2019年04月10日
クロア篇−7章2
クロアは茶杯を空けた。従者はすぐに片付けに取りかかる。その作業をクロアが見守っていく中、ひとつの疑問が湧く。
「そうそう、あなたが連れてくる方は何人ぐらいいるの? あと三人はほしいのだけど」
「三人……集まるかもしれません。ただ確約はしかねます」
「わかったわ。それじゃ、こっちでも強い人をさがしておくわね」
目下の活動計画が決まった。下男役に従事する従者は廊下へ出る。クロアはなにもない円卓を見て、以前はそこにあったカゴを連想する。
(やっぱり無いほうがラクね……)
カゴを得た当初はこの円卓に置いていた。それでは円卓の利用がしにくくなるので、現在は背の低い棚の天板にカゴを移動した。カゴを寝所とする猫はその変更を受け入れ、いまなおカゴの中で休んでいる。猫が上から被るために用意した毛布は敷物と化していた。この獣が毛布を被るのはレジィがそばにいたときだけ。その被毛の保温機能が優秀であるがゆえに、毛布のあたたかさは必要でないようだ。
ベニトラはクロアに背中を向けた状態でねており、クロアと従者の会話を聞いていたかはわからない。クロアはダメ元でおおざっぱな質問をしかける。
「ねえ、ダムトの言ってたこと……あなたにはわかる?」
クロアの胸中にある言葉は「すべてを失う」という一文。取り返しのつかない事態を示唆する言葉だ。その重みゆえに、かるがるしく口にできなかった。
ベニトラは長い尾を上げた。天井を向く尾を左右にゆらす。
「知らん」
そっけなく言うと縞柄の尻尾をカゴの外へ垂らした。われ関せず、の態度だとクロアは感じる。
「そうよね、あいつと付き合いの浅いあなたじゃ……わからなくて当然」
あてが外れたクロアは気持ちを切り替え、部屋を出た。目的は就寝前の入浴だ。しかし浴室へ向かう足取りはおそい。
(うーん、やっぱり気になる)
納得の落としどころがほしかった。それがダムトの真意をつかめていなくてもいい。なんらかの仮説がなくては、このざわついた気持ちはしずまらないと考えた。
(だれかに聞いてみる?)
ダムトの性情を知る人物で、なおかつ公女が危機に直面するかもしれぬことを告げてよい者。
(お父さまかしら?)
ダムトを見い出した者は父だ。そして、他人である官吏には不穏な情報を洩らせない。この二点をかんがみ、父にたずねるのが適切だと判断した。
クロアは父の寝室へおもむいた。父の部屋は母の寝室と隣り合っており、どちらか一方の部屋に両親がいるときもあるのだが、今日は父ひとりが長椅子に座っていた。
父は来訪した娘を歓迎し、自身のとなりへ座るようすすめた。クロアは素直に応じた。その際、父のひざにある写真帳に関心がいく。
「あら、写真を見ていらしたの」
「ああ、すこし……昔がなつかしくなってね」
クノードは厚紙に貼った写真を見せた。写っているのは身長が低いころのクロアだ。ソルフに抱きあげられ、彼の毛むくじゃらな腕の中でねむる場面だった。
「わたし……?」
「こうしてときどき見ているよ。おかしなことじゃないだろう? 私はクロアの父親なんだから……」
そう言って笑う父を見て、クロアはうしろめたいものを感じた。これから問おうとしたことをそのまま言えば、きっと父は暗い気持ちになる。そんな不快な感情をいだかせたまま就寝させてしまうのは気が引けた。
「それで、クロアはなにをしにここへ?」
「えっと……お父さまの顔を見たかったのです。これで失礼いたしますわ」
「そんなはずないだろう。この部屋にきたときのクロアは辛気くさい顔をしていたぞ」
「え、そうでした?」
クロアは自身の頬を手でなでた。平常心をこころがけて入室したつもりだったのだが。
「なに、なんとなくそう思ったんだ」
「あてずっぽうでしたの?」
「そんなところだね。けれど私に相談することがあるなら、言ってみなさい」
