2019年02月06日
クロア篇−3章5
クロアはベニトラを両肩に乗せた状態で、組合内の壁に注目した。そこには組合で取りあつかう業種の説明をまとめた紙が貼ってあった。そのほかに建物の案内もある。クロアが意外だと思ったのは演劇の宣伝などの広告も貼られていることだ。
(海神ローラントの劇……)
絵本に小説に人気のある題材だ。その演目もまた、ありふれている。
(新劇に困ったらいつもこれなんだわ)
大昔の記録を基盤にした物語、かつ神族礼賛の面もふくむ内容である。神を信仰する聖王国において、国民全員が一度は見聞きするほどの知名度をほこる。アンペレも聖王国の土地であり、クロアは公演を何度か見たことがある。
(きらいじゃないけど、同じ内容じゃ見なくてもいいわね)
クロアは広告への興味が削がれた。観察対象を変えると、階段を降りてくる人影が視界に入る。二階は依頼用の受付があるのだと、ついさっき見た案内図に説明があった。
(どこかの工房長さんが人手の募集をしにきたのかしら)
しかし人影の服装は職人のそれと系統が異なる。杖を持ち、鞄を肩から提げて、帽子を被っている。その風貌は旅人のよそおいにちかい。おまけに上背が高く、そのへんの兵士以上に体格の良い男性だ。有望な戦士の期待を持てるが、同時にクロアは心配も感じる。
(あの方は戦えそうだけど、どうしようかしら)
組合に依頼をしに来た動機──本人に職務があり、その助けとなる手を借りたいと思ったはず。すでに本業を持ちえている人物が、傭兵になってくれるとは考えにくかった。
クロアがじっと男性を見ていると、相手と目線が合う。男性の年頃は三十路前。彼もまたクロアに興味深げな注目をそそいでくる。
(ふふん、わたしだって異性の視線をあつめる美貌はあるのよ!)
そんなふうにクロアは男性の態度を好意的に解釈した。肝心の男性の口がひらく。
「その獣は……魔獣では?」
彼の関心はクロアの肩に乗っかるベニトラにあった。そうと知ったクロアはやや落胆する。
「え……ええ、そうですの。よくおわかりになりましたのね」
クロアは普通の動物と魔獣の区別がつかない。レジィのマルは一般的な鼬と見た目が変わらないし、ベニトラも空を飛んだりしゃべったりしなければ猫科の動物だと思える。それらを見分けられる人物とは、一定以上の経験を積んだ術士だという。術の修練を経た副産物として、魔獣特有の魔力の高さを察知できるようになるのだとか。
(と、いうことは……この方は術士かしら?)
体格に恵まれた術士がベニトラの顔に手をちかづける。
「昔の友人が連れていた招獣と同じ魔力を感じた」
「ベニトラとお知り合いなの?」
「顔見知りだ。貴女がこいつの招術士になったのか?」
「ええ、つい昨日に招獣にしたばかりですの」
「こいつはいつもヒマを持てあましているから、どんどんこき使うといい」
男性は世間話を終えたと見て、立ち去ろうとした。クロアは咄嗟に声をかける。
「あなた、依頼をお出しになったのでしょ」
男性が止まった。会話を受け付けてくれるらしい。
「どういう依頼なのか、聞いてよろしいかしら」
「薬草採取……その進捗状況を見にきた」
「どうでしたの?」
「どうも不人気らしい」
「いまはしかたないと思いますわ。最近はこのベニトラが石付きの魔獣になっていて、近辺を荒らしてましたもの。危険に慣れた戦士だって、わざわざ石付きと遭遇してまで薬草摘みはしたがらないんじゃなくて?」
「そうか……それなら自分で採りに行こう」
「あの、ほかにも危険はありますのよ。ちかくに賊の一団がいるとか……」
「問題ない」
常人ならば無謀な発言だ。その強気さゆえにクロアは関心を持つ。
「あなた、賊を倒すお力がおありですの?」
「自分の身を守る程度にはある」
「では一緒に成敗しに参りませんこと?」
薬草摘みの男はとまどった。クロアは彼が考えを固めないうちに押しまくることにする。
「わたしはいま、お強い方を探していますの。手練れが五人集まると、アンペレの正規兵が賊退治に乗り出す計画になっております。賊がいなくなれば採取の仕事をこなす人がきっと現れますわ。退治したあかつきには褒賞も出ますし、いかが?」
渾身の説得だと手応えを感じ、クロアは自慢げに笑う。だが相手は渋面だ。
「悪いが私は人同士の争いに加わるつもりはない」
「人同士って……あなたも人間じゃありませんの?」
「私は半魔だ。貴女なら気付けると思うが」
クロアは彼が半魔だという告白を自然と受け入れた。しかし、クロアならそれを見抜けるという口ぶりには同意できない。
「そんなの、見てもわかりませんわ。普通の人となんにも変わらないんですもの」
「なに……? 失礼だが、貴女の両親の血筋はどうなっている?」
質問の意図はクロアにはよくわからない。困惑しながらも素直に答える。
「父、クノードはたしか、三代さかのぼっても生粋の人間で……母、フュリヤは人間の母と魔族の父を持ちますわ。母方の父は、お母さまもお会いしたことがないそうです」
遠回しに自身を公女だと明かした。地元の住民にはこれで伝わるが、住民ではなさそうな半魔では不確実だ。彼は憐れむような目でクロアを見る。
「アンペレ公の娘か……私の話はすべて忘れてくれ」
「なんですの、藪から棒に」
「魔族とは関わるな。私のような魔族寄りの半魔にもだ」
