信心がなぜ必要なのかというと
何かを信じなければ生きていけないからですね。
私達が信心と聞くと、
神や仏を信ずることのようにおもいますが、
それだけが信心ではありません。
「鰯の頭も信心から」といわれるじゃありませんか。
その人が価値があると思って信じれば、
神や仏以外でも何でも信心です。
特に浄土真宗の中には、
親鸞聖人は人の信心をあれこれいわれなかったと、
心の広い方だったと思っている人もいます。
いろんな宗教があっても、
その人が信じていたらそれでいいじゃないかということですが、
とんでもない間違いです。
オウムでも、その人がそれでいいというならそれで
いいのかといったら、違うでしょう。
そんなことをやっていたら、
結局その人や周りが苦しみ、後悔することになるんですから、
鰯の頭も信心からなんて、とんでもないことです。
タグ:浄土真宗
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