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2018年02月22日

拓馬篇−3章1

 五月の連休がじきに終わろうとする日、拓馬は家族と交代制で担当する犬の散歩をした。引き連れる犬は白黒の長毛種のオス、大きさは中型だ。はためにはボーダーコリーによく似ているが、一応雑種犬である。体毛がダブルコートという二層式の生え方をするため、夏にかけての季節は冬毛が大量に抜けおちる。抜け毛処理を目的に、信号待ちなどの時間を利用しては犬の体をまんべんなくなでた。
 いまだに犬のうなじから飛び出る毛を「抜きたいなぁ」と狙っていると、引き綱がぴんと張った。犬がなにかに強く反応したのだ。拓馬が周囲を見回したところ、銀髪とサングラスが特徴的な男性を発見した。
(シド先生……スーツ着てるな)
 休日だというのに、彼は学校で見かける格好のままだ。ただし、ジャケットを羽織っていない点はいつもと違った。おまけに黒いシャツの袖をまくっている。陽気が強くなる季節なので、涼しい格好に変えたようだ。
 教師は犬連れの拓馬と目が合い、声をかける。
「ネギシさん、犬の散歩中ですか?」
「はい。先生は仕事があった? その、スーツ着てるからさ」
 拓馬が話す間中、犬がシドめがけて前足を上げる。拓馬は引き綱を制御するが、反対にシドは犬に近づいた。上機嫌の犬が前足を彼の太ももにつける。シドは衣服が犬の足で汚れるのを気にしていないようで、犬の首まわりをなでている。
「そんなところです。私服がないので普段もこの格好ですが」
「え、スーツしか持ってねえの?」
「そうです。持ち物の大半はあとで処分しますから、必要最低限な物で過ごしています」
 持ち物を処分する理由──ヤマダから聞いた、外国への出立が関係するのだろう。短期就労の教師はしゃがみ、犬の頭をなでる。犬はこの初対面の男性が自分をかわいがってくれるのだとわかると、ぺたんと尻を地につけた。その尻尾はブラシのごとく地面をさする。
「この子は凛々しい顔をしていますね。名前はなんと言うのですか?」
「トーマって言うんだ。名付け親はヤマダ」
「由来はありますか?」
「ああ、俺の下の名前を中国語読みしたらそんな音になるんだとか。あいつの父親の友達が俺のことをトーマって呼ぶから、それが由来」
「では、貴方と同じ名前を持っているのですね」
 トーマは自身に興味をそそぐ人物の顔をペロペロとなめはじめる。執拗な顔なめ攻撃だが、シドはほほえんだ。
(先生、犬に慣れてるんだな)
 犬に親しみのうすい者は普通、この連続攻撃に戸惑うものだ。飼い主であっても時には辟易することがある。それを笑顔で受けるとは、かなりの動物好きにちがいない。飼い犬に好意的に接する様子によって、拓馬はシドに仲間意識のような信頼感が芽生えた。
 シドはまったく犬を遠ざけようとせず、受け身の姿勢を保っている。その両手はトーマの背中や首もとをなでており、双方向に愛情が通(かよ)っている。常に他者の愛を求める犬の相手をしてくれるのはありがたいが、互いに帰宅が遅れてはまずい。拓馬は膠着状態の打破をこころみる。
「先生は仕事帰りなのか?」
「いえ、真っ最中です」
 拓馬は教師の言葉の意味がわからず、考えあぐねて一つの予想を出した。
「えーと、校外指導?」
「それも兼ねています」
「本命は?」
「気になるのならついてきてもかまいませんよ」
 シドはトーマをなでるのをやめた。彼が立ち上がると、トーマは名残り惜しそうに彼を見上げる。飼い犬のほうは満足していないらしい。
「じゃあついていこうかな。こいつ、まだ先生と一緒にいたいみたいだ」
「おや、もう私に懐いてくれましたか」
「人間が大好きでさ、とくに先生みたいな優しい人が好きなんだよ」
「人が好き……ですか。私を気に入ってくれたのならうれしいです」
 言葉とは裏腹に、シドは寂しげに眉を落とす。彼はこの土地の者と親しくなっても、数ヶ月で別れねばならない。きっとそれが心苦しいのだろう。拓馬はいくばくかの寂寥をおぼえた。
 教師が哀愁を振り切るかのように歩きだした。トーマはその後を追う。拓馬も引き綱伝いに前進した。
(先生、なにをするんだろ)
 休日を返上して行なうことだ。学校からの強い要望を受けての行為だと予想できた。
(そういや、校長によく呼ばれてたんだったな)
 両者の密会は校内で一部「怪しい」と評判になっていた。その面会内容にさぐりを入れたヤマダによると、二人は真面目な話し合いをしていたという。この時の会談に関係するのかもしれない。
「今日の先生がやってることって、校長に頼まれたことか?」
「はい。その依頼があっての採用でしたし、もとより承知の務めです」
「校長はなんて?」
「貴方たちを守るように、と」
 拓馬をふくむ生徒──というと、拓馬は過去の騒動を連想した。三郎が主動した、不良とのいざこざだ。
「この近隣で他校の生徒がたむろするという噂を聞きました。いわゆる不良連中だそうで、早々に対処しておきたいのです。貴方たちが退治を計画する前に」
