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2020年10月09日
習一篇−3章6
窓を叩く音が鳴った。物音で起こされた習一は窓を見る。昨日に引き続き、またも銀髪の少女が窓の縁にいた。あの調子だと今後も窓が彼女の玄関口になりそうである。
(鍵、開けとくか?)
いまのところ、窓から入る者は彼女のほかにいない。軽業のできる盗人が侵入する危険はあるにはあるが、そのようなすぐれた身体能力をもつ悪人がやってくる可能性は低いと感じた。それほど優秀な人間ならほかに稼ぐ口はあるだろう、と。
習一は少女の無言の要求に応じ、窓を開けた。少女が土足で部屋に踏みいる。
「今日も学校にいこう。終業式なんだって」
「そうか。もう、夏休みになるのか」
言われてみれば露木という警官がそんな話をしていた。あのときの習一は聞き流していたが、学校生活にもどったいま、理解が追いついてきた。
「今日は半日でおわるの。プリントをいくつかもっていって、すずしいところでとこうよ」
課題を携帯させる、ということは放課後の自宅直帰は少女の想定にないスケジュールになる。そうする意図とは──
「オレが家にいちゃ、課題をやらないと疑ってんのか?」
「ううん。お外でやってたほうがいいんじゃないかって、シドが言ってた」
「どういう理由で?」
「えっと、その話は学校にいくときにしようね」
「もうそんな時間か?」
習一は雑談をする余裕がないほど遅刻しかけているのかと思い、時計を確認した。ところが二度寝してもいいくらいの猶予がある。
「あわてる時間じゃないぞ」
「はやく学校についたら、プリントがこなせるでしょ?」
少女は学校での朝学習を計画している。それならどれだけ早くても暇をもてあますことはない、と習一はプリントの問題数を概算しながら思った。
「学校にいこう」
「まだ飯を食ってないんだが」
「家族はいま、朝ごはんをつくってる?」
家事を担当する母は習一の朝食を作らない。作っても息子は食べにこないからだ。一般的な家庭と異なる事情に直面して、習一は顔をそむける。家族が作る朝食には自分の分がない、と言えば、この少女は自分を哀れむのではないかと危惧した。
習一がだまっていると少女はいつもの調子でリュックサックを床に下ろした。中に両手をつっこむ。ごそごそとさぐったのちに白いものを出した。それは透明なラップに包んだサンドイッチだ。
「んじゃ、これを朝ごはんにしよう」
サンドイッチの包装には値札やバーコードがない。つまり手作りの品だ。
「シューイチのお昼ごはんようにつくってもらった。でも、お昼はお店でも食べられるね」
少女は「学校についたらあげる」と言い、ラップに包んだ朝食をさらに水色の布で覆った。それをリュックへもどし、窓から外へ出た。習一は溜息を吐いたのち、登校の支度にとりかかる。
(家で課題をやらせない理由……食事か?)
習一は家族との仲がギクシャクしている。この様子では家族とともに食事をとることなど考えられず、欠食を続けてしまうと警戒されたのだろう。少女の監視のもと、食事を外でとらせれば例の教師はきっと安心する。そのための課題持参なのだと推測した。
習一は財布に飲食費がまかなえる資金が入っているのを確認し、先日渡されたクリアファイルをひとつ鞄に入れ、部屋を出る。家族がリビングにいたが挨拶はせず、早歩きで駆け抜けた。
習一は見張り役が控えた状態で学校を目指した。平時の登校時刻より早い出発のおかげで外の熱気は弱く、爽やかな気分で登校できた。
道中の少女は結局、学校に着くまで話しかけてこなかった。習一の部屋では登校中に外で課題をやる理由を話すとは言ったが、習一がたずねなかったのでそのまま約束が流れたらしい。習一は自分なりに答えの想像がついていたため、とくに不満には思わなかった。
学校の正門の前で少女は止まる。そこで彼女は布でくるんだ朝食とステンレス製の水筒を習一に手渡す。
「終業式がおわったらここにきて」
監視役は去った。習一は水筒を小脇に抱え、鞄と水色の包みを手に持つ。水筒は中に氷が入っているらしく、うごくたびにカラカラとすずしげな音が鳴った。
人気のない生徒玄関を通って、めったにこない早朝の校内を見物する。よその教室には数人の生徒を見かけたが、自分のクラスはだれもいなかった。
習一は昨日いた席へ座る。鞄は机の横のフックに掛け、机上に手作りサンドイッチの包みを広げる。元は昼食用だったというサンドイッチの具はツナとレタス、卵、ハムとチーズ、とごく普通の種類だ。イチゴのジャムを塗っただけのものもある。それぞれ二つずつあり、一袋八枚切りの食パンを丸々使ったサンドイッチのようだった。
(鍵、開けとくか?)
