2019年04月03日
クロア篇−6章7
クロアは自身の仕事部屋へ入った。室内ではレジィがせっせとそろばんを弾いている。その背後には有翼の少女がレジィの動作をたいくつそうにながめていた。
「それは今日の分の仕事?」
クロアは従者がなんの計算をしているのか、質問した。
「あ、えっと……仕事というか、活動費用の確認、です」
レジィは気まずそうに答えた。彼女はなにか気がかりに思うことがあるらしい。
「急な出費があったの?」
「ルッツさんたちにかかるお金……です」
「? なんでうちで計算することになるの」
「それが、公女に振り分けた活動費用から捻出することになったそうで……」
クロアはその決定に耳をうたがった。傭兵にかかわる経費は自分負担になるという認識がないのだ。
「……それは、いつ決まったの?」
「今日です。あ、でも雇った方への報酬はクノードさまが融通なさるそうですよ」
「じゃあなんのお金を負担するのかしら?」
「屋敷の滞在費とルッツさんに調練してもらう指導料です」
「指導、料金……」
クロアはたしかに支払うつもりでいた必要経費だ。だがクロアが使う資金から出ていくとは予想だにしていなかった。どこかの部門で負担するもの、とはなんとなく考えていた。その思考のうちに自己負担はふくまれていなかった。自分に都合のよい見通しをしていたと、クロアは気付かされる。
「そっか……わたしがおねがいした話だものね……」
「ひとり分の一日の滞在費は教えてもらったので、あとはルッツさんへの指導料をクロアさまが決めてください」
「もう決めてしまうの?」
「はい。それが決まれば、ルッツさんたちがどれだけここにいられるか、計算できますから」
「それは気にしなくていいわ」
「え? でも……」
「とっとと人を集めてしまえばよいのでしょ」
のこりの予算がどうのと論じても、人材が得られることとはなにも関係しない。
「仕事はほどほどにおわらせて、また昨日みたいに町中へ出かけるわ」
「はい……そうします」
レジィはそろばんを片付けた。そのうしろにいたナーマがレジィの仕事机を飛びこえ、クロアのまえへやってくる。
「アタシが強そうな人をさがしてあげよっか?」
「あなたが?」
この招獣に簡単な事務作業を押しつけようか、ともクロアは多少考えていた。だが、ナーマの発案はそれよりよほど本人に適性のある役目に聞こえる。
「いいわね。あなたなら身軽にうごけるし……」
「でしょ? じゃあ行ってくるね」
ナーマはさっそく室内の窓を開け、屋外へ飛びさった。クロアは彼女のやる気に感心する。
「なーんだ、寝床でごろごろしたがるナマケモノじゃないのね。ベニトラなんかはずっとねむりっぱなしなのだけど」
「あ、ベニーくんはまだねてたんですか?」
「ええ! いっぺん起こしたのに、わたしの部屋を出たらまたねちゃったの」
「精気が回復しきってないんでしょうか……」
猫の招獣は病み上がりだ。そのことをクロアはうっかり失念していた。
「昨日は普通に活動してたみたいだけど……あれは完全に元気になったわけじゃないのね」
「きっとそうです。だからお店で売ってる回復薬がほしいって、言ったんだと思います」
回復薬、にクロアは引っ掛かりをおぼえた。それを口に出すまえにレジィがしゃべる。
「あの、お店でもらった回復薬はベニーくんにあげてみました?」
追い打ちをかけるようにクロアは己が忘却していた事柄を把握した。自身のど忘れぶりに恥入る。
「やだ、食べさせてなかったわ」
「あ、やっぱり」
「もー、レジィもわたしのことをバカだと思っているの?」
クロアはレジィにも認知される自分の忘却力がはずかしかった。言葉尻をとらえられたレジィは「そうじゃありません」といたって冷静に答える。
「いろんなことがいっぺんに起きてて、薬をあげるヒマがなかったんですよね」
年少の従者がやさしくさとすので、クロアはすぐに感情を鎮静する。
「……いまからあげてこようかしら?」
「あ、はい。ベニーくんの体が楽になると思いますし……でも仕事はいいんですか?