クロアは父の厚意に応えられるよう、明かしやすいほうの事実を話す。
「ダムトが……先日の偵察の結果をすこし教えてくれました」
「ほう、どうだった?」
「賊の戦力には、いまのわたしたちでは勝てないなにかがあるそうです。その対策のため、ダムトは強力な戦士をさがしに、ひとりで出かけました。ですからわたしの護衛がしばらく欠けた状態になります」
「ふむ、ダムトの外出を報告したかったのか」
「はい、お父さまにご一報入れたく……ですが支障はないと思います。日中の外出にはレジィとエメリが同行しますし、夜は移動方法を変えればソルフと一緒に出かけられます」
クロアの夜の外出時、本来は町で禁止する飛獣の飛行を行なっている。領主の許可は下りたので違法ではないが、おおっぴらにベニトラの姿を人々に見せるわけにはいかない。それゆえ、術で姿を消すのを前提に行動してきた。ダムト不在となると姿を消すすべがなくなる。その代替案として、今度は昼間と同じように馬車に乗るか、あるいは普通の馬に乗るかして町中を回ることになる。
クノードは「そのとおりだ」と同意を示した。これで父との会話を穏便に乗り切れた、とクロアは安堵するが、そうすんなりといかなかった。
「でもクロアが言いたいことはそれだけじゃなさそうだね?」
父は痛いところを突いてきた。しかしそう受け取られるのも不思議ではないとクロアは自省する。まことにこの程度の状況報告をしにきたのなら、とっととそう言えばよい。「父の顔を見にきた」などと言葉をにごす意味がないのだ。
「言ってごらん。私のなやみごとが増えそうだとか、余計なことは心配しなくていい」
父の包容力にほだされ、クロアは本心を明かすことにした。視線を過去の自分に落とす。
「ダムトが……奇妙な忠告をしてきました。このまま賊の討伐に行くと、わたしはすべてを失うことになる、と……」
クロアは聞き手の反応をたしかめずに、次なる伝聞を告げる。
「わたしの家族や生活が変わってしまうかもしれない、と言ったのです。これは、どういう意味なのか……あいつは答えてくれませんでした」
クロアがおそるおそる父の横顔を見てみると、案じたとおり、父は怪訝な表情を浮かべている。
「それはきっと……敵が強すぎると言いたいんだろう」
「敵の強さ、ですか」
「ああ。たかが賊だと油断してかかると、大事な仲間を死なせてしまう……そんな危険をクロアの身に染みるように、彼が言いかえたんじゃないかな」
父の見解はいたく腑に落ちた。そこからさらに一歩ふみこんだ説を、クロアが思いつく。
「それか、わたしが戦って死ぬのを……まわりくどく言ったのかも」
ダムトにクロアに対して不遜な口を利くとはいえ、忠誠心はある男だ。主人の悲惨な未来を率直に表現することに、はばかりを感じた──そうとらえると辻褄が合う。
「敵は、わたしたちの手におえない相手なのでしょうか」
「あきらめるかい?」
「いいえ、やります。ですが勝てないと思ったら逃げます」
「堂々と言うね」
「なにも一回の討伐で、完璧に勝つ必要はないでしょう?」
「たしかに……皆の生存が最優先だ。撤退しても、相手がいかほどの強さを秘めるのかさぐれれば今後の方策に役立つ」
「はい、決行のときは撤退をすばやくできるようにそなえましょう」
クロアは自分の置かれた状況と対策が見えてくると、徐々に心が晴れてきた。父と話し合ったおかげで得体の知れない恐怖がうすれたのだ。
「お父さまと話せて、よかったです」
クロアは笑顔で退室することができた。しかしクロアの去り際に見た父の顔はあかるくなく、不安げに写真帳をながめているようだった。
(いくら逃げればいいといっても、戦死の危険が高い討伐をやるんじゃね……)
今後の展開を楽観視できない事態には変わりない。クロアは父の心労を軽減できるよう、明日からはとくに強い勇士を見つけようと考えた。
