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2015年11月20日

100分で名著 サルトル「実存主義とは何か」A

サルトルの考えでは、
ペーパーナイフは紙を切るという目的が先ずあって、
ペーパーナイフが作られ、そして存在(実存)する。
ところが人間はそうではない。
先ず人間というものが生まれ、存在するが、
その人間がどうなるかはまだ分からない。
その人間がどうなっていくのかは
その人間の意思によって決定していく。

ここですでに私はつまずいた。

ペーパーナイフは確かに紙を切る目的で作られたかもしれないが、
それはその物体がペーパーナイフだと知っている人が手にして
初めてペーパーナイフになる。
何の予備知識もなければ
ある人はバターナイフにするだろうし、
背中を掻く人もいるだろう。
自分で刃先を尖らせて武器に使う人もいるかもしれない。

有名な例を挙げると
ノーベル賞のノーベルは、
平和利用のために作り出したダイナマイトが
武器となって大勢の人を殺していることに心を痛め
賞の創設をしたという美談となっている。

そうなると物の本質というのは
見る角度、見る人によって変化する事になる。
使う人の意思によって変化するのであれば
それは人の実存と同じではないか。
だとすればこの場合に出す例としては不適切だろう。

ただここをサルトルの間違えだとしてクリアすれば
後の考え方は理解できるようになった。

人間は本質のために創りだされたのではなく
自分の意志で本質を作り上げる。
決められた運命などないのだから
神など存在しない。
古の哲学者たちが人間を定義してきたが、
本当に彼らの言うとおりなのだろうか。
そういった固定観念・先入観にとらわれて
我々は本当の姿を見失ってしまっているのではないか。

二度の世界大戦による不条理感を経たうえで出てきた言葉だし、
それまでの認知バイアスを砕く考えであったために
サルトルは若者たちに支持されて
実存主義は世界中に波及していったのであろう。





posted by 黒豚猫 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学

2015年11月19日

100分で名著 サルトル「実存主義とは何か」@

Eテレの「100分で名著」、
これは私にとってはたいへん助かる。

私は小説を読むのは好きだが、
その小説は日本の、登場人物が日本人のものに限られる。
カタカナの人名が覚えられないので
登場人物一覧を見返しながら読まなければいけないので
海外物はイライラして読む気にならないのだ。

その点この番組はテレビだから
登場人物が視覚で分かるようになっているし、
話の流れはかいつまんで明瞭だし、
ポイントを解説してくれるので分かりやすい。

それに名作の翻訳物というのは
かなり昔に翻訳されているものが多く、
現代の感覚に合っていないものが多い。
今どきコートを外套などと呼ぶ人っているのだろうか。
雰囲気はあるかもしれないが
そういった一つ一つが疲れてしまう。

今月はサルトルの「実存主義とは何か」を取り上げている。

実存主義というのは実につかみにくい哲学で、
高校時代にある程度習うといっても
倫理の教科書の終わり付近に載っているから
学年末ということで世界史の近代同様パパっと終わってしまう。

それゆえ実存主義に関する知識としては
ナヨっちい肖像画のキルケゴールが有神論的で、
ニーチェやサルトルが無神論的、
大橋巨泉が「私は実存主義者だ」と言っていたことくらい。
いろいろ調べても概要はなんとなく分かるが
核心が理解できなかった。
実存主義者って一体何をどうする人なのだ?

この番組の初回「実存は本質に先立つ」の冒頭、
ペーパーナイフの例が出てきた。
これでますます分からなくなってしまった。








posted by 黒豚猫 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学

2015年09月18日

歴史は実験結果

私は歴史が好きで、
デアゴスティーニの歴史のミステリーを
事あるごとに読んでいる。

ふと考えたのだが、
歴史というのは人間が過去に行ってきた
社会実験の実験結果集なのである。

その時代に、どのような人物が、
どのような場所で、どのような状況の時に、
どのように考えて、どう行動し、
どのような結果が生まれ、その後どう状況が変化していったか。

こういった実験の結果なのだから
後々の我々の参考にならないわけがない。
だから歴史に興味をもつわけである。

私は小説を読むことも好きだ。
歴史はまあノンフィクションだが、
小説はフィクションである。

フィクションは我々の参考にならないのだろうか?

