2019年03月05日
クロア篇−5章5
クロアは白髪の戦士に礼がしたいと申し出た。彼は「それがしは療術を少々お掛けしたまで」と辞退しそうな雰囲気を出したが、クロアから視線をはずしたのちに承諾した。みなそれぞれの飛獣に乗り、姿を消して移動する。その道中で互いの素性を明かした。
戦士はルッツと名乗った。彼が騎乗するベイレとともに旅をしているという。長年聖都で勤め、現在は辞職した。以後は旅行を楽しんでいるそうだ。聖都で具体的になにをしていたかを聞くとはぐらかされ、それ以降ルッツがクロアたちへの質問攻めをした。
屋敷に着くとダムトが透明化の術を解除する。
「さきに応接間へ向かってください」
彼は捕えた魔人を牢屋へ連れていく。ソルフがその同伴をするので、クロアはルッツと二人で応接間に向かう。その際、彼が所有する槍は一時衛兵にあずからせた。表向きは客人が不必要な荷物を持ちあるかなくてすむようにする配慮だが、内実は得体の知れない人物を警戒しての対処だ。ルッツが「これが貴方がたの職務ですからな」と言いながら槍を渡したのは、その内情を察していたからだろうとクロアは思った。
応接間にてクロアは客人の戦士と真向いに席に着く。もてなし用の茶器や茶菓子などは用意できていないが、クロアは話をはじめる。
「お礼をする、とは言ったものの、なにをあげたらよいか思いつきませんわね」
「かまいませぬ。それがしは返礼を所望いたしません」
「あら、ではどうしてお越しくださったの?」
「公女に同行しました理由は罪人の監視です。飛行できる相手は万一逃がすとあとが大変でございますゆえ」
その配慮は一介の武人がなかなか思いつけないこと。クロアは「お心遣いに感謝しますわ」と謝辞を述べるかたわら、ルッツは聖都の警備兵でもしていたのだろうか、と考えた。
(べつに隠さなくてよろしいのに……)
クロアは膝にいる猫の腹毛を触った。ルッツは幼獣形態の獣にほほえみかける。
「こちらの招獣はなかなかの強者ですな。公女が苦しまれた幻術を跳ねのけるとは」
「もしかしたら、この首輪の効果かもしれませんわ」
クロアはベニトラの首にある黄色の宝石をつまむ。
「この子は石付きの魔獣でしたの。これはこの子が招獣だという目印のために買った首輪です。品物を決めるときに店の者が『また術のせいで暴れてもらったら困る』と言って、術耐性を強める品をすすめたのです」
「ほう、石付き……ですか」
「はい。昨日までに数度、町を襲ってきましたの」
「ははあ、それがしは出遅れてしまったようですな」
出遅れた、の意味をたずねる前に部屋の扉が開いた。移動配膳台を押すダムトが入室する。彼は手甲を脱いだ手で茶を注ぎはじめた。クロアは従者に労わりの言葉をかける。
「背中が痛むのではなくて? ほかの者に任せていいのよ」
「俺のことはかまわず、お話しになっていてください」
手負いの従者は下男の役目を強行する。そこに彼なりの意図がある、とクロアは感じる。
「わかったわ……かわりに明日一日、ちゃんと休みなさいね」
ダムトが二つの茶杯を出した。雑用をすませたダムトはルッツの座席からひとつ飛ばした隣席にすわる。彼は背もたれに寄りかかった。そして目をつむる。思えば今日のダムトは朝から働きづめだ。表面上はいつもと変わらないが、やはり疲弊しているのだろうか。
(わたしの攻撃が追い打ちになったのかもしれないわね)
魔人の捕縛直後のダムトは元気そうに見えたせいで、クロアは謝罪をしなかった。あれは痩せ我慢だったのだろう。あとできちんと礼をするか謝るかしよう、と心に決めた。
ルッツは香りの立つ茶を静かにたしなんでいる。彼の言葉遣いも仕草も、気品がある。身の上を明かさない者だが、その育ちの良さは隠しきれていない。
(自分のことを言いたくないようだし……そこは聞かないでおきましょ)
クロアは深入りをやめ、ダムトが入室する直前の会話を続行する。
「さきほど『出遅れた』とおっしゃいましたわね」
ルッツが茶器をもつ手を止めた。彼は柔和な面持ちでクロアを静観している。