「そうそう、あなたが連れてくる方は何人ぐらいいるの? あと三人はほしいのだけど」
「三人……集まるかもしれません。ただ確約はしかねます」
「わかったわ。それじゃ、こっちでも強い人をさがしておくわね」
目下の活動計画が決まった。下男役に従事する従者は廊下へ出る。クロアはなにもない円卓を見て、以前はそこにあったカゴを連想する。
(やっぱり無いほうがラクね……)
カゴを得た当初はこの円卓に置いていた。それでは円卓の利用がしにくくなるので、現在は背の低い棚の天板にカゴを移動した。カゴを寝所とする猫はその変更を受け入れ、いまなおカゴの中で休んでいる。猫が上から被るために用意した毛布は敷物と化していた。この獣が毛布を被るのはレジィがそばにいたときだけ。その被毛の保温機能が優秀であるがゆえに、毛布のあたたかさは必要でないようだ。
ベニトラはクロアに背中を向けた状態でねており、クロアと従者の会話を聞いていたかはわからない。クロアはダメ元でおおざっぱな質問をしかける。
「ねえ、ダムトの言ってたこと……あなたにはわかる?」
クロアの胸中にある言葉は「すべてを失う」という一文。取り返しのつかない事態を示唆する言葉だ。その重みゆえに、かるがるしく口にできなかった。
ベニトラは長い尾を上げた。天井を向く尾を左右にゆらす。
「知らん」
そっけなく言うと縞柄の尻尾をカゴの外へ垂らした。われ関せず、の態度だとクロアは感じる。
「そうよね、あいつと付き合いの浅いあなたじゃ……わからなくて当然」
あてが外れたクロアは気持ちを切り替え、部屋を出た。目的は就寝前の入浴だ。しかし浴室へ向かう足取りはおそい。
(うーん、やっぱり気になる)
納得の落としどころがほしかった。それがダムトの真意をつかめていなくてもいい。なんらかの仮説がなくては、このざわついた気持ちはしずまらないと考えた。
(だれかに聞いてみる?)
ダムトの性情を知る人物で、なおかつ公女が危機に直面するかもしれぬことを告げてよい者。
(お父さまかしら?)
ダムトを見い出した者は父だ。そして、他人である官吏には不穏な情報を洩らせない。この二点をかんがみ、父にたずねるのが適切だと判断した。
クロアは父の寝室へおもむいた。父の部屋は母の寝室と隣り合っており、どちらか一方の部屋に両親がいるときもあるのだが、今日は父ひとりが長椅子に座っていた。
父は来訪した娘を歓迎し、自身のとなりへ座るようすすめた。クロアは素直に応じた。その際、父のひざにある写真帳に関心がいく。
「あら、写真を見ていらしたの」
「ああ、すこし……昔がなつかしくなってね」
クノードは厚紙に貼った写真を見せた。写っているのは身長が低いころのクロアだ。ソルフに抱きあげられ、彼の毛むくじゃらな腕の中でねむる場面だった。
「わたし……?」
「こうしてときどき見ているよ。おかしなことじゃないだろう? 私はクロアの父親なんだから……」
そう言って笑う父を見て、クロアはうしろめたいものを感じた。これから問おうとしたことをそのまま言えば、きっと父は暗い気持ちになる。そんな不快な感情をいだかせたまま就寝させてしまうのは気が引けた。
「それで、クロアはなにをしにここへ?」
「えっと……お父さまの顔を見たかったのです。これで失礼いたしますわ」
「そんなはずないだろう。この部屋にきたときのクロアは辛気くさい顔をしていたぞ」
「え、そうでした?」
クロアは自身の頬を手でなでた。平常心をこころがけて入室したつもりだったのだが。
「なに、なんとなくそう思ったんだ」
「あてずっぽうでしたの?」
「そんなところだね。けれど私に相談することがあるなら、言ってみなさい」
クロアは父の厚意に応えられるよう、明かしやすいほうの事実を話す。
「ダムトが……先日の偵察の結果をすこし教えてくれました」