 最近、本摩が三郎に釘を刺したのを髣髴する言葉だ。他校の不良生徒との確執は三郎が火種となっている。三郎の耳に不良健在のしらせが届けば、また問題を起こしかねない。だが、それはまだ可能性の段階だ。
「起きてもないことのために、休みをつぶしてて大丈夫なのか?」
「そういう、契約ですから」
 返答に覇気は感じられなかった。健康優良児な外見とはいえ、疲労がたまっているように見える。拓馬はその律儀さに同情する。
「そうまでして校長の言い付けを守るこたぁないと思うぞ」
「貴方たちがおとなしくするとわかれば、私が動く必要もないのです」
 ハードワークの責任を押しつけられてしまった。拓馬はシドの主張を不服とし、自分が問題児ではないのだと主張する。
「……言っておくけど、言いだしっぺは三郎だかんな。俺は付きあわされたんだ」
 事情を知っているらしいシドはうなずく。
「ええ、先生がたにお聞きしました。貴方は被害者だと」
「知ってるんなら話がはやい。また俺が巻きこまれそうなことがあってさ」
「ナリイシさんが何者かに襲われた件ですか?」
「そう、それ。やるならそっちの対策をしてもらえねえかな?」
 シドは答えない。犯人の手掛かりの乏しい現状では無理難題に決まっている。
「どんな相手だかさっぱりわかんねえし、無茶な話だよな。本気にしないでくれ」
「はい。出没時間帯や人物像などの情報がないとなると、手の打ちようがありません」
「俺もそう思う。このまま出なけりゃ一番いいんだが」
「……だといいですね」
 会話は途絶えた。拓馬たちは人の行き交う道路を通る。トーマは常に前方のシドに注目しており、通行人に興味をはらわない。おかげでなにごともなく町中を進んだ。
 拓馬たちは少年が集まりやすい店の前を通過した。全国チェーンの喫茶店やファーストフード店、コンビニなど、シドは店の窓を通して店内にいる客を確認し、次の候補へと向かった。そうして歩道に面した二階建てのゲームセンターへたどりつく。ここは外からの目視では死角が多い建物だ。
「表にはいませんね。一度中へ入ってみます。ネギシさんはどうしますか?」
「外で待ってる」
「わかりました。では行ってきます」
 質実剛健な教師が、私生活では無縁であろう娯楽施設へ入場した。拓馬は人の邪魔にならないよう、ガラス張りの壁際へ移動する。トーマが主人にならって尻を落ち着けた。
 拓馬はガラス越しに施設の中を見る。鮮やかな光がめまぐるしく照っている。利用客はまぶしい光を発する機械に集中している。客の中に拓馬の記憶を刺激する相手はいなかった。もし捜索対象が以前拓馬と一騒動を起こした連中ならば、拓馬には見分けがつく。
(今日はハズレみたいだな……)
 観察に飽きた拓馬は往来を眺めた。トーマに注目していく通行人がいる。普通、犬を連れてゲームセンターへ訪れる者はいない。拓馬は不寛容な注目の的になっているのではないかと思い、居心地を悪くした。対するトーマは人の視線を受けると尻尾を立てて愛想をふりまく。
(こいつはどこにいても、人にかまってもらえりゃ満足なんだな)
 その肝の太さを表彰し、拓馬はぐりぐりと犬の頭をなでた。
 トーマが上げた尻尾は左右にゆっくりゆれる。この動作を道ゆく制服姿の男子が注目していた。その男子は不良じみた風貌だ。肩にかかるほど伸びた髪は金色。制服は上着のボタンを外し、着崩している。制服自体は近隣一帯で名の知れた進学校のものだ。
(あの制服は……ラクエイとかいう学校だっけ?)
 やたらとむずかしい漢字を使った名前だと記憶している。ヤマダが椙守のことを話した時に「ミッキーならラクエイに行けたよね」と言う程度には、秀才が行く学校との共通認識ができていた。
 少年は拓馬を一瞥すると無言無表情で去った。拓馬は彼が成績優秀な者の証を意図的に損なう姿が印象に残る。生徒の学力の高い学校にも不良はいるのか、と思うかたわら、休日なのになぜ制服を着るのか、と疑問が湧く。だが教師が帰還したために追究は頓挫した。
「それらしい人はいませんでした。店の裏手も見てみましょうか」
「不良みたいなやつならさっき見かけたよ」
 目撃情報を知ったシドは真剣なまなざしに変わる。普段のやさしげな表情が消えたことに、拓馬は若干の恐れを感じた。
「どんな人で、何人いましたか?」
「金髪で、このあたりで一番頭のいい生徒が集まる高校のやつが一人。まだ近くにいるかな」
「確認してきます。ネギシさんはこれで帰宅してください」
「先生、そいつに会ってどうする? 他校の生徒を指導するわけにゃいかないだろ」
「しばらく様子を見ます。犬を連れていては目立ちますから、ここで別れましょう」
 では失礼します、とシドが離れていく。座っていたトーマはすぐさま立ち上がり、彼のあとを追おうとした。引き綱を握る主人に動きがなかったために、トーマが止まる。先が半分垂れている黒い耳が、付け根からさらに垂れ下がった。飼い犬が今日得た友と離れることに気落ちせぬよう、拓馬は優しく頭をなでてやった。