見方を変えれば、
フィクションは実験の仮説集と言えないだろうか?

「事実は小説よりも奇なり」とよく言われる。
現実に起こったことのほうが
人智を凌駕してしまうのは世の常だ。
なぜなら、あまりに突飛な発想は現実感がなく
フィクションとして成立しないからだ。
しかもエンディングがすっきりとしていないと
商売として成り立たないから
ある意味理想論的にならざるをえない。

ノンフィクションならば
話し建てが滅茶苦茶だろうが
実際に起きてしまったのだから認めざるを得ず、
エンディングに納得できなくても飲み込むしかない。

その奥行がない分フィクションは、
表面的ゆえの単純さで
仮説としてしっかりと我々に示唆を与えてくれる。

実験結果がこれだけあるのだから
現在起こっていること、起こりつつあること、
起こるであろうことの実験もあったことだろう。

場所・状況・環境が変わればその通りにはならないだろうが
参考にすることはできる。

参考にするために歴史のミステリーを
読んでいるわけではないのだけど。


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posted by 黒豚猫 at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学

2015年08月19日

猫に仏性



数日涼しくなったと思ったら
また暑さがぶり返し、
猫、飼い主ともどもグッタリである。

人間の場合は天気予報を見て
この暑さも何日くらいで終わるかと
大体の終点が見えるので我慢もしやすいが、
猫の場合は訳も分からず
涼しさや暑さを受け入れなければいけないのだから
悟りに関しては人間以上なのだろう。

鎌倉期の日本の仏教の各宗派では
「仏性」に関する議論が盛んだった。
山川草木はおろか岩や砂利にまで
仏性があるという話まで出ている。

私の拙い理論から言わせてもらえば
これは仏教という哲学だけの話ではなく、
物理学の話になるのだが、
砂利はおろか空気にすら仏性はある。
それはまあ暑いから
考えるのも指先を動かすのも面倒なくらいなので置いといて、
猫には確実に仏性はあるとだけ今は書き記しておく。




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posted by 黒豚猫 at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学

2015年07月16日

単純なレッテル貼りでは

昨日の
「クリスチャン同士で同性婚に対する立場の違い」
の続きになるのかもしれないのだけど、
今回の安保法制に関しても
同じようなことが言えるのが面白い。

安保法案に賛成の人を右翼、
反対の人を左翼という決め付けがあるが、
普段右翼的な発言をしている人の中にも
アメリカの言いなりになっている今回の法案に
反対している人はいる。

人というものは「分からない」ものを恐れる。
そのために何らかのレッテルを貼ることによって
安心したがるものだ。

そのために複雑になってしまうと分かりにくくなるから
右か左かの1/2という単純なカテゴリー分けをしたがる。
でも実際はそんなに単純ではない。

右翼的言動と言っても色んな考えのもとで行われている。
明治期のような天皇を中心とした政治を理想とする人もいれば
天皇は置いといて、
日本はアジアの盟主でなければならないと考える人、
とにかく全てにおいて日本は素晴らしいと考える人、
外国人が嫌いだから排斥したい人、
現状に満足しているから変化することなく維持したい人、
などなど。

左翼も同様で
いまだにマルクス主義が正しいと信じている人、
今の政府がすることの何もかもが気に入らない人、
何かが起きれば今の自分に変化が訪れるかもしれないと考える人、

本当はそれぞれ立場は違うはずなのに
大雑把なカテゴリーで分けられてしまうし、
また、その人達も
どこにも所属していないとなると不安になるので
カテゴリーに入りたがる。
カテゴリーに入ることで安心して、
別のカテゴリーを攻撃できる。