いまのところ、窓から入る者は彼女のほかにいない。軽業のできる盗人が侵入する危険はあるにはあるが、そのようなすぐれた身体能力をもつ悪人がやってくる可能性は低いと感じた。それほど優秀な人間ならほかに稼ぐ口はあるだろう、と。
習一は少女の無言の要求に応じ、窓を開けた。少女が土足で部屋に踏みいる。
「今日も学校にいこう。終業式なんだって」
「そうか。もう、夏休みになるのか」
言われてみれば露木という警官がそんな話をしていた。あのときの習一は聞き流していたが、学校生活にもどったいま、理解が追いついてきた。
「今日は半日でおわるの。プリントをいくつかもっていって、すずしいところでとこうよ」
課題を携帯させる、ということは放課後の自宅直帰は少女の想定にないスケジュールになる。そうする意図とは──
「オレが家にいちゃ、課題をやらないと疑ってんのか?」
「ううん。お外でやってたほうがいいんじゃないかって、シドが言ってた」
「どういう理由で?」
「えっと、その話は学校にいくときにしようね」
「もうそんな時間か?」
習一は雑談をする余裕がないほど遅刻しかけているのかと思い、時計を確認した。ところが二度寝してもいいくらいの猶予がある。
「あわてる時間じゃないぞ」
「はやく学校についたら、プリントがこなせるでしょ?」
少女は学校での朝学習を計画している。それならどれだけ早くても暇をもてあますことはない、と習一はプリントの問題数を概算しながら思った。
「学校にいこう」
「まだ飯を食ってないんだが」
「家族はいま、朝ごはんをつくってる?」
家事を担当する母は習一の朝食を作らない。作っても息子は食べにこないからだ。一般的な家庭と異なる事情に直面して、習一は顔をそむける。家族が作る朝食には自分の分がない、と言えば、この少女は自分を哀れむのではないかと危惧した。
習一がだまっていると少女はいつもの調子でリュックサックを床に下ろした。中に両手をつっこむ。ごそごそとさぐったのちに白いものを出した。それは透明なラップに包んだサンドイッチだ。
「んじゃ、これを朝ごはんにしよう」
サンドイッチの包装には値札やバーコードがない。つまり手作りの品だ。
「シューイチのお昼ごはんようにつくってもらった。でも、お昼はお店でも食べられるね」
少女は「学校についたらあげる」と言い、ラップに包んだ朝食をさらに水色の布で覆った。それをリュックへもどし、窓から外へ出た。習一は溜息を吐いたのち、登校の支度にとりかかる。
(家で課題をやらせない理由……食事か?)
習一は家族との仲がギクシャクしている。この様子では家族とともに食事をとることなど考えられず、欠食を続けてしまうと警戒されたのだろう。少女の監視のもと、食事を外でとらせれば例の教師はきっと安心する。そのための課題持参なのだと推測した。
習一は財布に飲食費がまかなえる資金が入っているのを確認し、先日渡されたクリアファイルをひとつ鞄に入れ、部屋を出る。家族がリビングにいたが挨拶はせず、早歩きで駆け抜けた。
習一は見張り役が控えた状態で学校を目指した。平時の登校時刻より早い出発のおかげで外の熱気は弱く、爽やかな気分で登校できた。
道中の少女は結局、学校に着くまで話しかけてこなかった。習一の部屋では登校中に外で課題をやる理由を話すとは言ったが、習一がたずねなかったのでそのまま約束が流れたらしい。習一は自分なりに答えの想像がついていたため、とくに不満には思わなかった。
学校の正門の前で少女は止まる。そこで彼女は布でくるんだ朝食とステンレス製の水筒を習一に手渡す。
「終業式がおわったらここにきて」
監視役は去った。習一は水筒を小脇に抱え、鞄と水色の包みを手に持つ。水筒は中に氷が入っているらしく、うごくたびにカラカラとすずしげな音が鳴った。
人気のない生徒玄関を通って、めったにこない早朝の校内を見物する。よその教室には数人の生徒を見かけたが、自分のクラスはだれもいなかった。
習一は昨日いた席へ座る。鞄は机の横のフックに掛け、机上に手作りサンドイッチの包みを広げる。元は昼食用だったというサンドイッチの具はツナとレタス、卵、ハムとチーズ、とごく普通の種類だ。イチゴのジャムを塗っただけのものもある。それぞれ二つずつあり、一袋八枚切りの食パンを丸々使ったサンドイッチのようだった。
