信心の行者には天神・地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし、
罪悪も業報を感ずることあたわず、
諸善も及ぶことなき故に無碍の一道なり、と云々。(歎異抄7章)
人生の目的は無碍の一道に出ること。
では無碍の一道に出たらどうなるか
書かれている。
信心の行者、念仏者と同じ。
その信心の行者には、天神地祇が敬伏する。
天地の神々が、あなたは素晴らしい人、と頭を下げる。
旅館にバスで、会社の慰安旅行なんかに行くと、必ずといっていいほど、従
業員一同が、ありがとうございましたぁー。
これは、人間やお客さんが立派なんでなくて、金づる。
金に頭を下げるている。
あるいは、政治家に頭を下げる。金持ちに頭を下げる。
そうすると、その人の力で、有利に金を導いてもらえる。
別に、心からその人を尊敬しているとか、ない。
それが、無碍の一道に出た人は、
天地の神から、心から敬って頭を下げられる身になる。
教学的に言いますと、
あなたは阿弥陀仏から仏心を賜った人、
南無阿弥陀仏を頂いた人。
阿弥陀仏は私達の最も尊敬する仏様。
その阿弥陀仏から、仏心を頂いた。
そんなあなたに、阿弥陀仏の下にいる仏方、心から頭を下げる。
虎の威をかる狐。
キツネが虎に食べられそうになったとき
内心はびくびくしながら
虎に対して、
森の神だからそんな事をしたらダメだ」
うまい事言った。
「そんな事ないだろ?そんなら、俺の後を付いて来いよ」
本当かな?と虎が付いて行く。
狐が通ると、その後をすんげぇ虎がついて来る。
あれぇーと逃げていく。虎が怖いから。
行進して、見たか、俺は森の神だから、みんな逃げていくんだ。
わかったか。
すいませんでした。
これは、狐の方にはまったく値打ちもなければ力もない。
そういうのを、徳がない、という。
周りの人が敬うような徳、そんなもの持っていないのが、狐なんです。
ところが、虎をバックにつけておくと、虎の徳っていうのは凄くって、
虎を見たら、みんな逃げる。そんなものなんですね。
無碍の一道へ出ると、至徳具足の益。
徳のない私達が、無碍の一道に出ますと、
阿弥陀仏がバックにつく。
いつどこに居ても、阿弥陀仏を連れている。
南無阿弥陀仏を賜った、そういうあなたに、
天の神も地の神も、頭を下げる。
いやー、あなたは凄い人。
そういう幸せの世界に出れるのですよ。
よく、歎異鈔第七章、
関東で、平太郎という男が、熊野権現に参らなければならなくなった。
荷物持ちだけはよい。仮病を使って、行かなかった。
おい平太郎、ここまで来ておいて、
わしの所までどうしてこなかったのじゃ。
もう一方の襖から、親鸞聖人が現れて、私の教えを聞いて、
念仏するものぞと言われた。
御伝鈔に書かれています。
世にも不思議な事でございますね。
もし皆さんが、念仏者になって、無碍の一道の世界に出たら、
阿弥陀仏から南無阿弥陀仏を賜って。
あなたは、私の上の上の上にいらっしゃる阿弥陀仏から
南無阿弥陀仏を賜った身だ。
そして、その次に、魔界外道も障碍する事なし。
お前の信心は間違いだ、仏教の教えをねじ曲げるもの。
一切の妨害に妨げられることない。
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