2019年02月12日
クロア篇−4章2
「じゃ、挑戦者にはあそこにある武器を持たせてください」
ユネスが示す椅子の上には、木剣や棍棒、槍と杖の代替となる長い棒、そして弓矢がある。この矢は鏃(やじり)が太めの平らな木で出来ていて、殺傷能力が低い。だが急所に当たれば充分痛い代物だ。
「パチモンが気に食わねえなら本物でもいいんだが」
「むやみに医官の手をわずらわせたくないわね」
クロアは「あれでよろしいかしら?」と若い弓士にたずねた。ティオうなずいて「そうする」と素直に応じた。
ティオは肩に乗っていた茶色の鼬を長椅子に下ろした。次いで担いでいた自前の武器も椅子に置く。そして用意されていた矢の木鏃(もくぞく)に触れる。
「ちょっと撃ってみていいかな?」
「ええ、人がいない場所をねらってくださいな」
ティオは弓の弦の張り具合を確かめ、矢をつがえた。ねらいは数丈先に植えた木である。
空を切る高音が鳴る。太い幹の木に矢が命中し、からりと落ちる。
「お、意外と飛ぶんだ」
ティオは木矢が実用に耐える性能だと理解した。信頼に足る武具を借りたと知れた少年は、放った矢を回収しに行く。そこに、さきに矢を拾う人があった。長い裳裾を着た文官である。文官は訓練場に体の正面を向け、高速で接近する。その際に足はうごいていなかった。この移動ができる者はかぎられる。
「うわ、魔物か!?」
移動の仕組みを知らぬティオは高速移動する者が人間だとは思えなかったらしい。後ずさりながら、二の矢を放とうとした。しかし文官の到着が速かった。老いた文官の顔がティオにせまる。
「矢をお返ししますぞ」
声を掛けられた若者は言葉を失い、おそるおそる矢を受け取った。クロアはティオの恐怖心を解消させるため、老官に種明かしをもとめる。
「カスバン、足元の招獣をお見せして」
数寸ばかり宙を浮いた老爺が地に足を着けた。裳裾のせいでよく見えなかった獣の全体像が現れる。それは兜を平たく伸ばしたような甲殻だ。細い尻尾も硬い殻で覆われている。
「私めの足にございます。老躯ゆえ、こうでもせぬと若い者たちに遅れをとるのです。ご理解いただけましたかな」
「は、はあ……オレも招獣は持ってるんで、わかります」
ティオは気を取り直し、訓練用の矢筒を背負う。そしてユネスが待つ訓練場へと入った。ティオの招獣は私物の弓矢のそばで見守っている。カスバンが訓練場の出入口を鎖で封鎖すると柵全体が薄い障壁で覆われ、訓練場の上部には障壁の屋根が出現する。
「これで矢があらぬところへ飛ぶ心配はない。存分におやりなさい」
老爺は挑戦者への応援を投げかけた。しかしその言葉は少年が精一杯の力を尽くすことを勧めたのみ。そこに「勝利を勝ちとってほしい」という意図は介在しない。
(まるっきり、お客さま対応よね)
カスバンの言葉遣いが丁寧なのも、彼がわざわざティオの放った矢を拾ったのも、どうせ官吏にならない群衆のひとりとして丁重に扱っているからだろう。慇懃な態度の中に、相手の力量をあなどる無礼さが見え隠れしていた。
しかし実際問題、ティオの勝機はかなり薄い。見習い弓士は緊張で強張った顔をするのに対し、熟練の戦士はあくびをかいた。少年はむっとして「悠長だな」と試験官の態度をたしなめる。目下の者に注意されたユネスはティオを正視する。
「先に三回、攻撃を相手に命中させた者の勝ちだ」
ユネスはせっつく少年に応えたのか、試験の解説をはじめた。そして肩に置いた木剣を前方へ構える。切っ先は挑戦者の顔に向かっている。
「あんたが使うのは弓矢だけだな?」
「ああ、そうだ」
「だったらこれはいらねえな」
ユネスは左手に持っていた木剣を捨てた。木剣はからんからん、と音を立てる。試験官はいきなり丸腰になった。ティオは「へ?」とおどろいた。
「剣で矢をはじきはしない」
徒手になったユネスが左手のひらを上へ向ける。
「かわりに術で手合せをしよう」
