2018年01月14日
拓馬篇−1章3
紅白幕で彩った体育館の中、校長が壇上で演説を始める。彼の目前にはパイプ椅子に座る、初々しい生徒が並ぶ。中年は生徒たちを眺め、声を張り上げた。
「新入生諸君、入学おめでとうございます! 保護者の方々にもお喜び申し上げます。この才穎高校を善良な子たちが選んだこと、大変誇りに思っています!」
中年は昨日と打って変わって校長らしい言葉を新一年生に投げかける。
「わが校では各自の人格、思想こそが知識よりも重要です。かつて五千円札の肖像にもなった新渡戸稲造は、彼の著作『武士道』で次のように述べました。『知識それ自体を求むべきで無く叡知獲得の手段として求むべきとし実践窮行、知行合一を重視』すべきだと。つまり、得た知識を活かし、行動を起こすことがまことの知恵と言えるでしょう。その行動とは当然、道徳にかなうものであるべきです。これから三年間、貴方たちの美しき人徳と個性を磨き上げ、親しき友を持ち、自由に学びましょう」
校長の演説はまさに退屈な学長の弁だ。始業式との落差に苦笑いする在校生が何人か現れる。拓馬もその一人だ。隣りの女子生徒が拓馬に小声で話しかけた。
「うまいこと言ってるけど、どうせ恋愛ネタが欲しいのよね」
「千智もそう思うか?」
前髪をヘアピンで留めた女子生徒はさも当然と言わんばかりに胸を張る。
「拓馬とヤマちゃんを見てる時の顔が違うもの。三郎だってあたしと幼馴染だから……」
「あいつも? モテるけど恋人はいないからな」
「ま、いまのあたしはよその学校の彼氏がいるからノーマークだけど」
「……そういや三郎はどこだ?」
拓馬は二年三組の列を見回すがそれらしい人物は見当たらない。整列の時は出席番号順で並ぶため、拓馬より番号の若い三郎は前方にいるはずだった。「あ、後ろ」と千智が言う。二年生の最後列に精悍な男子生徒がいた。彼は折りたたんだ白い紙を手にしている。
「在校生代表の挨拶、か…」
「新入生に近い前列で待機したらいいのに。もとの位置より遠いじゃない」
二人の視線に気づいた三郎が頭を振る。「ちゃんと前を向け」という合図だ。二人はすぐに前へ向きなおった。
「……普通、入学式の祝辞は三年生がやるもんだよな?」
「他人がやりたがらないことをしたがるヤツだし、自分から買って出たのかもね」
プログラムの祝辞の時間が近づいてきた。マイクを持つ教師が「在校生、祝辞」と言い放つ。三郎が走り、壇の下の中央に設置されたマイクスタンドに向かう。三郎は教師陣が並ぶ壁側を通る。同時に新入生の女子生徒も椅子から立ち、壇下の中央へと歩いた。
三郎は教師たちの前を静かに駆けていく。その姿を拓馬が追ううち、奇怪な人影が映った。グレーのスーツジャケットの下に黒いシャツを着た長身の男。男は褐色に焼けた肌と灰色の髪を持つ。色素の薄い髪は加齢によるものか、との仮説は間髪を置かず白紙にした。男の年齢は高く見積もっても四十にかかりそうにない。男の髪は体質の影響か、染髪の産物だ。式典に相応しくない黒シャツの存在により、後者の線が濃厚に思えた。この男も三郎を見る。男に最も接近した生徒は異質な存在に気付かない。彼は在校生代表の務めを果たすことで頭がいっぱいなのだ。もしくは見えないのか。
「ねえ……あの銀髪の人って先生かしら?」
千智も男の姿が見えた。拓馬はほっとする。そして男の目撃証言を思い出す。スーツの男は始業式の時に現れた。二度目の出没となる今、騒ぎがないのは不審者ではない証拠か。
「たぶんそうだ。先生たちがフツーにしてるから部外者じゃないな」
「教師なのに銀髪ってどうなの? あんなに派手にやっちゃっていいのかしら」
「それは本人に聞いてやれ」
