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2018年01月15日
拓馬篇−1章4
「その人は正規の教員じゃなくて、非常勤なんだって。アルバイトみたいなものかな?」
ヤマダは拓馬と協力して片付けをする片手間、昨日獲得した情報を喋る。二人はパイプ椅子の下敷きだった、滑り止め用の薄いマットを丸める。
「だから新任の教師の挨拶はしなかったって本摩先生が言ってた。担当は英語ね」
「この学校もケチなことするんだな。非正規の人を雇うのは安上がりなんだろ」
拓馬は父の仕事上、契約社員等の正規雇用でない社員について多少の知識があった。
「それが本人の希望だって。夏が終われば日本を出て、親戚の家に帰るんだってさ」
「国外の親戚……その人、外国人か?」
例の男は色の抜けた髪だった。異邦人ならば不良のような頭髪が正当な姿に思えた。
「アメリカ人らしいよ。でも国籍は日本だって。親が帰化してるんだとか」
「そう、か……髪を脱色してるわけじゃないのか」
「タッちゃんもその先生を見かけた?」
「ああ、三郎が喋る時に見た。肌が焼けてて髪が灰色の人だ。グレーのスーツ着てたよ」
「え……目の色、どうだった?」
気楽に喋っていたヤマダが声色を低めた。その反応の理由が拓馬にはわからない。
「目の色? よく見えなかったな」
拓馬は自ら語弊を感じた。正確には、そのほかの特徴を確認する余裕がなかったのだ。
「んじゃ、身長はどのくらい?」
「三郎より背が高いから……一八〇センチはあるな。なんでそんなに聞くんだ?」
「わたしたちが反省文を書かされた時に会った人じゃないかと思って。あの人も色黒で、グレーのスーツ着てて、きれいな銀髪だった。シャツは黒くなかったと思うけど」
拓馬たちは先月、呼出しを食らった。その日にヤマダが会った青い目の男は一日限りの客人だと思い、忘れ去っていた。採用試験があったのか、と拓馬は認識を改めた。
「あの時、ここの教師になるために来てたんだね」
ヤマダも同じ推測を立てる。拓馬たちが謝罪文を綴った日から今日まで、一ヶ月弱が経過した。学期開始前の準備期間を考慮するとかなり急な採用だ。おまけに教師は一年単位で仕事の区切りがつく。一学期の短い就任を学校側が歓迎するとは考えにくい。
「よく一年いられない先生を雇ったもんだな。それも迷うことなく採ったみたいだし」
「それね、本摩先生が言うには校長好みの先生だって。そういうことなのよ」
「まーた恋愛ネタに使えそうな人か。飽きねえな、あの校長」
マットは丸太に似た筒状になる。拓馬はマットの片端をヤマダに持たせ、二人で運送する。マット自体は拓馬一人で運べる重さだが、ヤマダが手伝いたがるため分担した。目的地は壇の下。そこにパイプ椅子とマットを収納する空間がある。現在は壇下の壁が動かされ、薄暗い穴がぽっかりと開いている。穴に向かう間、二人は異国風の教師について話す。
「お前が見た感じ、その先生は女にキャーキャー言われそうか?」
「言われるね。でも真面目そうな人だったよ。校長が期待してることは起きそうにない」
「女子が騒ぐだけで十分なんじゃねえの」
校長に強敵認定されるヤマダが食いつく時点で、校長の目論見は達成したように拓馬は思えた。野次馬根性が強い行動も校長の欲目では色恋の観点へ変換される。純愛を求める校長には、本物の恋人より寧ろ親しいだけの男女のほうが健全で好ましいきらいがあった。
(めんどくさい校風だよなあ。そのかわり自由にさせてもらってるけど)
拓馬たちが反省文の作成のみで済んだ罪は、停学処分を下されてもやむなしのものだった。他にも生徒に寛容な点は大半の学校で禁止する染髪の許容だ。この校則は拓馬のように地毛の明るい者が髪に負い目を抱かない配慮として設定されたと、本摩は述べていた。
二人は壇に着いた。拓馬が一人でマットを抱え、隠し倉庫へ慎重に足を入れる。壇の高さは拓馬の胸の辺り。壇下の一室の床は体育館より低く、出入口の大きさ以上に高さがある。片足が床を捉えた後、残る足も下ろす。一室には輸送物を収納する係の生徒がいなかった。拓馬は弱い電灯の光を頼りにマットを置いた。ヤマダが外から暗い部屋を見守る。
「これで終了だな。明かりを消してきてくれるか?」