政治がゴタゴタするのもそういう理由で、
ある局面では考え方が似ているということで政党を作るのだが、
別の局面になると考え方が違うと離党したり解散したり。

だったら無所属で、という形にすると
発言権やら交付金やらで制約が生じてしまい、
仕方なくまた政党に所属することになる。

最近のイギリスがそのようになっていて
実に興味深い。

元々イギリスは二大政党制で、
保守党と労働党がそれぞれ与党野党になってきていた。
ところが直近の選挙で小政党が躍進し、
連立しなければ政権運営ができなくなった。

また色んな国で議会のねじれ現象が起きている。
それによって政治が滞るというニュースが
頻繁に流れている。

つまりこれは
単純なカテゴリー分けでは物事を判断できないということが
世界的にも広がっていることを意味している。

右翼だ左翼だと決めつけてレッテル貼りをしていては
物事の本質は見えてこない。
何か別の価値基準が求められているように感じる。




posted by 黒豚猫 at 12:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学

2015年07月05日

二元論の怖さ

ギリシャの国民投票が始まった。

西洋というか一神教の国というか、
二元論の考え方の土地というのはすごいな。
白か黒か、しかない。
もっと柔軟な姿勢があれば
現状のような債務超過の国には
ならなかったのかもしれない。

ギリシャが破たん寸前なのは
政治が民衆の喜ぶ方に傾きすぎたためだ。
政治というのは飴と鞭の使い分けが大事で、
国民が嫌がることもお願いしなければいけない。
ところがギリシャの政治家は選挙に勝つことだけを考えて
国民に飴玉しか与えてこなかった。
どうも飴、もしくは鞭という二元論でしか
政治を行っていないように見える。

二元論といえば最近の日本もそのようになりつつある。

先日起こってしまった新幹線での焼身自殺。
私はあれば自爆テロだと思っているが、
あの事件が起こって
「新幹線の安全神話が」
という論調が先に出た。
ところがその後、
「安全云々言うのはおかしい。
老人が自殺してしまう世の中を何とかするべきだ」
という論調に一気に振れた。

いやいや、
これは両方平行して考えるべきことではないのだろうか。

安全と言われていた日本でも
過去には地下鉄サリン事件があった。
今回の安保法案が成立すれば、
海外の紛争に日本が首を突っ込む事態も起こるだろう。
そうすれば日本がテロの標的になる可能性もある。

景気の回復が盛んに宣伝されているが、
いまだ格差は縮まっていないし、
今後年金の支給額は減るだろうし、
支給開始年齢も上がっていくだろう。

これらは両方解決しなければいけない事案であるはずだ。
テロ対策はテロ対策として
今後このような事件が起こらないように対策をする。
一方で高齢化が進むことによって増える
孤独な老人を作らないように
行政として、個人として何ができるかを考える。

確かに二元論は楽だ。
あれこれ考えなくとも自動的に判断できる。
だがそれでいいのだろうか。




posted by 黒豚猫 at 15:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学

2015年06月15日

つながり、必要?

日本人っていうのは
「仲間」「友情」みたいなのが好きだよなぁ。
漫画でもある時から急激にそういうものが増えていった。

色んな宣伝でも「つながるつながる」とうるさいぐらいだ。
これだけ連日つながると言われ続ければ
つながっていないと不安になるのも仕方がないか。

つながって支え合わなければいけないくらい
個の力が落ちているのか、
それとも必要以上に意識しなければ感じることができないくらい
人と人の関係性が希薄になったのか。

昔の小説やら映画などでは
意見の対立があった後に友情が芽生える、
などというシュチエーションが一般的だったけど、
今じゃそれを物語にしてしまうと
嘘臭く、現実味がない。
意見の対立から陰湿なイジメに発展、
の方が現実的だ。

人間同士なんだから意見の相違があるのは当たり前なのに、
自分の意見は抑えて多数に迎合しなくてはいけないのだから
精神疾患が増えるのも納得できる。

そもそも仲間が集って何かを成し遂げる、
という事はほとんどありえないことであるからこそ、
「仲間」や「友情」がフィクションとしての物語として成立するわけで、
そうなることが普通だと思いこむことが
様々な問題を生み出すのだろう。