それきり男性は速足で立ち去った。その背をクロアが呆然と見ていると、レジィが弓士を伴ってくる。彼女の両腕には黄と茶の二匹の鼬があった。
(海神ローラントの劇……)
絵本に小説に人気のある題材だ。その演目もまた、ありふれている。
(新劇に困ったらいつもこれなんだわ)
大昔の記録を基盤にした物語、かつ神族礼賛の面もふくむ内容である。神を信仰する聖王国において、国民全員が一度は見聞きするほどの知名度をほこる。アンペレも聖王国の土地であり、クロアは公演を何度か見たことがある。
(きらいじゃないけど、同じ内容じゃ見なくてもいいわね)
クロアは広告への興味が削がれた。観察対象を変えると、階段を降りてくる人影が視界に入る。二階は依頼用の受付があるのだと、ついさっき見た案内図に説明があった。
(どこかの工房長さんが人手の募集をしにきたのかしら)
しかし人影の服装は職人のそれと系統が異なる。杖を持ち、鞄を肩から提げて、帽子を被っている。その風貌は旅人のよそおいにちかい。おまけに上背が高く、そのへんの兵士以上に体格の良い男性だ。有望な戦士の期待を持てるが、同時にクロアは心配も感じる。
(あの方は戦えそうだけど、どうしようかしら)
組合に依頼をしに来た動機──本人に職務があり、その助けとなる手を借りたいと思ったはず。すでに本業を持ちえている人物が、傭兵になってくれるとは考えにくかった。
クロアがじっと男性を見ていると、相手と目線が合う。男性の年頃は三十路前。彼もまたクロアに興味深げな注目をそそいでくる。
(ふふん、わたしだって異性の視線をあつめる美貌はあるのよ!)
そんなふうにクロアは男性の態度を好意的に解釈した。肝心の男性の口がひらく。
「その獣は……魔獣では?」
彼の関心はクロアの肩に乗っかるベニトラにあった。そうと知ったクロアはやや落胆する。
「え……ええ、そうですの。よくおわかりになりましたのね」
クロアは普通の動物と魔獣の区別がつかない。レジィのマルは一般的な鼬と見た目が変わらないし、ベニトラも空を飛んだりしゃべったりしなければ猫科の動物だと思える。それらを見分けられる人物とは、一定以上の経験を積んだ術士だという。術の修練を経た副産物として、魔獣特有の魔力の高さを察知できるようになるのだとか。
(と、いうことは……この方は術士かしら?)
体格に恵まれた術士がベニトラの顔に手をちかづける。
「昔の友人が連れていた招獣と同じ魔力を感じた」
「ベニトラとお知り合いなの?」
「顔見知りだ。貴女がこいつの招術士になったのか?」
「ええ、つい昨日に招獣にしたばかりですの」
「こいつはいつもヒマを持てあましているから、どんどんこき使うといい」
男性は世間話を終えたと見て、立ち去ろうとした。クロアは咄嗟に声をかける。
「あなた、依頼をお出しになったのでしょ」
男性が止まった。会話を受け付けてくれるらしい。
「どういう依頼なのか、聞いてよろしいかしら」
「薬草採取……その進捗状況を見にきた」
「どうでしたの?」
「どうも不人気らしい」
「いまはしかたないと思いますわ。最近はこのベニトラが石付きの魔獣になっていて、近辺を荒らしてましたもの。危険に慣れた戦士だって、わざわざ石付きと遭遇してまで薬草摘みはしたがらないんじゃなくて?」
「そうか……それなら自分で採りに行こう」
「あの、ほかにも危険はありますのよ。ちかくに賊の一団がいるとか……」
「問題ない」
常人ならば無謀な発言だ。その強気さゆえにクロアは関心を持つ。
「あなた、賊を倒すお力がおありですの?」
「自分の身を守る程度にはある」
「では一緒に成敗しに参りませんこと?」
薬草摘みの男はとまどった。クロアは彼が考えを固めないうちに押しまくることにする。
「わたしはいま、お強い方を探していますの。手練れが五人集まると、アンペレの正規兵が賊退治に乗り出す計画になっております。賊がいなくなれば採取の仕事をこなす人がきっと現れますわ。退治したあかつきには褒賞も出ますし、いかが?」
渾身の説得だと手応えを感じ、クロアは自慢げに笑う。だが相手は渋面だ。
「悪いが私は人同士の争いに加わるつもりはない」
「人同士って……あなたも人間じゃありませんの?」
「私は半魔だ。貴女なら気付けると思うが」
クロアは彼が半魔だという告白を自然と受け入れた。しかし、クロアならそれを見抜けるという口ぶりには同意できない。
「そんなの、見てもわかりませんわ。普通の人となんにも変わらないんですもの」
「なに……? 失礼だが、貴女の両親の血筋はどうなっている?」
質問の意図はクロアにはよくわからない。困惑しながらも素直に答える。
「父、クノードはたしか、三代さかのぼっても生粋の人間で……母、フュリヤは人間の母と魔族の父を持ちますわ。母方の父は、お母さまもお会いしたことがないそうです」
遠回しに自身を公女だと明かした。地元の住民にはこれで伝わるが、住民ではなさそうな半魔では不確実だ。彼は憐れむような目でクロアを見る。
「アンペレ公の娘か……私の話はすべて忘れてくれ」
「なんですの、藪から棒に」
「魔族とは関わるな。私のような魔族寄りの半魔にもだ」
それきり男性は速足で立ち去った。その背をクロアが呆然と見ていると、レジィが弓士を伴ってくる。彼女の両腕には黄と茶の二匹の鼬があった。
タグ:クロア
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