「ステージの右側にスイッチがあるんだっけ。行ってくる」
ヤマダは壇の横へと走った。その間、拓馬は自身がいた穴倉を見て、電灯の光が消えるのを待つ。何年も同じ場所を照らしてきた蛍光灯の光は、時折消えかかる。点検がなおざりになる箇所のようだ。弱々しい明かりの奥に、緑色と青色の小さな光が見えた。
「……?」
あるはずのない光をもう一度見ようとして目を凝らす。有色の光は見えない。
(変なのが通りすがっただけかな)
目の前は真っ暗になった。拓馬は壁を閉め、壇横の準備室にいたヤマダが姿を見せる。
「タッちゃん、消えたー?」
「ちゃんと消えたぞー」
ヤマダはまたも走ってやってくる。
「みんな、もう帰ってるね、わたしたちも教室にもどろうか」
二人は普段の様子へもどった体育館を後にした。
ヤマダは拓馬と協力して片付けをする片手間、昨日獲得した情報を喋る。二人はパイプ椅子の下敷きだった、滑り止め用の薄いマットを丸める。
「だから新任の教師の挨拶はしなかったって本摩先生が言ってた。担当は英語ね」
「この学校もケチなことするんだな。非正規の人を雇うのは安上がりなんだろ」
拓馬は父の仕事上、契約社員等の正規雇用でない社員について多少の知識があった。
「それが本人の希望だって。夏が終われば日本を出て、親戚の家に帰るんだってさ」
「国外の親戚……その人、外国人か?」
例の男は色の抜けた髪だった。異邦人ならば不良のような頭髪が正当な姿に思えた。
「アメリカ人らしいよ。でも国籍は日本だって。親が帰化してるんだとか」
「そう、か……髪を脱色してるわけじゃないのか」
「タッちゃんもその先生を見かけた?」
「ああ、三郎が喋る時に見た。肌が焼けてて髪が灰色の人だ。グレーのスーツ着てたよ」
「え……目の色、どうだった?」
気楽に喋っていたヤマダが声色を低めた。その反応の理由が拓馬にはわからない。
「目の色? よく見えなかったな」
拓馬は自ら語弊を感じた。正確には、そのほかの特徴を確認する余裕がなかったのだ。
「んじゃ、身長はどのくらい?」
「三郎より背が高いから……一八〇センチはあるな。なんでそんなに聞くんだ?」
「わたしたちが反省文を書かされた時に会った人じゃないかと思って。あの人も色黒で、グレーのスーツ着てて、きれいな銀髪だった。シャツは黒くなかったと思うけど」
拓馬たちは先月、呼出しを食らった。その日にヤマダが会った青い目の男は一日限りの客人だと思い、忘れ去っていた。採用試験があったのか、と拓馬は認識を改めた。
「あの時、ここの教師になるために来てたんだね」
ヤマダも同じ推測を立てる。拓馬たちが謝罪文を綴った日から今日まで、一ヶ月弱が経過した。学期開始前の準備期間を考慮するとかなり急な採用だ。おまけに教師は一年単位で仕事の区切りがつく。一学期の短い就任を学校側が歓迎するとは考えにくい。
「よく一年いられない先生を雇ったもんだな。それも迷うことなく採ったみたいだし」
「それね、本摩先生が言うには校長好みの先生だって。そういうことなのよ」
「まーた恋愛ネタに使えそうな人か。飽きねえな、あの校長」
マットは丸太に似た筒状になる。拓馬はマットの片端をヤマダに持たせ、二人で運送する。マット自体は拓馬一人で運べる重さだが、ヤマダが手伝いたがるため分担した。目的地は壇の下。そこにパイプ椅子とマットを収納する空間がある。現在は壇下の壁が動かされ、薄暗い穴がぽっかりと開いている。穴に向かう間、二人は異国風の教師について話す。
「お前が見た感じ、その先生は女にキャーキャー言われそうか?」
「言われるね。でも真面目そうな人だったよ。校長が期待してることは起きそうにない」
「女子が騒ぐだけで十分なんじゃねえの」
校長に強敵認定されるヤマダが食いつく時点で、校長の目論見は達成したように拓馬は思えた。野次馬根性が強い行動も校長の欲目では色恋の観点へ変換される。純愛を求める校長には、本物の恋人より寧ろ親しいだけの男女のほうが健全で好ましいきらいがあった。
(めんどくさい校風だよなあ。そのかわり自由にさせてもらってるけど)
拓馬たちが反省文の作成のみで済んだ罪は、停学処分を下されてもやむなしのものだった。他にも生徒に寛容な点は大半の学校で禁止する染髪の許容だ。この校則は拓馬のように地毛の明るい者が髪に負い目を抱かない配慮として設定されたと、本摩は述べていた。