「どういうことかしら?」
「それがしがこの町に訪れる動機が、すでに除かれていたということです」
「ルッツさんは魔獣退治をなさりにいらっしゃったの?」
「おおせの通りです。こちらで出没する飛獣に、聖都の正規兵も手こずっているとの噂を耳に入れましたゆえ……」
「手こずる、はすこし語弊がありますわ。たしかにわたくしどもは聖都の救援をお願いいたしました。けれど、そういうときにかぎって魔獣があらわれません。ですから結局、聖都の方々はなにもせずお帰りになったのですわ」
クロアは聖都の援兵が無力ではなかったことを強調した。それが聖都で勤めていたであろう武官の気持ちを安んじる言葉だと考えたのだ。もと武官らしき男性は満足げに笑む。
「ではそれがしも槍を振るわずにアンペレを発つことになりますな」
「あ、それは……」
クロアはここが好機と見て話題を変える。
「出発なさるまえに、アンペレの強兵と手合わせ願えませんこと?」
ルッツは目を丸くした。手にした茶杯を机上に置く。
「はあ、断る理由はありませんが……どういった目的で?」
「近隣にいる盗賊を捕えるためです。試合に勝った者を傭兵として雇う段取りですの」
「聖都の助力は得られないのですか?」
「父は……伯は目立つ被害が出てからでないと応援要請は難しいとお考えです」
ルッツは「そんなことは」と言いよどんだ。だが口をつぐみ、言葉を模索する。
「……些事の始末に聖都の出番はないというわけですな」
「ええ、王の御手はわずらわせませんわ。ですが現状の兵力では不安があります」
「わかり申した。いつ手合わせが行われるのでしょうか?」
「明日の午前中はどうかしら?」
「はい。ではそのように」
「こちらでお泊まりになってはいかが?」
「すでに宿は決めました。連れもおりますゆえ、そのお心だけ頂きましょう」
ルッツは茶杯を空にした。その行為が帰り支度と見たダムトは席を立ち、扉の前に待機する。ルッツは自席の隣りの椅子にいた小さな飛獣を抱え、挨拶をして離席した。彼の槍は守衛が預っているため、そのことをダムトが一言ルッツに伝えた。
戦士はルッツと名乗った。彼が騎乗するベイレとともに旅をしているという。長年聖都で勤め、現在は辞職した。以後は旅行を楽しんでいるそうだ。聖都で具体的になにをしていたかを聞くとはぐらかされ、それ以降ルッツがクロアたちへの質問攻めをした。
屋敷に着くとダムトが透明化の術を解除する。
「さきに応接間へ向かってください」
彼は捕えた魔人を牢屋へ連れていく。ソルフがその同伴をするので、クロアはルッツと二人で応接間に向かう。その際、彼が所有する槍は一時衛兵にあずからせた。表向きは客人が不必要な荷物を持ちあるかなくてすむようにする配慮だが、内実は得体の知れない人物を警戒しての対処だ。ルッツが「これが貴方がたの職務ですからな」と言いながら槍を渡したのは、その内情を察していたからだろうとクロアは思った。
応接間にてクロアは客人の戦士と真向いに席に着く。もてなし用の茶器や茶菓子などは用意できていないが、クロアは話をはじめる。
「お礼をする、とは言ったものの、なにをあげたらよいか思いつきませんわね」
「かまいませぬ。それがしは返礼を所望いたしません」
「あら、ではどうしてお越しくださったの?」
「公女に同行しました理由は罪人の監視です。飛行できる相手は万一逃がすとあとが大変でございますゆえ」
その配慮は一介の武人がなかなか思いつけないこと。クロアは「お心遣いに感謝しますわ」と謝辞を述べるかたわら、ルッツは聖都の警備兵でもしていたのだろうか、と考えた。
(べつに隠さなくてよろしいのに……)
クロアは膝にいる猫の腹毛を触った。ルッツは幼獣形態の獣にほほえみかける。
「こちらの招獣はなかなかの強者ですな。公女が苦しまれた幻術を跳ねのけるとは」
「もしかしたら、この首輪の効果かもしれませんわ」
クロアはベニトラの首にある黄色の宝石をつまむ。