「ほう、どうだった?」
「賊の戦力には、いまのわたしたちでは勝てないなにかがあるそうです。その対策のため、ダムトは強力な戦士をさがしに、ひとりで出かけました。ですからわたしの護衛がしばらく欠けた状態になります」
「ふむ、ダムトの外出を報告したかったのか」
「はい、お父さまにご一報入れたく……ですが支障はないと思います。日中の外出にはレジィとエメリが同行しますし、夜は移動方法を変えればソルフと一緒に出かけられます」
クロアの夜の外出時、本来は町で禁止する飛獣の飛行を行なっている。領主の許可は下りたので違法ではないが、おおっぴらにベニトラの姿を人々に見せるわけにはいかない。それゆえ、術で姿を消すのを前提に行動してきた。ダムト不在となると姿を消すすべがなくなる。その代替案として、今度は昼間と同じように馬車に乗るか、あるいは普通の馬に乗るかして町中を回ることになる。
クノードは「そのとおりだ」と同意を示した。これで父との会話を穏便に乗り切れた、とクロアは安堵するが、そうすんなりといかなかった。
「でもクロアが言いたいことはそれだけじゃなさそうだね?」
父は痛いところを突いてきた。しかしそう受け取られるのも不思議ではないとクロアは自省する。まことにこの程度の状況報告をしにきたのなら、とっととそう言えばよい。「父の顔を見にきた」などと言葉をにごす意味がないのだ。
「言ってごらん。私のなやみごとが増えそうだとか、余計なことは心配しなくていい」
父の包容力にほだされ、クロアは本心を明かすことにした。視線を過去の自分に落とす。
「ダムトが……奇妙な忠告をしてきました。このまま賊の討伐に行くと、わたしはすべてを失うことになる、と……」
クロアは聞き手の反応をたしかめずに、次なる伝聞を告げる。
「わたしの家族や生活が変わってしまうかもしれない、と言ったのです。これは、どういう意味なのか……あいつは答えてくれませんでした」
クロアがおそるおそる父の横顔を見てみると、案じたとおり、父は怪訝な表情を浮かべている。
「それはきっと……敵が強すぎると言いたいんだろう」
「敵の強さ、ですか」
「ああ。たかが賊だと油断してかかると、大事な仲間を死なせてしまう……そんな危険をクロアの身に染みるように、彼が言いかえたんじゃないかな」
父の見解はいたく腑に落ちた。そこからさらに一歩ふみこんだ説を、クロアが思いつく。
「それか、わたしが戦って死ぬのを……まわりくどく言ったのかも」
ダムトにクロアに対して不遜な口を利くとはいえ、忠誠心はある男だ。主人の悲惨な未来を率直に表現することに、はばかりを感じた──そうとらえると辻褄が合う。
「敵は、わたしたちの手におえない相手なのでしょうか」
「あきらめるかい?」
「いいえ、やります。ですが勝てないと思ったら逃げます」
「堂々と言うね」
「なにも一回の討伐で、完璧に勝つ必要はないでしょう?」
「たしかに……皆の生存が最優先だ。撤退しても、相手がいかほどの強さを秘めるのかさぐれれば今後の方策に役立つ」
「はい、決行のときは撤退をすばやくできるようにそなえましょう」
クロアは自分の置かれた状況と対策が見えてくると、徐々に心が晴れてきた。父と話し合ったおかげで得体の知れない恐怖がうすれたのだ。
「お父さまと話せて、よかったです」
クロアは笑顔で退室することができた。しかしクロアの去り際に見た父の顔はあかるくなく、不安げに写真帳をながめているようだった。
(いくら逃げればいいといっても、戦死の危険が高い討伐をやるんじゃね……)
今後の展開を楽観視できない事態には変わりない。クロアは父の心労を軽減できるよう、明日からはとくに強い勇士を見つけようと考えた。
タグ:クロア
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