二人は壇に着いた。拓馬が一人でマットを抱え、隠し倉庫へ慎重に足を入れる。壇の高さは拓馬の胸の辺り。壇下の一室の床は体育館より低く、出入口の大きさ以上に高さがある。片足が床を捉えた後、残る足も下ろす。一室には輸送物を収納する係の生徒がいなかった。拓馬は弱い電灯の光を頼りにマットを置いた。ヤマダが外から暗い部屋を見守る。
「これで終了だな。明かりを消してきてくれるか?」
「ステージの右側にスイッチがあるんだっけ。行ってくる」
ヤマダは壇の横へと走った。その間、拓馬は自身がいた穴倉を見て、電灯の光が消えるのを待つ。何年も同じ場所を照らしてきた蛍光灯の光は、時折消えかかる。点検がなおざりになる箇所のようだ。弱々しい明かりの奥に、緑色と青色の小さな光が見えた。
「……?」
あるはずのない光をもう一度見ようとして目を凝らす。有色の光は見えない。
(変なのが通りすがっただけかな)
目の前は真っ暗になった。拓馬は壁を閉め、壇横の準備室にいたヤマダが姿を見せる。
「タッちゃん、消えたー?」
「ちゃんと消えたぞー」
ヤマダはまたも走ってやってくる。
「みんな、もう帰ってるね、わたしたちも教室にもどろうか」
二人は普段の様子へもどった体育館を後にした。
タグ:拓馬
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2018年01月14日
拓馬篇−1章3
紅白幕で彩った体育館の中、校長が壇上で演説を始める。彼の目前にはパイプ椅子に座る、初々しい生徒が並ぶ。中年は生徒たちを眺め、声を張り上げた。
「新入生諸君、入学おめでとうございます! 保護者の方々にもお喜び申し上げます。この才穎高校を善良な子たちが選んだこと、大変誇りに思っています!」
中年は昨日と打って変わって校長らしい言葉を新一年生に投げかける。
「わが校では各自の人格、思想こそが知識よりも重要です。かつて五千円札の肖像にもなった新渡戸稲造は、彼の著作『武士道』で次のように述べました。『知識それ自体を求むべきで無く叡知獲得の手段として求むべきとし実践窮行、知行合一を重視』すべきだと。つまり、得た知識を活かし、行動を起こすことがまことの知恵と言えるでしょう。その行動とは当然、道徳にかなうものであるべきです。これから三年間、貴方たちの美しき人徳と個性を磨き上げ、親しき友を持ち、自由に学びましょう」
校長の演説はまさに退屈な学長の弁だ。始業式との落差に苦笑いする在校生が何人か現れる。拓馬もその一人だ。隣りの女子生徒が拓馬に小声で話しかけた。
「うまいこと言ってるけど、どうせ恋愛ネタが欲しいのよね」
「千智もそう思うか?」
前髪をヘアピンで留めた女子生徒はさも当然と言わんばかりに胸を張る。
「拓馬とヤマちゃんを見てる時の顔が違うもの。三郎だってあたしと幼馴染だから……」
「あいつも? モテるけど恋人はいないからな」
「ま、いまのあたしはよその学校の彼氏がいるからノーマークだけど」
「……そういや三郎はどこだ?」
拓馬は二年三組の列を見回すがそれらしい人物は見当たらない。整列の時は出席番号順で並ぶため、拓馬より番号の若い三郎は前方にいるはずだった。「あ、後ろ」と千智が言う。二年生の最後列に精悍な男子生徒がいた。彼は折りたたんだ白い紙を手にしている。
「在校生代表の挨拶、か…」
「新入生に近い前列で待機したらいいのに。もとの位置より遠いじゃない」
二人の視線に気づいた三郎が頭を振る。「ちゃんと前を向け」という合図だ。二人はすぐに前へ向きなおった。
「……普通、入学式の祝辞は三年生がやるもんだよな?」
「他人がやりたがらないことをしたがるヤツだし、自分から買って出たのかもね」
プログラムの祝辞の時間が近づいてきた。マイクを持つ教師が「在校生、祝辞」と言い放つ。三郎が走り、壇の下の中央に設置されたマイクスタンドに向かう。三郎は教師陣が並ぶ壁側を通る。同時に新入生の女子生徒も椅子から立ち、壇下の中央へと歩いた。