その手の上に水球が生じた。これは彼が訓練のすえ、修得した術だ。ユネスは元々が武芸一本の戦士だったが、アンペレに来て以来は術戦士に転向した。現在は術が彼の損傷した右腕にかわる戦力になっている。
(遠距離から戦う相手には術で戦うのね)
クロアはそのようにユネスの試験内容を理解した。だが、そう思わない者がひとりいた。
「手加減はなしだと言ったはず!」
カスバンが怒号を飛ばした。怒る長官を前にして、ユネスは首を鳴らした。カスバンはなおも吠える。
「ボーゼン将軍がお前を推した理由がわかるか? 剣技と術、その両方を組み合わせた場合において、お前のほうが強いと認めたのだ」
「へいへい、おれだって片方だけじゃ半人前なんだと知ってますよ」
ユネスはめんどくさそうに老爺を見る。
「だがね、おれは十歳から戦いで飯を食ってきたんです。相手の強さぐらい、ちょっとやり合えばわかります」
「強さを測ってなんとする。お前が勝たねば──」
「採用していいじゃないですか。半人前状態のおれに負ける兵士なんざ何人もいる。そいつらよりよほど見込みがあるってことでしょう」
「この試合の目的は兵士補充ではない。公女をお守りする手練れを──」
ユネスは左手を払った。その手の上に漂っていた水球が、クロアたちがいるほうへ一直線に飛ぶ。方向と角度的に、カスバンをねらったものだ。術攻撃が顔面にせまった老爺はのけぞった。
水球は柵の障壁にぶつかる。弾けた水滴は柵内の地面に散った。障壁は水しぶきさえも通さないようだ。
「趣味の悪いいたずらを!」
「人手不足なのにゼータク言ってんじゃないよ」
とうとうユネスがしびれを切らした。文官が頭ごなしに指示するのを、いつも不服としていた男だ。それは彼の出身地では武官のほうが尊ばれる文化にあったせいもあるのだろう。実害がないだけ、理性的な反抗だと言えた。
「瘋狗(ふうく)め……」
老爺はユネスを侮蔑した。不快のあまり、招獣を用いずに立ち去る。その様子は、己が不興を周囲に見せつけているかのようだった。
ユネスが示す椅子の上には、木剣や棍棒、槍と杖の代替となる長い棒、そして弓矢がある。この矢は鏃(やじり)が太めの平らな木で出来ていて、殺傷能力が低い。だが急所に当たれば充分痛い代物だ。
「パチモンが気に食わねえなら本物でもいいんだが」
「むやみに医官の手をわずらわせたくないわね」
クロアは「あれでよろしいかしら?」と若い弓士にたずねた。ティオうなずいて「そうする」と素直に応じた。
ティオは肩に乗っていた茶色の鼬を長椅子に下ろした。次いで担いでいた自前の武器も椅子に置く。そして用意されていた矢の木鏃(もくぞく)に触れる。
「ちょっと撃ってみていいかな?」
「ええ、人がいない場所をねらってくださいな」
ティオは弓の弦の張り具合を確かめ、矢をつがえた。ねらいは数丈先に植えた木である。
空を切る高音が鳴る。太い幹の木に矢が命中し、からりと落ちる。
「お、意外と飛ぶんだ」
ティオは木矢が実用に耐える性能だと理解した。信頼に足る武具を借りたと知れた少年は、放った矢を回収しに行く。そこに、さきに矢を拾う人があった。長い裳裾を着た文官である。文官は訓練場に体の正面を向け、高速で接近する。その際に足はうごいていなかった。この移動ができる者はかぎられる。
「うわ、魔物か!?」
移動の仕組みを知らぬティオは高速移動する者が人間だとは思えなかったらしい。後ずさりながら、二の矢を放とうとした。しかし文官の到着が速かった。老いた文官の顔がティオにせまる。
「矢をお返ししますぞ」
声を掛けられた若者は言葉を失い、おそるおそる矢を受け取った。クロアはティオの恐怖心を解消させるため、老官に種明かしをもとめる。
「カスバン、足元の招獣をお見せして」
数寸ばかり宙を浮いた老爺が地に足を着けた。裳裾のせいでよく見えなかった獣の全体像が現れる。それは兜を平たく伸ばしたような甲殻だ。細い尻尾も硬い殻で覆われている。