はやく取りかかったほうが──」
仕事を早々に片付ければ午後の外出時間が長くとれる、とレジィは言いたげだ。クロアは「夜に出かけられればいいの」と答える。
「夜のほうが強い人を見つけやすいでしょ?」
「じゃあお昼からのお出かけは必須じゃないんですね」
「ええ、そういうこと」
クロアは午前の仕事を午後にまわす予定を立てて、執務室を出た。店でもらった薬類は自室にある。だが部屋のどこにあるのだか、はっきり思い出せなかった。
(昨日はカゴのまわりに置いてたはずだけど……さっきは無かった気がする)
クロアはさきほど、ベニトラをカゴごとマキシに見せた。その後にカゴを自室の円卓にもどしており、そのときの卓上にはなにも物がのっていなかった、と記憶している。
(ダムトかレジィが片付けたのね)
より可能性が高いのは前者だ。そう考えたクロアはまず彼の部屋をたずねた。ダムトに荷物の収納場所を聞いてみて、それからベニトラに薬をあげるのがよいと判断した。
男性従者の自室には二人の男性と猫がいた。男性たちは角がまるくなった楕円状の机で会話していたのを、中断した。クロアは旧知の人物のほうに自身の要求を伝える。部屋主がベニトラ用の薬をもってくると言い、クロアにはここで待つよううながした。それゆえクロアは寝台にねそべる猫のとなりへ座る。片手で猫の胴体をなでた。ふかふか毛皮に艶があって、その毛の持ち主が憔悴しているふうには思えない。
「あなたは……今日ずっとねているようだけど、まだ元気が出ないの?」
「完全回復には至らず」
「そう……すぐにおやつをあげなくて、ごめんなさいね」
ベニトラは長い尾をあげて、クロアの膝元にのせた。気にしなくていい、とでも体で表現しているのだろうか。クロアはもう片方の手で尻尾をやんわりつかむ。
「してほしいことがあったら、言っていいのよ。できるかどうかはそのとき考えるから」
猫はどうとも答えず、尻尾の先を左右にゆらした。肝心なところで意思をはっきりしてくれないやつだ、とクロアは不満に思う。
「もー、しゃべってくれないの?」
「そりゃあきみ、いちいち言わなくても通じるからだろう?」
楕円机に居座る客人が、したり顔で言う。
「なんでもかんでも言葉にしなきゃわからない、というんじゃ、一人前の招術士になれないぞ」
今日出会ったばかりのマキシが先輩風を吹かせてきた。その態度にクロアはカチンとくるものがあったが、冷静に反論する。
「わたくしはこの子と一緒にすごしはじめてから日が浅いのです。自分の解釈が合っているか、確認したいのですわ」
「その気持ちがあれば心配いらない」
「どうしておわかりになりますの?」
「僕の見立てでは、きみらはうまくやれているよ」
「ですから、その理由を──」
折りわるく入室者があり、会話は途切れた。クロアの部屋からもどってきた者は小袋や瓶を四種類、抱えている。
「適当に持ってきました」
「どれでもいいわ、開けてちょうだい」
「そのまえに机のほうへ、ベニトラを移動させてください。食べかすを布団にこぼされては困ります」
部屋主らしい指示を、クロアは素直にしたがった。空いている椅子に座り、膝に猫を乗せる。猫はちょこんと座った。猫の頬へ、マキシの手がのびる。
「きみはいいところにもらわれたな」
マキシはうれしそうな顔で、獣の頬をなでた。
「それは今日の分の仕事?」
クロアは従者がなんの計算をしているのか、質問した。
「あ、えっと……仕事というか、活動費用の確認、です」
レジィは気まずそうに答えた。彼女はなにか気がかりに思うことがあるらしい。
「急な出費があったの?」
「ルッツさんたちにかかるお金……です」
「? なんでうちで計算することになるの」
「それが、公女に振り分けた活動費用から捻出することになったそうで……」
クロアはその決定に耳をうたがった。傭兵にかかわる経費は自分負担になるという認識がないのだ。
「……それは、いつ決まったの?」
「今日です。あ、でも雇った方への報酬はクノードさまが融通なさるそうですよ」
「じゃあなんのお金を負担するのかしら?」
「屋敷の滞在費とルッツさんに調練してもらう指導料です」
「指導、料金……」
クロアはたしかに支払うつもりでいた必要経費だ。だがクロアが使う資金から出ていくとは予想だにしていなかった。どこかの部門で負担するもの、とはなんとなく考えていた。その思考のうちに自己負担はふくまれていなかった。自分に都合のよい見通しをしていたと、クロアは気付かされる。
「そっか……わたしがおねがいした話だものね……」
「ひとり分の一日の滞在費は教えてもらったので、あとはルッツさんへの指導料をクロアさまが決めてください」
「もう決めてしまうの?」
「はい。それが決まれば、ルッツさんたちがどれだけここにいられるか、計算できますから」
「それは気にしなくていいわ」
「え? でも……」
「とっとと人を集めてしまえばよいのでしょ」
のこりの予算がどうのと論じても、人材が得られることとはなにも関係しない。
「仕事はほどほどにおわらせて、また昨日みたいに町中へ出かけるわ」
「はい……そうします」
レジィはそろばんを片付けた。そのうしろにいたナーマがレジィの仕事机を飛びこえ、クロアのまえへやってくる。
「アタシが強そうな人をさがしてあげよっか?」