三郎は教師たちの前を静かに駆けていく。その姿を拓馬が追ううち、奇怪な人影が映った。グレーのスーツジャケットの下に黒いシャツを着た長身の男。男は褐色に焼けた肌と灰色の髪を持つ。色素の薄い髪は加齢によるものか、との仮説は間髪を置かず白紙にした。男の年齢は高く見積もっても四十にかかりそうにない。男の髪は体質の影響か、染髪の産物だ。式典に相応しくない黒シャツの存在により、後者の線が濃厚に思えた。この男も三郎を見る。男に最も接近した生徒は異質な存在に気付かない。彼は在校生代表の務めを果たすことで頭がいっぱいなのだ。もしくは見えないのか。
「ねえ……あの銀髪の人って先生かしら?」
千智も男の姿が見えた。拓馬はほっとする。そして男の目撃証言を思い出す。スーツの男は始業式の時に現れた。二度目の出没となる今、騒ぎがないのは不審者ではない証拠か。
「たぶんそうだ。先生たちがフツーにしてるから部外者じゃないな」
「教師なのに銀髪ってどうなの? あんなに派手にやっちゃっていいのかしら」
「それは本人に聞いてやれ」
拓馬は千智の不信感を軽く受け流した。拓馬も男の目立つ頭髪を快く思えないものの、この場で議論すべきではないとして黙った。幾人かの生徒の視線も祝辞の主役ではなく、教師が待機するほうへそそがれる。当の本人はその視線に気付かないようだ。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます! 我々は新しい仲間が増えることを心待ちにしていました。初めての学び舎に戸惑うこともあるでしょうが、そのたびに我々を頼ってください。あなた方は同じ才穎高校の生徒です。苦楽を共にし、充実した学校生活を送りましょう。我々在校生一同はあなた方を歓迎します! 在校生代表、仙谷三郎!」
三郎は深く一礼した。よく通る声と堂々とした所作は、彼が所属する剣道部の活動で培われたものだ。彼の終始毅然とした態度に、新入生代表の女子生徒は少々たじろいだ。進行役の教師は女子生徒の動揺を意に介さず「新入生代表、答辞」と式を進める。女子生徒が紙を広げて話し出した。拓馬はふと教師たちの待機場所を見る。銀髪のスーツ男はなおもいた。男は体を体育館の出入り口へと歩く。まだ入学式は終わっていない。
「また途中退場か……?」
「新しい先生が? 『また』って、昨日もいたの?」
「ジモンが見たらしい。始業式の途中から来て、途中からいなくなったって」
「そう……もうすぐ終わるのになんで待てないのかしら。早く帰りたいのはわかるけど」
男は体育館の外へ出た。男に抗議する者はいない。彼に気付く者が少数だった。式典参加を全うできない様に、拓馬はまたも男への不信感を抱いた。拓馬の気持ちが晴れないまま入学式は終わった。新入生や保護者などが全員退場するまで在校生は立ちつくす。この後、体育館の片付けがある。それは新一年生のクラスを受け持たない教師も同じだ。紅白の幕や大量に並んだパイプ椅子の片付けなど、複数人で取り掛からねば終わらない仕事だ。
「さーて、一仕事やってから帰るか…」
拓馬は心のもやを振り切るように、片付けに意気込む友のもとへ駆け寄った。
「新入生諸君、入学おめでとうございます! 保護者の方々にもお喜び申し上げます。この才穎高校を善良な子たちが選んだこと、大変誇りに思っています!」
中年は昨日と打って変わって校長らしい言葉を新一年生に投げかける。
「わが校では各自の人格、思想こそが知識よりも重要です。かつて五千円札の肖像にもなった新渡戸稲造は、彼の著作『武士道』で次のように述べました。『知識それ自体を求むべきで無く叡知獲得の手段として求むべきとし実践窮行、知行合一を重視』すべきだと。つまり、得た知識を活かし、行動を起こすことがまことの知恵と言えるでしょう。その行動とは当然、道徳にかなうものであるべきです。これから三年間、貴方たちの美しき人徳と個性を磨き上げ、親しき友を持ち、自由に学びましょう」
校長の演説はまさに退屈な学長の弁だ。始業式との落差に苦笑いする在校生が何人か現れる。拓馬もその一人だ。隣りの女子生徒が拓馬に小声で話しかけた。
「うまいこと言ってるけど、どうせ恋愛ネタが欲しいのよね」
「千智もそう思うか?」
前髪をヘアピンで留めた女子生徒はさも当然と言わんばかりに胸を張る。
「拓馬とヤマちゃんを見てる時の顔が違うもの。三郎だってあたしと幼馴染だから……」
「あいつも? モテるけど恋人はいないからな」