タグ:拓馬
posted by 三利実巳 at 22:22 | Comment(0) | 長編拓馬 

2018年02月21日

拓馬篇−3章◇

 畳を敷いた部屋に二人の女性がいる。一人は守るべき娘、一人はその親。二人の近くには白い狐がしずかに座する。だれも狐の存在を気取らぬまま、千変万化の機械に注目した。そこに娘と瓜二つな歌女が映る。
「あ、融子ちゃんが出るのね!」
「ふーん。歌番組以外にも出るんだね」
 母は融子をわが子のような親しみをおぼえているらしかった。その一方、娘は己と似た者の話題を嫌っていた。嫌う理由を、狐はまだ理解できていない。
 時刻は狐の主要な務めを果たす頃合いになる。狐は家屋をすりぬけた。屋根へあがり、その近隣の屋根へと小さな体を跳ねる。狐は警官という職分の若い男に従い、住民を脅かす存在を捜す。捜索すべき対象のすがたかたちは聞かなかった。特定できるだけの情報が足りないのだ。こうなっては他人に危害を加える者すべてに対処すればよい。特に女子供を守ることはいまの主の意向にそぐう。そのような考えから狐は町を出歩いた。
 狐は自身が遣わされる事件の関係者のもとへ向かった。はじめの被害者を介抱したという女子の視察である。女子の宿舎に寄ると彼女の部屋の明かりは点いていない。若者の就寝にはまだ早い時刻だ。中を確認するも人はいない。部屋主は外出中だと判断し、べつの場所へ移る。
 狐は舗装された道に等間隔で立つ柱の上にのぼった。遠方を見渡したところ、奇妙な音が耳に届く。人間の声、それも悲鳴に近い。ただちに音の鳴った方角へ駆けた。
 木々に囲まれた公園の近く、地に伏せる男が二人いた。遅かったか、と悔しさを覚える。倒れた男に外傷はなく、呼吸も異常がない。あとは自力で起き上がれるかが問題だ。被害者の様子をうかがい、時が経過すると女が二人見えた。その片割れは先ほど侵入した部屋の主だ。スザカミヤという少女。もう一人の女の素性はわからない。
「また、人が倒れてる……」
「……行こう、お姉ちゃん。早く!」
 髪の長い少女が姉の手を引く。狐は街灯に照らされた女性の顔を確認した。姉とよばれるだけあって少女と似た容貌だ。二人が逃げるように走った。狐は彼女たちを尾行しなかった。行き先はすでに知っているからだ。
 狐は再び男たちの様子を見る。彼らが生きていることはいい。その後に目を覚ますかだ。そのいかんによって、犯人は特定でき、今後の行動に左右される。
 男どもがいまだに寝る様子に狐は痺れを切らした。平時はせぬようにと忠告された実体化を果たす。そして男の頬を突く。二、三突いて反応がなく、今度は勢いをつけて殴る。軽い悲鳴をあげて、やっと男が起きた。これで若い主が危惧する被害ではないとわかった。狐はムダな時間をついやした、と辟易しながら、守るべき者のもとへ帰った。

タグ:拓馬
posted by 三利実巳 at 23:59 | Comment(0) | 長編拓馬 
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