仲間はずれが怖くてSNS依存になる人がいるようだが、
「怖い」というのは知らないから起こる感情で、
知ってしまえばさほど恐れなくなるものだ。
思い切って一度仲間はずれになってみたらどうだろう。
案外平気で、快適な環境になるかもしれない。

そんな人間関係依存症の人がいる一方で
引きこもりのような状況の人もいる。
一方が極端に振れると大きく反対側に振れるのだから
世の中はうまく出来ている。
そうやって振り続けながら
やがて振り幅が小さくなって落ち着いていくのかもしれない。

つながるという文句に振り回されないことだ。
世の中は経済中心で回っている。
つながることで誰かが儲けているのだ。
必要以上に誰かを儲けさせる義務はない、
と考えれば振り回されることもなくなる。




posted by 黒豚猫 at 14:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学

2015年06月13日

現代人の奢り

青銅器時代の若い女性のグローバルな生き方が判明
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150526-00010000-nknatiogeo-sctch


こういうタイトルの記事が出るということは
青銅器時代の人たちが長い距離の旅をするとが
驚きだからなのだろう。

ピラミッドを見ても、イースター島のモアイ像を見ても、
ラスコーの洞窟絵を見ても
同じような感想を持つのが普通だろう。
何千年も前の人がよくこんな大きな建物を、
彫刻を、絵画を作り上げたものだと感心している。

我々は、現代人こそ知性の頂点にいると
知らず知らずのうちに思っている。
現代人でも困難なものを
過去の、我々より劣っているはずの人達が
よく作り上げられたものだと感心しているわけだ。

この感覚は、他の生物にも当てはめている。
何故人間だけが知性を持てたのか、
などと平気で言ったりする。
他の動物が賢い行動をすると
動物なのにすごいねぇ〜、といたく感激したりする。

グローバルや知性など、
良さそうなことの最先端は我々のはずだと信じている。
本当にそうだろうか?

我々にピラミッドが作れるだろうか?
現代の知識を有した人たちを
ピラミッド建設当時と同じ数揃えて当時の道具だけで
同じようなピラミッドが同じ期間で作れるだろうか?

対動物に関して言えば、
ヒトは生物として劣っているからこそ
知性を身につけざるを得なかったのではないかと思っている。
逆に、知性があるから他の能力を置き去りにしてきたとも言える。
空を飛ぶ必要もないし、嗅覚が鋭い必要もない、
足が遅くてもいいし、樹から樹へ飛び移ることもできなくてもいい。

ネアンデルタール人はちょうどアーノルド・シュワルツネッガーみたいに
筋骨隆々だったそうだが滅びてしまった。
中途半端な体力自慢より、体力弱者だったクロマニヨン人の方が
生き延びるのに必死だったから
知性を伸ばして生きる術を磨いたのだろう。

再び逆に考えれば、
他の生物は、知性なんかなくても生き延びてこれたわけだ。
人間のような知性なんかなくても食料を調達できるし、
子孫を残すことができる。
人間のような知性は無駄で不必要なものなのだ。

人間は動物より偉いのだろうか?
人間は鳥のように空を飛べない。
魚のように水中で生活できない。
犬のように嗅覚が優れているわけではない。
チータのように短距離を早く走れないし、
ライオンやワニのような牙もない。
何もない。あるのは知性だけだ。

その知性があったとして、
はたして有益に使っているのだろうか?

知性があるばっかりに同じ種族同士で殺し合っている。
知性のせいで地球を汚している。
知性のせいで人が増えすぎて食料不足になろうとしている。

他の生物たちはそれを知っているんじゃないか?
知性があるからといって決して幸せにはなれないということを。
いや、他の生物に知性がないなどと誰が言えよう。




posted by 黒豚猫 at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学

2015年05月14日

莊子とタモリ

Eテレで「莊子」をやっている。

莊子の言葉を見ていると
タモリが脳裏に浮かんでくる。

「小我を捨てる」
「主人公=自分をなくしてどんな役にもなりきれる」
これなどは、タモリが自らの芸を説明するときに
「なりすまし芸」と言っているのに合致する。

「感じてしかる後に応じ、
迫られてしかる後に動き、
已むを得ずしてしかる後に起ち
知と故を去りて天の理に循う」
己を捨てて天命に従う。
究極の主体性とは受け身であるという意味だが、
笑っていいともがあれだけの長寿番組になったのは
タモリの中にこういう姿勢があったからだろう。