「ま、いまのあたしはよその学校の彼氏がいるからノーマークだけど」
「……そういや三郎はどこだ?」
拓馬は二年三組の列を見回すがそれらしい人物は見当たらない。整列の時は出席番号順で並ぶため、拓馬より番号の若い三郎は前方にいるはずだった。「あ、後ろ」と千智が言う。二年生の最後列に精悍な男子生徒がいた。彼は折りたたんだ白い紙を手にしている。
「在校生代表の挨拶、か…」
「新入生に近い前列で待機したらいいのに。もとの位置より遠いじゃない」
二人の視線に気づいた三郎が頭を振る。「ちゃんと前を向け」という合図だ。二人はすぐに前へ向きなおった。
「……普通、入学式の祝辞は三年生がやるもんだよな?」
「他人がやりたがらないことをしたがるヤツだし、自分から買って出たのかもね」
プログラムの祝辞の時間が近づいてきた。マイクを持つ教師が「在校生、祝辞」と言い放つ。三郎が走り、壇の下の中央に設置されたマイクスタンドに向かう。三郎は教師陣が並ぶ壁側を通る。同時に新入生の女子生徒も椅子から立ち、壇下の中央へと歩いた。
三郎は教師たちの前を静かに駆けていく。その姿を拓馬が追ううち、奇怪な人影が映った。グレーのスーツジャケットの下に黒いシャツを着た長身の男。男は褐色に焼けた肌と灰色の髪を持つ。色素の薄い髪は加齢によるものか、との仮説は間髪を置かず白紙にした。男の年齢は高く見積もっても四十にかかりそうにない。男の髪は体質の影響か、染髪の産物だ。式典に相応しくない黒シャツの存在により、後者の線が濃厚に思えた。この男も三郎を見る。男に最も接近した生徒は異質な存在に気付かない。彼は在校生代表の務めを果たすことで頭がいっぱいなのだ。もしくは見えないのか。
「ねえ……あの銀髪の人って先生かしら?」
千智も男の姿が見えた。拓馬はほっとする。そして男の目撃証言を思い出す。スーツの男は始業式の時に現れた。二度目の出没となる今、騒ぎがないのは不審者ではない証拠か。
「たぶんそうだ。先生たちがフツーにしてるから部外者じゃないな」
「教師なのに銀髪ってどうなの? あんなに派手にやっちゃっていいのかしら」
「それは本人に聞いてやれ」
拓馬は千智の不信感を軽く受け流した。拓馬も男の目立つ頭髪を快く思えないものの、この場で議論すべきではないとして黙った。幾人かの生徒の視線も祝辞の主役ではなく、教師が待機するほうへそそがれる。当の本人はその視線に気付かないようだ。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます! 我々は新しい仲間が増えることを心待ちにしていました。初めての学び舎に戸惑うこともあるでしょうが、そのたびに我々を頼ってください。あなた方は同じ才穎高校の生徒です。苦楽を共にし、充実した学校生活を送りましょう。我々在校生一同はあなた方を歓迎します! 在校生代表、仙谷三郎!」
三郎は深く一礼した。よく通る声と堂々とした所作は、彼が所属する剣道部の活動で培われたものだ。彼の終始毅然とした態度に、新入生代表の女子生徒は少々たじろいだ。進行役の教師は女子生徒の動揺を意に介さず「新入生代表、答辞」と式を進める。女子生徒が紙を広げて話し出した。拓馬はふと教師たちの待機場所を見る。銀髪のスーツ男はなおもいた。男は体を体育館の出入り口へと歩く。まだ入学式は終わっていない。
「また途中退場か……?」
「新しい先生が? 『また』って、昨日もいたの?」
「ジモンが見たらしい。始業式の途中から来て、途中からいなくなったって」
「そう……もうすぐ終わるのになんで待てないのかしら。早く帰りたいのはわかるけど」
男は体育館の外へ出た。男に抗議する者はいない。彼に気付く者が少数だった。式典参加を全うできない様に、拓馬はまたも男への不信感を抱いた。拓馬の気持ちが晴れないまま入学式は終わった。新入生や保護者などが全員退場するまで在校生は立ちつくす。この後、体育館の片付けがある。それは新一年生のクラスを受け持たない教師も同じだ。紅白の幕や大量に並んだパイプ椅子の片付けなど、複数人で取り掛からねば終わらない仕事だ。
「さーて、一仕事やってから帰るか…」
拓馬は心のもやを振り切るように、片付けに意気込む友のもとへ駆け寄った。
タグ:拓馬