2019年04月30日
クロア篇−8章7
初回の会議をおえた夜。クロアは自室で体操をしていた。いよいよ本格的な戦いにおもむくと思うと、じっとしていられない。全身という全身を自分の思いどおりにうごかせるよう、筋肉をのばしたり関節の可動域を限界まで広げたりした。
クロアは素手でやれることを一通りやると、次に杖を両肩にのせて、上半身をひねる運動をした。左右に体をうごかすうちに、猫も円卓のうえで同じような体操をやりだした。後ろ足と尻尾で体を支え、前足を後頭部に置いて、胴体をひねる。クロアの真似をしているようだ。
「あなたも気合じゅうぶんね!」
この真似っこは遊び感覚だろうとクロアは思ったが、わるい気はしないので褒めておいた。
クロアたちが体をひねる運動をしていると部屋の戸を叩かれた。だれかが訪問してきたのだ。クロアは運動を継続したまま「どうぞ」と言い、入室をうながした。
入室者はダムトだった。彼は冷めた目でクロアを見てくる。
「ヒマなのですか」
「否定はしないわ。あとはお風呂に入って、ねるだけだもの」
「では俺と試合しますか?」
「あなたと……?」
「体をうごかしたいのでしょう。お付き合いしますよ」
ダムトはトンボの飛獣を呼びだした。その大きさは背に人がどうにか二人立てるほど。この飛獣に乗って移動しようとしているのだ。
「どこへ行くの?」
「室内訓練場です。そこだと明るい照明がありますし、夜間でも安全に試合ができます」
クロアは言われるままダムトに従った。安定感のとぼしいトンボの背に乗り、部屋の窓を抜ける。クロアは前方にいるダムトにしっかり捕まり、トンボによる飛行を体験した。
到着した訓練場は一階部分の室内灯が煌々と光っていて、二階部分は暗かった。飛獣が無人らしき二階の窓辺へ接近した。ダムトは窓にふれ、引き戸のように横へうごかす。
「ここはよく施錠わすれが起きます」
「へー、そうなの。そんな管理でだいじょうぶなの?」
「侵入者がいても大事になりません。金目のものも危険物もありませんから」
ダムトが開けた窓からひょいと室内へ入る。クロアもその入り方に倣い、飛獣から飛びおりて、室内訓練場へ入った。クロアが窓を閉めようかと振り返ると、体積をちぢめたトンボと猫も入ってきて、少々面食らった。とくにベニトラが付いてきているとは思っていなかった。
従者が部屋の照明を点け、試合用の棍棒を持ってくる。棒の長さは一般的な片手剣程度。クロアが携帯する杖もそれぐらいの長さだ。
「さて、かるく腕ならししますか」
ダムトが先制してきた。上段からの振りかぶりを、クロアは棍棒で受け止める。木製の棒同士がぶつかると乾いた音が鳴った。こうした打ち合いが続き、十数合ほどを経て、クロアは試合以外の関心が湧いてくる。
「ねえ、さっきの会議のことなんだけど!」
「はい、なんです」
「賊に捕まってる魔獣を、見殺しにする気があったの?」
クロアはいまになって、会議中のダムトの発言が変だと思ってきた。
「わたしは、その魔獣をたすけたくて、戦士集めをしてたのよ」
棍棒を空振らせながらも、クロアはしゃべる。
「わすれたわけじゃ、ないでしょ?」
「はい、あれは……あそこで会議をおわらせるための言葉でした」
クロアはダムトの言っている意味がわからず、棍棒のさきを床へ着ける。
「……? てっきりわたしは、そういう方法もあるとあなたが提案しただけかと……」
「俺はあの場で公表したくなかった偵察情報を握っています。それを自然と、言わなくてすむように配慮しました」
「じゃあなに、わざとマキシを怒らせた……の?」
「彼の性格ならきっと食いついてくれると思っていました」
「他人の気持ちをもてあそぶなんて、いい度胸ね」
クロアは従者の非人情な判断を不快に感じた。主人になじられた従者は目を伏せる。
「咎めは事がすんだあとで、存分にお受けします」
「いったいなにを隠したかったのよ?」
「賊のもとにヴラドがいる、という情報です」
「それはタオさんから聞いたわ。わたしには教えていいことなの?」
「ええ、クロアさまがヴラドに怖気づくことはないでしょうから。ですが普通の兵士にとっては死活問題です」
「そんなに、強い?」
「おそらく、特別な武器なしでヴラドに勝てる者はいません」
ヴラドはとてつもなく強い魔人、とクロアは理解し、ダムトの配慮についても察しがつく。
「そんな魔人と戦うと知れたら……討伐隊にくわわってくれる兵士がいなくなっちゃう?」
「そういうことです。無論、死者が出ないように俺やタオたちが全力を尽くします」
ダムトの一計は討伐隊がとどこおりなく編成するための根回しだった。クロアはどうあってもこの従者にはかなわないと思うかたわら、彼の心根は決してわるくないのだとも信頼した。