タグ:習一
2020年09月11日
習一篇−3章5
習一は昼食を食堂で食べた。昼休みがもはや終わりにちかづいていたせいか、盛況なイメージのある食事処はすいていた。
その後の習一は授業の終わりまで座席に居ついた。途中で授業を抜ける選択もあったが、やはり暑い外を出歩くのは気が引けて、すずしい屋内ですごすことにした。
放課後はだれとも口をきかぬよう、さっさと帰る。弱った体では生徒から向けられる冷たい視線が思いのほか心に刺さり、その視線からはやく外れたいと感じた。習一がこう感じた要因はおそらく、いまの自分に自衛の手段がないからだ、と自己分析する。以前の習一は腕っぷしが強く、逃げ足も速かった。それゆえ自分に害意をそそぐ者があらわれてもなんとかできる自信があり、嫌味な視線を物ともしなかった。その自信が、現在は失われている。
(くそっ……なさけないな)
力のない自分に腹が立った。その自己嫌悪はいたくない場所にいなければならない自分のふがいなさにも向かう。
(この状態じゃ、あいつとはやり合えないか)
あいつ、とは習一の父である。あの中年は感情が高ぶると手が出る。彼が憎む息子にも当然、その矛先が突きつけられる。
(……会わないようにするか)
父の帰宅時刻は学校の授業終了時刻よりもおそい。放課後すぐに帰れば、体を洗って自室へ行くだけの時間は確保できる。
(夕飯は……いいか)
外食または自室で食うものを買いに寄り道をするとなると、安全な時間は短くなる。習一はそもそも自分が外をあるき回れる体力がないと見越して、夕食はとらない方向で直帰した。
習一は鍵がかかっていた自宅に入り、フローリング張りの廊下を渡る。空調機のあるリビングの戸は開けてあり、冷房が廊下にも利いていた。足の裏の熱を冷えた廊下がうばっていくのが心地よいと感じた。
脱衣所に行き、習一用の衣類ケースを確認する。自分がよく着る下着や部屋着がちゃんと入っていた。着替えがあることを知ったのち、服を脱ぐ。着ていた服は洗濯機へ放りこんだ。
習一はタイルの乾燥している風呂場に入る。シャワーを浴び、液体石けんを泡立てて体を洗うとき、ふと風呂場の鏡に注目した。院内の浴場では意識しなかった映写だ。鏡に映る顔はやつれている。この原因はあきらかに一ヶ月の絶食だ。
(こんなふうに見られてたか……)
習一はその顔が貧相だと思った。以前は野生の獣じみた勢いがにじんでいたはずが、すっかり毒気を抜かれた。攻撃性を失ってしまえばあとに残るのは弱そうな女顔だけ。習一は自分の面構えを不愉快に思い、視線を上に上げた。
次に目についたのは頭髪だ。金色に脱色した髪の根元が黒くなった、いわゆるプリン頭になっている。そのみっともなさに苦笑する。
(いっそ田淵の頭みたいに髪を刈るか?)
田淵というのは習一の悪友だ。習一が不良の道をすすむきっかけとなった悪童である。彼は角刈りスタイルを維持しており、夏場にはちょうどいいすずしげな髪型だと習一は思った。
全身を洗った習一は脱衣所にうつる。体をタオルでわしわしと拭き、室内用の衣服を着た。このときクセで、ハンガーラックに自分の制服がかかってないか確認する。あるのは妹の制服のシャツだ。習一の制服の替えはすべて部屋にあるらしい。制服の替えは一着のみで、明日は今日洗われた分がここにならぶ。なるべくはやめに回収しよう、と習一は自分自身に忠告した。
習一は鞄をもち、廊下へ出る。まだ人の気配がしないのを察知すると、台所へ行って、水分補給をするにした。飯は食べなくてもいいが水はとっておかねば倒れる、という危機管理の意識がはたらいたためだ。ただ水はどこでも飲める。せっかくだからもっと栄養のあるものを、と思って、冷蔵庫をあける。目当ては牛乳か野菜ジュース、甘味のある栄養補助飲料だ。真っ先に目についたのは飲料ではなく、刻んだ野菜とそれに合わせた調味料の入った料理キットだ。母が食事を用意するときに使うものである。母はあまり料理が上手ではないため、手作り感の出せる市販のキットをよく活用する。失敗した料理を食べさせられるよりはいいのか、料理キットには父も文句は言わないらしい。
(料理ってやっぱり大変なのか?)
