2019年02月18日
クロア篇−4章5
クロアは厩舎にいるエメリに会い、ティオの試合結果を伝えた。本来の目的は果たせなかったが、武官に取り立てる算段をつけていると。
「まだボーゼンが承諾するとは決まってないのだけれど……」
「父は断りませんよ」
「わかるの?」
「父もティオのことは気にしてたんです。むかし、ティオとオゼが仲良くなって──」
ボーゼンは息子のオゼが武術の訓練相手にする少年を気に入り、この少年は将来有望な戦士になると見込んでいた。しかし少年の親は息子が戦いの道に行くことをのぞまなかった。それを知ったボーゼンはティオにもその親にも「ティオを武官にしたい」という声掛けをしなかった、という。
「それでも父はあきらめていませんでした。ティオが弓術に励んだきっかけは父なんです」
「剣や槍より身の危険がすくなくなるから、弓をすすめたのね?」
「はい。聖王様の幼少期の逸話にのっとって」
聖王ゴドウィンは弓術に巧みだ。そうなった原因は彼が物怖じをしなさすぎたことにあるという。剣にしても槍にしても、自身の身をかえりみない戦い方をこのんだとか。
聖王の家系にはこういった戦士気質な者がたびたび生まれた。歴代の王にはつつましい人物が多いのだが、現王は戦士の国の王と引けを取らない勇猛さをそなえている。その性格の影響か、両国の王は王子のときから仲が良い。そしてこの国の民衆も古くから勇敢な王を支持してきた。
対外的にはゴドウィン王の性分はこのましいものに見られた。だが先王は嫡男の猪突さを気に病んだ。子が武術に傾倒したせいで、早死する可能性を危惧したためだ。
先王は青年の時分に子宝にめぐまれなかった。それゆえ何年も神に子をくださるよう祈りつづけたそうだ。祈りが通じ、神が男児を下賜した──そう思った先王は王子を掌中の珠のごとくかわいがった。そんな子煩悩な親は王子を失いたくない一心で、息子から武器を取りあげた。だが武芸をこのむ王子は不平を垂れる。子の不満を見かねた先王は唯一、弓術の修練を許可したという。
「弓で戦うなら、負傷する危険は低くなる……そのように妥協する王がいたのですから、ティオの親にも通用するかもしれないと父は思ったんです」
「それでティオさんは弓士になったわけね……」
少年が弓を極めるきっかけはわかった。その選択に他者の思惑があったことを、彼は気付いているのだろうか。
「本人はボーゼンの考えを知っているの?」
「いえ、父からは『弓の適性が高い』と言われただけだと思います。その適性の意味が家庭環境にあったとは知らないかと」
「そう……自分に弓の才能があると思ってた人が、そうじゃなかったと知ったらガッカリしそうね」
「いましばらく伏せておきましょうか」
「そうしましょう」
クロアはエメリにティオの送迎と家族への説得をお願いした。エメリが快諾したので、クロアは安心して厩舎を離れた。
「さて、お父さまはどこにいらっしゃるかしら」
「もうそろそろ、みなさんのお仕事がおわるころですよね……」
レジィの言うとおり、日勤の官吏たちの終業時刻はせまってきている。
「まだ執務室においでなんじゃありませんか?」
クノードはよく夕食の時刻まで仕事をする人だ。用事があれば時間を空けるが、今日はそういった出来事の予定は入っていない。クロアはレジィの予測を是とし、そちらへ出向くことにした。
二人は廊下を進み、父の仕事場にちかづいた。そこで執務室の扉をくぐろうとするクノードを見つける。
「あ、お父さま」
クノードは振りかえり、笑顔で娘を歓迎する。
「ああ、クロア。私に用があってきたんだろう?」
「はい」
「では中へ入ろう」
クロアとレジィは領主のあとに続いた。両扉の片側がひとりでに開いている。扉を支える者が室内にいるのだ。
クロアは扉の影に立つ者を見上げた。くすんだ青色の毛皮をまとった男性だ。その毛皮は自前である。狼の顔をした、獣人なのだ。獣人はだれもが普通の人間と同じ姿に変身できるというが、彼はよく毛むくじゃらな出で立ちですごした。
獣人は一般的に身体能力に秀でる。彼はその能力を活かし、クノードの護衛役を任された。つまりクロアにとってのダムトのような人物だ。
領主の護衛役は無言で公女を見下ろしていた。クロアはこの朴訥(ぼくとつ)な武官のことを気に入っており、無意識に笑む。
「ソルフ、ご苦労さまね」
「……オレは席を外したほうがいいですか?」
「廊下で見張ってて。もしカスバンがきたら知らせてね」
獣人の武官はクロアの意図を聞かずに「わかりました」と答えた。そして指示通りに部屋の外へ出る。退室の際に彼の尻尾が左右に振れるのを、クロアは何とはなしに見届けた。レジィも同様だ。扉が閉まるまで、彼の後ろ姿を見ていた。
