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2018年09月10日

授業以前の問題 〜まず座らせる〜

教室に入ると、生徒が好き勝手に座っている。少ない人数だから、空席も目立つが、中央部分はぽっかりと抜け、両サイドと最後列付近に座っているのだ。すでに二つの机をくっつけて、楽しそうに談笑している席もある。その座席は、授業中には三つの机が並んでいた。

授業後、担当の先生に、「座席は自由に座らせているのか」と尋ねたら、「座席を決めるのを忘れていました」とのこと。「三人並んでいるのはどういうことか」とたたみかけたら、「教科書、忘れたみたいです」、続いて、「すぐにプリントを無くすんです。」とも。

新卒の先生であっても、『教室に先生が入れば、生徒は黙って座って、静かに授業を聞いてくれる』、と思っている人は少ないだろう。それは、自分たちの生徒時代を思い出せば分かるはずで、悲しいかな、実力のある先生の授業は、あたかも教師と先生が一体化して、一つのドラマチックは授業が成立するが、そうでなければ、下手をすると授業は崩壊する。その差は、紙一重のような気もするが、ポイントさえ抑えれば、誰でも、授業として合格点に達することができるだろう。新任教師向けの教育書には、そうしたポイントがたくさん紹介されている。およそ、教員の世界でいきようと決意したならば、そうした参考書籍の一冊や二冊くらい読まないのだろうか。

『学校として、座席を自由に座らせるというのはあり得ない』こと、そして、『忘れ物をしたからと言って、簡単の机をくっつけて良いという文化は、忘れ物をしてもどうってことない、というムードを作る』ということ。さらには、『プリントを無くすというなら、専用のファイルを作りなさい。プリントをなくしたからすぐに新しいプリントを渡してしまえば、この先生プリントは持ってこなくても大丈夫ということになる』、と指示した。

まさに授業以前の問題である。これでは、授業として成立することはないだろうと思う。

実際、授業中はほとんどの生徒が、後ろを向いておしゃべりしたり、隣の人と話をしていた。

幸い、大人しい生徒たちだから、授業中騒ぎ始めたり、立ち歩いて遊び出したりすることはないと思うが、これでは、先生と生徒の信頼関係は築けない。

「まず、生徒を座らせることからだ」
以前勤めたことのある教育困難のクラスで、先輩教員から教えてもらった言葉だ。

授業担当が変わって、はや数週間、ここまで放置していた私の責任も重い。
申し訳ないけれども、しばらくは介入させていただこうと思う。

2018年09月09日

心が折れる

「先生…」
と、笑いながら、一枚の退部届を差し出す生徒。

「もう、先輩の態度に耐えられません。」
と、泣きながら相談に来る生徒。

一頃、『心が折れる』という言葉が流行ったが、どちらも心が折れている状態だ。
とかく、中高生は心が折れやすい。

以前、心が折れる人は、『頭が固く、完全主義で利己主義者』である、と本で読んだことがあるが、冷静に分析してみると、確かにそのように見える。

と言って、彼らに、「キミは自己中だ」などとは言えない。
そっと、心に寄り添って、「辛かったねぇ」と同悲、同苦の思いで接することになる。

悩みは、自分の心の中にため込むと、どんどん蓄積し、いつしか爆発してしまう。
どこかで、吐き出すか、抜き取るか、消し去るなどのすべを教えてあげなければならない。

大人だって、『心が折れる』人が多いだろうが、こちらは、そう言うことで、何となく現実逃避している傾向があるように思えてならない。もちろん、私だって、そういう気持ちになることはある。