「私めの足にございます。老躯ゆえ、こうでもせぬと若い者たちに遅れをとるのです。ご理解いただけましたかな」
「は、はあ……オレも招獣は持ってるんで、わかります」
ティオは気を取り直し、訓練用の矢筒を背負う。そしてユネスが待つ訓練場へと入った。ティオの招獣は私物の弓矢のそばで見守っている。カスバンが訓練場の出入口を鎖で封鎖すると柵全体が薄い障壁で覆われ、訓練場の上部には障壁の屋根が出現する。
「これで矢があらぬところへ飛ぶ心配はない。存分におやりなさい」
老爺は挑戦者への応援を投げかけた。しかしその言葉は少年が精一杯の力を尽くすことを勧めたのみ。そこに「勝利を勝ちとってほしい」という意図は介在しない。
(まるっきり、お客さま対応よね)
カスバンの言葉遣いが丁寧なのも、彼がわざわざティオの放った矢を拾ったのも、どうせ官吏にならない群衆のひとりとして丁重に扱っているからだろう。慇懃な態度の中に、相手の力量をあなどる無礼さが見え隠れしていた。
しかし実際問題、ティオの勝機はかなり薄い。見習い弓士は緊張で強張った顔をするのに対し、熟練の戦士はあくびをかいた。少年はむっとして「悠長だな」と試験官の態度をたしなめる。目下の者に注意されたユネスはティオを正視する。
「先に三回、攻撃を相手に命中させた者の勝ちだ」
ユネスはせっつく少年に応えたのか、試験の解説をはじめた。そして肩に置いた木剣を前方へ構える。切っ先は挑戦者の顔に向かっている。
「あんたが使うのは弓矢だけだな?」
「ああ、そうだ」
「だったらこれはいらねえな」
ユネスは左手に持っていた木剣を捨てた。木剣はからんからん、と音を立てる。試験官はいきなり丸腰になった。ティオは「へ?」とおどろいた。
「剣で矢をはじきはしない」
徒手になったユネスが左手のひらを上へ向ける。
「かわりに術で手合せをしよう」
その手の上に水球が生じた。これは彼が訓練のすえ、修得した術だ。ユネスは元々が武芸一本の戦士だったが、アンペレに来て以来は術戦士に転向した。現在は術が彼の損傷した右腕にかわる戦力になっている。
(遠距離から戦う相手には術で戦うのね)
クロアはそのようにユネスの試験内容を理解した。だが、そう思わない者がひとりいた。
「手加減はなしだと言ったはず!」
カスバンが怒号を飛ばした。怒る長官を前にして、ユネスは首を鳴らした。カスバンはなおも吠える。
「ボーゼン将軍がお前を推した理由がわかるか? 剣技と術、その両方を組み合わせた場合において、お前のほうが強いと認めたのだ」
「へいへい、おれだって片方だけじゃ半人前なんだと知ってますよ」
ユネスはめんどくさそうに老爺を見る。
「だがね、おれは十歳から戦いで飯を食ってきたんです。相手の強さぐらい、ちょっとやり合えばわかります」
「強さを測ってなんとする。お前が勝たねば──」
「採用していいじゃないですか。半人前状態のおれに負ける兵士なんざ何人もいる。そいつらよりよほど見込みがあるってことでしょう」
「この試合の目的は兵士補充ではない。公女をお守りする手練れを──」
ユネスは左手を払った。その手の上に漂っていた水球が、クロアたちがいるほうへ一直線に飛ぶ。方向と角度的に、カスバンをねらったものだ。術攻撃が顔面にせまった老爺はのけぞった。
水球は柵の障壁にぶつかる。弾けた水滴は柵内の地面に散った。障壁は水しぶきさえも通さないようだ。
「趣味の悪いいたずらを!」
「人手不足なのにゼータク言ってんじゃないよ」
とうとうユネスがしびれを切らした。文官が頭ごなしに指示するのを、いつも不服としていた男だ。それは彼の出身地では武官のほうが尊ばれる文化にあったせいもあるのだろう。実害がないだけ、理性的な反抗だと言えた。
「瘋狗(ふうく)め……」
老爺はユネスを侮蔑した。不快のあまり、招獣を用いずに立ち去る。その様子は、己が不興を周囲に見せつけているかのようだった。
タグ:クロア
この記事へのコメント
コメントを書く