「まだボーゼンが承諾するとは決まってないのだけれど……」
「父は断りませんよ」
「わかるの?」
「父もティオのことは気にしてたんです。むかし、ティオとオゼが仲良くなって──」
ボーゼンは息子のオゼが武術の訓練相手にする少年を気に入り、この少年は将来有望な戦士になると見込んでいた。しかし少年の親は息子が戦いの道に行くことをのぞまなかった。それを知ったボーゼンはティオにもその親にも「ティオを武官にしたい」という声掛けをしなかった、という。
「それでも父はあきらめていませんでした。ティオが弓術に励んだきっかけは父なんです」
「剣や槍より身の危険がすくなくなるから、弓をすすめたのね?」
「はい。聖王様の幼少期の逸話にのっとって」
聖王ゴドウィンは弓術に巧みだ。そうなった原因は彼が物怖じをしなさすぎたことにあるという。剣にしても槍にしても、自身の身をかえりみない戦い方をこのんだとか。
聖王の家系にはこういった戦士気質な者がたびたび生まれた。歴代の王にはつつましい人物が多いのだが、現王は戦士の国の王と引けを取らない勇猛さをそなえている。その性格の影響か、両国の王は王子のときから仲が良い。そしてこの国の民衆も古くから勇敢な王を支持してきた。
対外的にはゴドウィン王の性分はこのましいものに見られた。だが先王は嫡男の猪突さを気に病んだ。子が武術に傾倒したせいで、早死する可能性を危惧したためだ。
先王は青年の時分に子宝にめぐまれなかった。それゆえ何年も神に子をくださるよう祈りつづけたそうだ。祈りが通じ、神が男児を下賜した──そう思った先王は王子を掌中の珠のごとくかわいがった。そんな子煩悩な親は王子を失いたくない一心で、息子から武器を取りあげた。だが武芸をこのむ王子は不平を垂れる。子の不満を見かねた先王は唯一、弓術の修練を許可したという。
「弓で戦うなら、負傷する危険は低くなる……そのように妥協する王がいたのですから、ティオの親にも通用するかもしれないと父は思ったんです」
「それでティオさんは弓士になったわけね……」
少年が弓を極めるきっかけはわかった。その選択に他者の思惑があったことを、彼は気付いているのだろうか。
「本人はボーゼンの考えを知っているの?」
「いえ、父からは『弓の適性が高い』と言われただけだと思います。その適性の意味が家庭環境にあったとは知らないかと」
「そう……自分に弓の才能があると思ってた人が、そうじゃなかったと知ったらガッカリしそうね」
「いましばらく伏せておきましょうか」
「そうしましょう」
クロアはエメリにティオの送迎と家族への説得をお願いした。エメリが快諾したので、クロアは安心して厩舎を離れた。
「さて、お父さまはどこにいらっしゃるかしら」
「もうそろそろ、みなさんのお仕事がおわるころですよね……」
レジィの言うとおり、日勤の官吏たちの終業時刻はせまってきている。
「まだ執務室においでなんじゃありませんか?」
クノードはよく夕食の時刻まで仕事をする人だ。用事があれば時間を空けるが、今日はそういった出来事の予定は入っていない。クロアはレジィの予測を是とし、そちらへ出向くことにした。
二人は廊下を進み、父の仕事場にちかづいた。そこで執務室の扉をくぐろうとするクノードを見つける。
「あ、お父さま」
クノードは振りかえり、笑顔で娘を歓迎する。
「ああ、クロア。私に用があってきたんだろう?」
「はい」
「では中へ入ろう」
クロアとレジィは領主のあとに続いた。両扉の片側がひとりでに開いている。扉を支える者が室内にいるのだ。
クロアは扉の影に立つ者を見上げた。くすんだ青色の毛皮をまとった男性だ。その毛皮は自前である。狼の顔をした、獣人なのだ。獣人はだれもが普通の人間と同じ姿に変身できるというが、彼はよく毛むくじゃらな出で立ちですごした。
獣人は一般的に身体能力に秀でる。彼はその能力を活かし、クノードの護衛役を任された。つまりクロアにとってのダムトのような人物だ。
領主の護衛役は無言で公女を見下ろしていた。クロアはこの朴訥(ぼくとつ)な武官のことを気に入っており、無意識に笑む。
「ソルフ、ご苦労さまね」
「……オレは席を外したほうがいいですか?」
「廊下で見張ってて。もしカスバンがきたら知らせてね」
獣人の武官はクロアの意図を聞かずに「わかりました」と答えた。そして指示通りに部屋の外へ出る。退室の際に彼の尻尾が左右に振れるのを、クロアは何とはなしに見届けた。レジィも同様だ。扉が閉まるまで、彼の後ろ姿を見ていた。
タグ:クロア
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