「この子は石付きの魔獣でしたの。これはこの子が招獣だという目印のために買った首輪です。品物を決めるときに店の者が『また術のせいで暴れてもらったら困る』と言って、術耐性を強める品をすすめたのです」
「ほう、石付き……ですか」
「はい。昨日までに数度、町を襲ってきましたの」
「ははあ、それがしは出遅れてしまったようですな」
出遅れた、の意味をたずねる前に部屋の扉が開いた。移動配膳台を押すダムトが入室する。彼は手甲を脱いだ手で茶を注ぎはじめた。クロアは従者に労わりの言葉をかける。
「背中が痛むのではなくて? ほかの者に任せていいのよ」
「俺のことはかまわず、お話しになっていてください」
手負いの従者は下男の役目を強行する。そこに彼なりの意図がある、とクロアは感じる。
「わかったわ……かわりに明日一日、ちゃんと休みなさいね」
ダムトが二つの茶杯を出した。雑用をすませたダムトはルッツの座席からひとつ飛ばした隣席にすわる。彼は背もたれに寄りかかった。そして目をつむる。思えば今日のダムトは朝から働きづめだ。表面上はいつもと変わらないが、やはり疲弊しているのだろうか。
(わたしの攻撃が追い打ちになったのかもしれないわね)
魔人の捕縛直後のダムトは元気そうに見えたせいで、クロアは謝罪をしなかった。あれは痩せ我慢だったのだろう。あとできちんと礼をするか謝るかしよう、と心に決めた。
ルッツは香りの立つ茶を静かにたしなんでいる。彼の言葉遣いも仕草も、気品がある。身の上を明かさない者だが、その育ちの良さは隠しきれていない。
(自分のことを言いたくないようだし……そこは聞かないでおきましょ)
クロアは深入りをやめ、ダムトが入室する直前の会話を続行する。
「さきほど『出遅れた』とおっしゃいましたわね」
ルッツが茶器をもつ手を止めた。彼は柔和な面持ちでクロアを静観している。
「どういうことかしら?」
「それがしがこの町に訪れる動機が、すでに除かれていたということです」
「ルッツさんは魔獣退治をなさりにいらっしゃったの?」
「おおせの通りです。こちらで出没する飛獣に、聖都の正規兵も手こずっているとの噂を耳に入れましたゆえ……」
「手こずる、はすこし語弊がありますわ。たしかにわたくしどもは聖都の救援をお願いいたしました。けれど、そういうときにかぎって魔獣があらわれません。ですから結局、聖都の方々はなにもせずお帰りになったのですわ」
クロアは聖都の援兵が無力ではなかったことを強調した。それが聖都で勤めていたであろう武官の気持ちを安んじる言葉だと考えたのだ。もと武官らしき男性は満足げに笑む。
「ではそれがしも槍を振るわずにアンペレを発つことになりますな」
「あ、それは……」
クロアはここが好機と見て話題を変える。
「出発なさるまえに、アンペレの強兵と手合わせ願えませんこと?」
ルッツは目を丸くした。手にした茶杯を机上に置く。
「はあ、断る理由はありませんが……どういった目的で?」
「近隣にいる盗賊を捕えるためです。試合に勝った者を傭兵として雇う段取りですの」
「聖都の助力は得られないのですか?」
「父は……伯は目立つ被害が出てからでないと応援要請は難しいとお考えです」
ルッツは「そんなことは」と言いよどんだ。だが口をつぐみ、言葉を模索する。
「……些事の始末に聖都の出番はないというわけですな」
「ええ、王の御手はわずらわせませんわ。ですが現状の兵力では不安があります」
「わかり申した。いつ手合わせが行われるのでしょうか?」
「明日の午前中はどうかしら?」
「はい。ではそのように」
「こちらでお泊まりになってはいかが?」
「すでに宿は決めました。連れもおりますゆえ、そのお心だけ頂きましょう」
ルッツは茶杯を空にした。その行為が帰り支度と見たダムトは席を立ち、扉の前に待機する。ルッツは自席の隣りの椅子にいた小さな飛獣を抱え、挨拶をして離席した。彼の槍は守衛が預っているため、そのことをダムトが一言ルッツに伝えた。
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