誓は難度海を度する大船」
と教えられています。
苦しい人生の海を明るく楽しくわたす大きな船があるということです。
その船に乗ることが、本当の生きる目的です。
その船に乗ってこそ、生きる意味があります。
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