しかし、そういう状態になるまで、多くの人に実は助けられ、またいろいろなアドバイスを受けていたということを、当の本人は全く気づいていないだろう。

中高生ならば、いつしか気づくときが来るか、それとも青春期の苦しかった思い出として、流されていくだけか。

踏みとどまり、自らの心の強さを信じ、あと一歩と前進していくことができれば、知らない間に解決していることも多いのだろう。

そのためには教師側の徳力、「なぜかあの先生の言うことを聞くと、元気が出てくるな…」というような、目に見えない力が、彼らに響いていくことが必要だろう。

まだまだ、私の力量ではそうした域には遠く及ばない…。

2018年09月07日

訪問校での会議が楽しみ

公立学校では、しばしば勤務校が変わるので、そのたびに新しい学校のカルチャーに触れることになるが、私のような私立畑ばかりを歩いてきた者にとっては、なかなか他校の様子を知るすべがない。
保護者か、校長クラスでなければ、「なかなかお宅の学校を見学させて下さい。」とはお願いしにくいし、昨今のセキュリティー強化で、部外者が校内の入ることはかなりの困難だ。

そんな折、部活関連やらで、他の学校で行われる会議に出掛ける時こそ、ちょこっと学校の様子を覗けるチャンスである。

教室にはどんな掲示があるのだろうか。廊下に貼りだしている掲示はどんなもの…などなど、廊下やトイレの隅々まで、さりげなく見て回る。

しかし、何よりの楽しみは訪問校の生徒と会うことである。

「こんにちは〜」
と元気な笑顔で挨拶されると、よく躾けられているな、自分の学校でも頑張らなくっちゃ…と思う。

以前、校長に、『若手の教員を地元の公立学校へ学校視察に行ってもらったらどうか。きっと、学ぶべきことが多いから。そのための手配をしてもらいたい。』と提案したが、渋られた。

我が校こそ、視察されるべき学校である、と思っているかどうかは分からないが、自分の外側にあるものから学ぶべき点は多いはずだ。かの吉川英治氏も、「我以外、皆我が師なり」と言っているではないか。

若手の先生方には、是非よその学校を見学してもらいたいと思う。それを通して、『自分たちに欠けている何か』が見えてくるだろうし、あるいは逆に、『自分たちの方向性の正しさ』も感じ、自信にもなるだろう。

経験年数が財産として蓄積されやすい教育職という世界では、常に新しいことを学び続けることが、必要不可欠である。

もうすぐ、私も会議がある。何度も訪問している地元の古参伝統校ではあるが、それでも訪問するたびに学びがある。新しい発見を求めて、いまから楽しみでワクワクしている。

2018年09月06日

『授業中寝ない!』という目標

7時間目の学活で、当面の重点目標を設定するために、班ごとで話し合い、それを発表させた。

「授業中の目標はどんなのがあるかな?」という問いかけに、「寝な〜い」という声が上がった。

「念のために聞くけど、今日の一時間目から六時間目で、寝てしまった人はどのくらいいるの? 手を挙げてくれる?」

おいおい三十人のクラスのおよそ三分の二の生徒が手を挙げているではないか…。すかさず、
「君たちの学校は、世界一居眠りの多い中学校だと思うよ…」とジョブを入れる。

学活の時間をちらっと、覗いていた校長にこの事実を報告すると、「みんな正直に手を挙げるんだね。」と笑っておられた。素直なのか、中学二年生としては、まだまだ幼いのかは、判断に迷うが、教育のプロとしては、その原因と対策を考えねばなるまい。

授業中寝てしまう理由は、

@生徒たちが極度に疲れている。(生徒の疲労困憊)
A授業が教師側の一方通行で、生徒があまり授業に参加していない。(教師の一方通行授業)
B教師側の話し方が単調で、眠気をそそう。(教師の単調授業)
C授業レベルが、生徒のレベルに合っていない。(教師のレベル設定ミス)
Dそもそも授業を行う教師が嫌われている。(教師と生徒の人間関係崩壊)

などが考えられるが、そのほとんどは、教師側の力量不足ということになる。

そうすると、『授業中寝ない』という目標設定は、教員側の生徒たちへの責任転嫁にも思えてくる。生徒自身の行動基準というよりむしろ、教員側のスキルアップ問題であることに気づく。

目標設定はごり押しするとしても、さて、先生たちに、「生徒が寝ない授業を創り上げましょう!」と促すべきかどうか…。ちょっと躊躇してしまうのは、自分自身のリーダーシップ不足ということか…。
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