クロアは素手でやれることを一通りやると、次に杖を両肩にのせて、上半身をひねる運動をした。左右に体をうごかすうちに、猫も円卓のうえで同じような体操をやりだした。後ろ足と尻尾で体を支え、前足を後頭部に置いて、胴体をひねる。クロアの真似をしているようだ。
「あなたも気合じゅうぶんね!」
この真似っこは遊び感覚だろうとクロアは思ったが、わるい気はしないので褒めておいた。
クロアたちが体をひねる運動をしていると部屋の戸を叩かれた。だれかが訪問してきたのだ。クロアは運動を継続したまま「どうぞ」と言い、入室をうながした。
入室者はダムトだった。彼は冷めた目でクロアを見てくる。
「ヒマなのですか」
「否定はしないわ。あとはお風呂に入って、ねるだけだもの」
「では俺と試合しますか?」
「あなたと……?」
「体をうごかしたいのでしょう。お付き合いしますよ」
ダムトはトンボの飛獣を呼びだした。その大きさは背に人がどうにか二人立てるほど。この飛獣に乗って移動しようとしているのだ。
「どこへ行くの?」
「室内訓練場です。そこだと明るい照明がありますし、夜間でも安全に試合ができます」
クロアは言われるままダムトに従った。安定感のとぼしいトンボの背に乗り、部屋の窓を抜ける。クロアは前方にいるダムトにしっかり捕まり、トンボによる飛行を体験した。
到着した訓練場は一階部分の室内灯が煌々と光っていて、二階部分は暗かった。飛獣が無人らしき二階の窓辺へ接近した。ダムトは窓にふれ、引き戸のように横へうごかす。
「ここはよく施錠わすれが起きます」
「へー、そうなの。そんな管理でだいじょうぶなの?」
「侵入者がいても大事になりません。金目のものも危険物もありませんから」
ダムトが開けた窓からひょいと室内へ入る。クロアもその入り方に倣い、飛獣から飛びおりて、室内訓練場へ入った。クロアが窓を閉めようかと振り返ると、体積をちぢめたトンボと猫も入ってきて、少々面食らった。とくにベニトラが付いてきているとは思っていなかった。
従者が部屋の照明を点け、試合用の棍棒を持ってくる。棒の長さは一般的な片手剣程度。クロアが携帯する杖もそれぐらいの長さだ。
「さて、かるく腕ならししますか」
ダムトが先制してきた。上段からの振りかぶりを、クロアは棍棒で受け止める。木製の棒同士がぶつかると乾いた音が鳴った。こうした打ち合いが続き、十数合ほどを経て、クロアは試合以外の関心が湧いてくる。
「ねえ、さっきの会議のことなんだけど!」
「はい、なんです」
「賊に捕まってる魔獣を、見殺しにする気があったの?」
クロアはいまになって、会議中のダムトの発言が変だと思ってきた。
「わたしは、その魔獣をたすけたくて、戦士集めをしてたのよ」
棍棒を空振らせながらも、クロアはしゃべる。
「わすれたわけじゃ、ないでしょ?」
「はい、あれは……あそこで会議をおわらせるための言葉でした」
クロアはダムトの言っている意味がわからず、棍棒のさきを床へ着ける。
「……? てっきりわたしは、そういう方法もあるとあなたが提案しただけかと……」
「俺はあの場で公表したくなかった偵察情報を握っています。それを自然と、言わなくてすむように配慮しました」
「じゃあなに、わざとマキシを怒らせた……の?」
「彼の性格ならきっと食いついてくれると思っていました」
「他人の気持ちをもてあそぶなんて、いい度胸ね」
クロアは従者の非人情な判断を不快に感じた。主人になじられた従者は目を伏せる。
「咎めは事がすんだあとで、存分にお受けします」
「いったいなにを隠したかったのよ?」
「賊のもとにヴラドがいる、という情報です」
「それはタオさんから聞いたわ。わたしには教えていいことなの?」
「ええ、クロアさまがヴラドに怖気づくことはないでしょうから。ですが普通の兵士にとっては死活問題です」
「そんなに、強い?」
「おそらく、特別な武器なしでヴラドに勝てる者はいません」
ヴラドはとてつもなく強い魔人、とクロアは理解し、ダムトの配慮についても察しがつく。
「そんな魔人と戦うと知れたら……討伐隊にくわわってくれる兵士がいなくなっちゃう?」
「そういうことです。無論、死者が出ないように俺やタオたちが全力を尽くします」
ダムトの一計は討伐隊がとどこおりなく編成するための根回しだった。クロアはどうあってもこの従者にはかなわないと思うかたわら、彼の心根は決してわるくないのだとも信頼した。
タグ:クロア
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