拓馬は千智の不信感を軽く受け流した。拓馬も男の目立つ頭髪を快く思えないものの、この場で議論すべきではないとして黙った。幾人かの生徒の視線も祝辞の主役ではなく、教師が待機するほうへそそがれる。当の本人はその視線に気付かないようだ。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます! 我々は新しい仲間が増えることを心待ちにしていました。初めての学び舎に戸惑うこともあるでしょうが、そのたびに我々を頼ってください。あなた方は同じ才穎高校の生徒です。苦楽を共にし、充実した学校生活を送りましょう。我々在校生一同はあなた方を歓迎します! 在校生代表、仙谷三郎!」
三郎は深く一礼した。よく通る声と堂々とした所作は、彼が所属する剣道部の活動で培われたものだ。彼の終始毅然とした態度に、新入生代表の女子生徒は少々たじろいだ。進行役の教師は女子生徒の動揺を意に介さず「新入生代表、答辞」と式を進める。女子生徒が紙を広げて話し出した。拓馬はふと教師たちの待機場所を見る。銀髪のスーツ男はなおもいた。男は体を体育館の出入り口へと歩く。まだ入学式は終わっていない。
「また途中退場か……?」
「新しい先生が? 『また』って、昨日もいたの?」
「ジモンが見たらしい。始業式の途中から来て、途中からいなくなったって」
「そう……もうすぐ終わるのになんで待てないのかしら。早く帰りたいのはわかるけど」
男は体育館の外へ出た。男に抗議する者はいない。彼に気付く者が少数だった。式典参加を全うできない様に、拓馬はまたも男への不信感を抱いた。拓馬の気持ちが晴れないまま入学式は終わった。新入生や保護者などが全員退場するまで在校生は立ちつくす。この後、体育館の片付けがある。それは新一年生のクラスを受け持たない教師も同じだ。紅白の幕や大量に並んだパイプ椅子の片付けなど、複数人で取り掛からねば終わらない仕事だ。
「さーて、一仕事やってから帰るか…」
拓馬は心のもやを振り切るように、片付けに意気込む友のもとへ駆け寄った。
「新入生諸君、入学おめでとうございます! 保護者の方々にもお喜び申し上げます。この才穎高校を善良な子たちが選んだこと、大変誇りに思っています!」
中年は昨日と打って変わって校長らしい言葉を新一年生に投げかける。
「わが校では各自の人格、思想こそが知識よりも重要です。かつて五千円札の肖像にもなった新渡戸稲造は、彼の著作『武士道』で次のように述べました。『知識それ自体を求むべきで無く叡知獲得の手段として求むべきとし実践窮行、知行合一を重視』すべきだと。つまり、得た知識を活かし、行動を起こすことがまことの知恵と言えるでしょう。その行動とは当然、道徳にかなうものであるべきです。これから三年間、貴方たちの美しき人徳と個性を磨き上げ、親しき友を持ち、自由に学びましょう」
校長の演説はまさに退屈な学長の弁だ。始業式との落差に苦笑いする在校生が何人か現れる。拓馬もその一人だ。隣りの女子生徒が拓馬に小声で話しかけた。
「うまいこと言ってるけど、どうせ恋愛ネタが欲しいのよね」
「千智もそう思うか?」
前髪をヘアピンで留めた女子生徒はさも当然と言わんばかりに胸を張る。
「拓馬とヤマちゃんを見てる時の顔が違うもの。三郎だってあたしと幼馴染だから……」
「あいつも? モテるけど恋人はいないからな」
「ま、いまのあたしはよその学校の彼氏がいるからノーマークだけど」
「……そういや三郎はどこだ?」
拓馬は二年三組の列を見回すがそれらしい人物は見当たらない。整列の時は出席番号順で並ぶため、拓馬より番号の若い三郎は前方にいるはずだった。「あ、後ろ」と千智が言う。二年生の最後列に精悍な男子生徒がいた。彼は折りたたんだ白い紙を手にしている。
「在校生代表の挨拶、か…」
「新入生に近い前列で待機したらいいのに。もとの位置より遠いじゃない」