習一は授業で料理をする程度の経験しかない。そのせいで日々の食事を用意する難易度がよくわからなかった。栄養がとれて味がよければそれでいいと習一は思い、キットのことは放置して、牛乳をコップにあけた。
冷たい飲み物を飲めたあと、就寝前の支度をととのえる。あとは寝るだけになり、自室で休む。室内の冷房をかけて寝台にのると、もうまぶたが重くなっていた。
その後の習一は授業の終わりまで座席に居ついた。途中で授業を抜ける選択もあったが、やはり暑い外を出歩くのは気が引けて、すずしい屋内ですごすことにした。
放課後はだれとも口をきかぬよう、さっさと帰る。弱った体では生徒から向けられる冷たい視線が思いのほか心に刺さり、その視線からはやく外れたいと感じた。習一がこう感じた要因はおそらく、いまの自分に自衛の手段がないからだ、と自己分析する。以前の習一は腕っぷしが強く、逃げ足も速かった。それゆえ自分に害意をそそぐ者があらわれてもなんとかできる自信があり、嫌味な視線を物ともしなかった。その自信が、現在は失われている。
(くそっ……なさけないな)
力のない自分に腹が立った。その自己嫌悪はいたくない場所にいなければならない自分のふがいなさにも向かう。
(この状態じゃ、あいつとはやり合えないか)
あいつ、とは習一の父である。あの中年は感情が高ぶると手が出る。彼が憎む息子にも当然、その矛先が突きつけられる。
(……会わないようにするか)
父の帰宅時刻は学校の授業終了時刻よりもおそい。放課後すぐに帰れば、体を洗って自室へ行くだけの時間は確保できる。
(夕飯は……いいか)
外食または自室で食うものを買いに寄り道をするとなると、安全な時間は短くなる。習一はそもそも自分が外をあるき回れる体力がないと見越して、夕食はとらない方向で直帰した。
習一は鍵がかかっていた自宅に入り、フローリング張りの廊下を渡る。空調機のあるリビングの戸は開けてあり、冷房が廊下にも利いていた。足の裏の熱を冷えた廊下がうばっていくのが心地よいと感じた。
脱衣所に行き、習一用の衣類ケースを確認する。自分がよく着る下着や部屋着がちゃんと入っていた。着替えがあることを知ったのち、服を脱ぐ。着ていた服は洗濯機へ放りこんだ。
習一はタイルの乾燥している風呂場に入る。シャワーを浴び、液体石けんを泡立てて体を洗うとき、ふと風呂場の鏡に注目した。院内の浴場では意識しなかった映写だ。鏡に映る顔はやつれている。この原因はあきらかに一ヶ月の絶食だ。
(こんなふうに見られてたか……)
習一はその顔が貧相だと思った。以前は野生の獣じみた勢いがにじんでいたはずが、すっかり毒気を抜かれた。攻撃性を失ってしまえばあとに残るのは弱そうな女顔だけ。習一は自分の面構えを不愉快に思い、視線を上に上げた。
次に目についたのは頭髪だ。金色に脱色した髪の根元が黒くなった、いわゆるプリン頭になっている。そのみっともなさに苦笑する。
(いっそ田淵の頭みたいに髪を刈るか?)
田淵というのは習一の悪友だ。習一が不良の道をすすむきっかけとなった悪童である。彼は角刈りスタイルを維持しており、夏場にはちょうどいいすずしげな髪型だと習一は思った。
全身を洗った習一は脱衣所にうつる。体をタオルでわしわしと拭き、室内用の衣服を着た。このときクセで、ハンガーラックに自分の制服がかかってないか確認する。あるのは妹の制服のシャツだ。習一の制服の替えはすべて部屋にあるらしい。制服の替えは一着のみで、明日は今日洗われた分がここにならぶ。なるべくはやめに回収しよう、と習一は自分自身に忠告した。
習一は鞄をもち、廊下へ出る。まだ人の気配がしないのを察知すると、台所へ行って、水分補給をするにした。飯は食べなくてもいいが水はとっておかねば倒れる、という危機管理の意識がはたらいたためだ。ただ水はどこでも飲める。せっかくだからもっと栄養のあるものを、と思って、冷蔵庫をあける。目当ては牛乳か野菜ジュース、甘味のある栄養補助飲料だ。真っ先に目についたのは飲料ではなく、刻んだ野菜とそれに合わせた調味料の入った料理キットだ。母が食事を用意するときに使うものである。母はあまり料理が上手ではないため、手作り感の出せる市販のキットをよく活用する。失敗した料理を食べさせられるよりはいいのか、料理キットには父も文句は言わないらしい。
(料理ってやっぱり大変なのか?)
習一は授業で料理をする程度の経験しかない。そのせいで日々の食事を用意する難易度がよくわからなかった。栄養がとれて味がよければそれでいいと習一は思い、キットのことは放置して、牛乳をコップにあけた。
冷たい飲み物を飲めたあと、就寝前の支度をととのえる。あとは寝るだけになり、自室で休む。室内の冷房をかけて寝台にのると、もうまぶたが重くなっていた。
タグ:習一