「不測に立ちて無有に遊ぶ」
タモリは事あるごとに
夢や目標を持つことのバカらしさを熱く語る。
それを端的に表しているのがこの言葉だろう。

莊子の妻が死んだと聞き、
友人が訪ねてみると莊子は歌を歌っていた。
非常識ではないかと莊子を責めると
莊子は
「妻が死んだのは四季が移り変わったのと同じこと。
それが命の道理である」

赤塚不二夫の氏の弔辞が
白紙を読み上げたことで有名になった。
その後、その「アドリブ力」の凄さを讃えられ
話を向けられた時、
何事もないように最小限の受け答えをしていた。
多少照れくさそうではあるが、
そこに赤塚の死に対する悲壮感はふくまれていないように見える。

さすが早稲田の哲学。
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posted by 黒豚猫 at 13:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学

2015年03月29日

死・意識に関する私の仮説

昨夜
死後の世界についての番組を見ていた。

オカルト的なものではなく、
科学的に意識や生命について調べている番組であった。

その中で
脳神経外科医が臨死体験をして、
土の中から這い出したと思ったら蝶となって、
何百万の蝶と一緒に空を飛んでいた、
という体験をしたことを覚えている、
というものがあった。

それはやがて宇宙のような広がりになり・・・
というのを聞いて、
私なりに思い浮かんだことを書いてみる。

宗教の勧誘の稿でも書いたが、
私は死後の世界というものはないと思っている。
生まれ変わりというものもないと思っていた

「いた」というところに今回書く核心がある。

「物理と仏教」というタグを作っているくらい
私は科学的なものと心理的なものは反するものではなく
実は密接なのだと思っている。
近年ではそれは証明されつつある。
例を挙げると
心理的で内面的な問題だと思われていたうつ病も
体内物質の不足から来ていることが分かっている。

その物理と仏教の中で私は
ヒッグス粒子と執着について書いた。
簡単に言うと素粒子に重さを与えているのがヒッグス場、
心に重さを与えているのが執着。
宇宙と思念は似ている、というもの。

星の一生を調べると
宇宙に漂う塵が集まって星になり、
やがて大爆発を起こしてまた塵に戻る、とある。
宇宙ではそれが繰り返されている。

宇宙と思念が似ているのならば、
同じようなことが思念にも言えるのではないだろうか。
散らばっていた思念の材料が集まって意識となり、
肉体の滅びと同時にまた散らばっていく。

臨死体験者が見たという景色は
死して土に埋められた体から思念が這い出し、
蝶のように舞った後に宇宙へと向かい、
本来ならば拡散されることで死というものが完成する。
(臨死体験者が土に埋められたわけではないが、
彼のイメージがまだ残っているために
説明しやすいフィクション映像を作り上げたのではないだろうか)

散らばった思念の材料は
星の材料である水素やヘリウムと同様に宇宙の中を漂っていて、
生命が誕生するという瞬間に集まるのかもしれない。

その時に集まった材料で、
たまたま同じ生命体に宿っていた材料が集まると
「生まれ変わり」として意識されるのではないか。

そう考えると輪廻というものはあながち無いとはいえない。
思念の材料が使いまわされているのだから
リサイクル、生まれ変わりといえるだろう。
応報はまた別の話ではあるが。

どうも我々は現実世界と宇宙を分けて考えてしまうが、
我々も宇宙を構成している部品の一つである。
宇宙人というと別物の感覚だが、
我々地球人も宇宙人だ。
だから星の誕生過程も地球上の生物の意識の誕生過程も
宇宙の法則が影響しているのなら
似通っていても全く不思議ではない。

んんー、脳が疲れた。
意識が遠のく。
今日はこれまで。


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タグ:物理と仏教
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