二人の視線に気づいた三郎が頭を振る。「ちゃんと前を向け」という合図だ。二人はすぐに前へ向きなおった。
「……普通、入学式の祝辞は三年生がやるもんだよな?」
「他人がやりたがらないことをしたがるヤツだし、自分から買って出たのかもね」
プログラムの祝辞の時間が近づいてきた。マイクを持つ教師が「在校生、祝辞」と言い放つ。三郎が走り、壇の下の中央に設置されたマイクスタンドに向かう。三郎は教師陣が並ぶ壁側を通る。同時に新入生の女子生徒も椅子から立ち、壇下の中央へと歩いた。
三郎は教師たちの前を静かに駆けていく。その姿を拓馬が追ううち、奇怪な人影が映った。グレーのスーツジャケットの下に黒いシャツを着た長身の男。男は褐色に焼けた肌と灰色の髪を持つ。色素の薄い髪は加齢によるものか、との仮説は間髪を置かず白紙にした。男の年齢は高く見積もっても四十にかかりそうにない。男の髪は体質の影響か、染髪の産物だ。式典に相応しくない黒シャツの存在により、後者の線が濃厚に思えた。この男も三郎を見る。男に最も接近した生徒は異質な存在に気付かない。彼は在校生代表の務めを果たすことで頭がいっぱいなのだ。もしくは見えないのか。
「ねえ……あの銀髪の人って先生かしら?」
千智も男の姿が見えた。拓馬はほっとする。そして男の目撃証言を思い出す。スーツの男は始業式の時に現れた。二度目の出没となる今、騒ぎがないのは不審者ではない証拠か。
「たぶんそうだ。先生たちがフツーにしてるから部外者じゃないな」
「教師なのに銀髪ってどうなの? あんなに派手にやっちゃっていいのかしら」
「それは本人に聞いてやれ」
拓馬は千智の不信感を軽く受け流した。拓馬も男の目立つ頭髪を快く思えないものの、この場で議論すべきではないとして黙った。幾人かの生徒の視線も祝辞の主役ではなく、教師が待機するほうへそそがれる。当の本人はその視線に気付かないようだ。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます! 我々は新しい仲間が増えることを心待ちにしていました。初めての学び舎に戸惑うこともあるでしょうが、そのたびに我々を頼ってください。あなた方は同じ才穎高校の生徒です。苦楽を共にし、充実した学校生活を送りましょう。我々在校生一同はあなた方を歓迎します! 在校生代表、仙谷三郎!」
三郎は深く一礼した。よく通る声と堂々とした所作は、彼が所属する剣道部の活動で培われたものだ。彼の終始毅然とした態度に、新入生代表の女子生徒は少々たじろいだ。進行役の教師は女子生徒の動揺を意に介さず「新入生代表、答辞」と式を進める。女子生徒が紙を広げて話し出した。拓馬はふと教師たちの待機場所を見る。銀髪のスーツ男はなおもいた。男は体を体育館の出入り口へと歩く。まだ入学式は終わっていない。
「また途中退場か……?」
「新しい先生が? 『また』って、昨日もいたの?」
「ジモンが見たらしい。始業式の途中から来て、途中からいなくなったって」
「そう……もうすぐ終わるのになんで待てないのかしら。早く帰りたいのはわかるけど」
男は体育館の外へ出た。男に抗議する者はいない。彼に気付く者が少数だった。式典参加を全うできない様に、拓馬はまたも男への不信感を抱いた。拓馬の気持ちが晴れないまま入学式は終わった。新入生や保護者などが全員退場するまで在校生は立ちつくす。この後、体育館の片付けがある。それは新一年生のクラスを受け持たない教師も同じだ。紅白の幕や大量に並んだパイプ椅子の片付けなど、複数人で取り掛からねば終わらない仕事だ。
「さーて、一仕事やってから帰るか…」
拓馬は心のもやを振り切るように、片付けに意気込む友のもとへ駆け寄った。
タグ:拓馬
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く