難度海とは何でしょうか?
今日は、「難度海」をどのように分かってもらえばいいでしょうか。
まず、難度海はどこに出てくるでしょうか。
難思の弘誓は難度海を度する大船、
無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり。
(教行信証総序)
「難度海」とは、私たちの人生のことです。
「苦海」ともいいます。
苦海はどこに出てくるでしょうか?
生死の苦海ほとりなし
ひさしくしずめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける(高僧和讃:龍樹菩薩(ナーガールジュナ))
「ほとりなし」とは見渡す限り海が広がっている。
際限がない、ということです。
その難度海に長い間沈んで苦しんでいます。
そんな私たちを「弥陀弘誓の船」だけが乗せて必ず渡して下される。
「のみぞ」ですから、これだけということです。
この船だけが本当の幸せにすくい取ってくださるということです。
教行信証では「弥陀弘誓の船」を「難思の弘誓」と仰っています。
「度する」とは「明るく楽しく渡してくださる」ということです。
「弥陀弘誓の船」=「難思の弘誓」=阿弥陀如来の本願です。
阿弥陀如来の本願一つを説かれたのが仏教です。
ブッダが「唯説」されたのが阿弥陀如来の本願です。
大きな船があるんだよ、あなた乗ってくださいよ
とブッダが45年間叫び続けてくだされたのです。
そういうことで、仏教を伝えるということは、
まだ働く意味もなんのために生きるのかもわからない人たちに
「こんな大きな船があるんだよ。
誰でも明るく楽しくわたることができるんだよ。
一緒に乗らないか」
これが本当の生きる意味だということです。
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