「あなたが?」
この招獣に簡単な事務作業を押しつけようか、ともクロアは多少考えていた。だが、ナーマの発案はそれよりよほど本人に適性のある役目に聞こえる。
「いいわね。あなたなら身軽にうごけるし……」
「でしょ? じゃあ行ってくるね」
ナーマはさっそく室内の窓を開け、屋外へ飛びさった。クロアは彼女のやる気に感心する。
「なーんだ、寝床でごろごろしたがるナマケモノじゃないのね。ベニトラなんかはずっとねむりっぱなしなのだけど」
「あ、ベニーくんはまだねてたんですか?」
「ええ! いっぺん起こしたのに、わたしの部屋を出たらまたねちゃったの」
「精気が回復しきってないんでしょうか……」
猫の招獣は病み上がりだ。そのことをクロアはうっかり失念していた。
「昨日は普通に活動してたみたいだけど……あれは完全に元気になったわけじゃないのね」
「きっとそうです。だからお店で売ってる回復薬がほしいって、言ったんだと思います」
回復薬、にクロアは引っ掛かりをおぼえた。それを口に出すまえにレジィがしゃべる。
「あの、お店でもらった回復薬はベニーくんにあげてみました?」
追い打ちをかけるようにクロアは己が忘却していた事柄を把握した。自身のど忘れぶりに恥入る。
「やだ、食べさせてなかったわ」
「あ、やっぱり」
「もー、レジィもわたしのことをバカだと思っているの?」
クロアはレジィにも認知される自分の忘却力がはずかしかった。言葉尻をとらえられたレジィは「そうじゃありません」といたって冷静に答える。
「いろんなことがいっぺんに起きてて、薬をあげるヒマがなかったんですよね」
年少の従者がやさしくさとすので、クロアはすぐに感情を鎮静する。
「……いまからあげてこようかしら?」
「あ、はい。ベニーくんの体が楽になると思いますし……でも仕事はいいんですか?
はやく取りかかったほうが──」
仕事を早々に片付ければ午後の外出時間が長くとれる、とレジィは言いたげだ。クロアは「夜に出かけられればいいの」と答える。
「夜のほうが強い人を見つけやすいでしょ?」
「じゃあお昼からのお出かけは必須じゃないんですね」
「ええ、そういうこと」
クロアは午前の仕事を午後にまわす予定を立てて、執務室を出た。店でもらった薬類は自室にある。だが部屋のどこにあるのだか、はっきり思い出せなかった。
(昨日はカゴのまわりに置いてたはずだけど……さっきは無かった気がする)
クロアはさきほど、ベニトラをカゴごとマキシに見せた。その後にカゴを自室の円卓にもどしており、そのときの卓上にはなにも物がのっていなかった、と記憶している。
(ダムトかレジィが片付けたのね)
より可能性が高いのは前者だ。そう考えたクロアはまず彼の部屋をたずねた。ダムトに荷物の収納場所を聞いてみて、それからベニトラに薬をあげるのがよいと判断した。
男性従者の自室には二人の男性と猫がいた。男性たちは角がまるくなった楕円状の机で会話していたのを、中断した。クロアは旧知の人物のほうに自身の要求を伝える。部屋主がベニトラ用の薬をもってくると言い、クロアにはここで待つよううながした。それゆえクロアは寝台にねそべる猫のとなりへ座る。片手で猫の胴体をなでた。ふかふか毛皮に艶があって、その毛の持ち主が憔悴しているふうには思えない。
「あなたは……今日ずっとねているようだけど、まだ元気が出ないの?」
「完全回復には至らず」
「そう……すぐにおやつをあげなくて、ごめんなさいね」
ベニトラは長い尾をあげて、クロアの膝元にのせた。気にしなくていい、とでも体で表現しているのだろうか。クロアはもう片方の手で尻尾をやんわりつかむ。
「してほしいことがあったら、言っていいのよ。できるかどうかはそのとき考えるから」
猫はどうとも答えず、尻尾の先を左右にゆらした。肝心なところで意思をはっきりしてくれないやつだ、とクロアは不満に思う。
「もー、しゃべってくれないの?」
「そりゃあきみ、いちいち言わなくても通じるからだろう?」
楕円机に居座る客人が、したり顔で言う。
「なんでもかんでも言葉にしなきゃわからない、というんじゃ、一人前の招術士になれないぞ」
今日出会ったばかりのマキシが先輩風を吹かせてきた。その態度にクロアはカチンとくるものがあったが、冷静に反論する。
「わたくしはこの子と一緒にすごしはじめてから日が浅いのです。自分の解釈が合っているか、確認したいのですわ」
「その気持ちがあれば心配いらない」
「どうしておわかりになりますの?」
「僕の見立てでは、きみらはうまくやれているよ」
「ですから、その理由を──」
折りわるく入室者があり、会話は途切れた。クロアの部屋からもどってきた者は小袋や瓶を四種類、抱えている。
「適当に持ってきました」
「どれでもいいわ、開けてちょうだい」
「そのまえに机のほうへ、ベニトラを移動させてください。食べかすを布団にこぼされては困ります」
部屋主らしい指示を、クロアは素直にしたがった。空いている椅子に座り、膝に猫を乗せる。猫はちょこんと座った。猫の頬へ、マキシの手がのびる。
「きみはいいところにもらわれたな」
マキシはうれしそうな顔で、獣の頬をなでた。
タグ:クロア
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