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2019年12月27日

ご存じでした? 実は戦国武将が名付けた地名

〇〇総選挙シリーズってどうなの !?

年末年始になるとテレビでは様々な特番が放送されますが、明日28日にはテレビ朝日で18:56から「戦国武将総選挙」が放送されるみたいですね。

この〇〇総選挙シリーズは、老若男女全ての世代から幅広くアンケートを取った結果、投票の多かった順にその順位を決定しているようなので、戦国ファンの方には一見の価値があるのではないでしょうか。

ただ、僕としては、同企画の「プロレス総選挙」がどうも納得いかない結果だったので、今回もちょっと懐疑的なのですが・・・。

まあ結局、どんなジャンルの総選挙をやっても世代間のギャップは拭えないので、そのジャンルにこだわりや思い入れの強い人にはどうしても不満が残ってしまう結果になりがちなんでしょうね。

僕の予想では、本命が織田信長、大穴では真田幸村あたりが1位になるのではと考えています。(外れたら恥ずかしい!)


さて、今日は地名の由来についてのお話ですが、地名をいろいろ調べてみると、戦国〜江戸時代に命名された地名が意外に多いことに気付きます。

戦国時代は日本の各地域が「独立国」のような状態だったので、戦国大名はさながら“王様”のような立場でした。

なので、自分の支配する地域では絶対的権力を握っていた戦国大名が、土地の命名あるいは改名をすることが多かったと考えられます。

ただ、地名にはいくつかの由来が存在していることが多く、必ずしも戦国大名が名付けたものと断定できない場合もあります。

それでも、戦国大名に由来する地名が現代にも受け継がれていて、しかもそれが県庁所在地になっているとしたら、興味深いものがありませんか?

というわけで、今回は戦国武将が名付けた地名について語りたいと思います。

盛 岡

岩手県の県庁所在地ですが、古来この盛岡は不来方(こずかた)と呼ばれていました。

不来方の由来は県名とも関係しています。

そもそも岩手県の県名の由来は、岩がむき出して見える岩手山に由来するのですが、その岩手山の名称にはある言い伝えがあります。

この地方で悪さを繰り返していた鬼が神様に懲らしめられ、「もう悪さはしません」と誓い、その証としてこの山の岩に手形を押したので、以来この山は岩手山と呼ばれるようになりました。

その後、鬼は二度とこの土地に来なかったので「不来方」という地名になったといわれています。

あるいは、京の都から来た役人がこの地を訪れた際、まるで秘境のような未開の地だったので、誰も来ないような僻地=不来方になったとの説もあります。

慶長二年(1597年)、陸奥(青森・岩手県)を支配していた南部利直が不来方の地に城を築く際、小高い岡に木が生い茂っていた様子から不来方を「森岡」と改め、新しい城を森岡城としました。

その後の元禄四年(1691年)、この地が盛り上がり栄えることを願って森岡を盛岡に改めました。

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仙 台

“杜の都”仙台は宮城県の県庁所在地であり、東北地方唯一の政令指定都市でもあります。

宮城県の県名の由来についても説明しますと、朝廷に貢納された稲の倉庫「屯倉」(みやけ)が「宮城」となったとする説や、奈良時代に蝦夷征討の拠点として多賀城が設置された(11月4日付ブログ参照)ことから、“みちのくの都”として(宮なる城がある地)で「宮城」になったという説もあります。

そして仙台については、いくつかの由来があります。

古いものでは、天台宗の祖である最澄の弟子・円仁(慈覚大師)が東北を訪れた際、この地に千体の仏像を祀ったことに由来する説があります。

また、地形的な条件からこの地が広瀬川や国分川に囲まれているので川内(川の内側)になったとする説もあります。

これら「千体」「川内」などと呼ばれていた地名を改めたのが、“独眼竜”伊達政宗です。

慶長五年(1600年)政宗が青葉城を築城する際、中国の漢詩に因んでこの地を仙台に改めたといわれています。
伊達政宗騎馬像.jpg
 青葉山公園の伊達政宗騎馬像

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岐 阜

県名と同じ県庁所在地・岐阜は、もとは井ノ口という地名であり、古来から畿内〜東国を結ぶ交通の要所でした。

戦国時代、美濃(岐阜県)の守護・土岐氏を下剋上により倒した斎藤道三4月20日付ブログ参照)は、金華山にそびえ立つ山城・稲葉山城を居城とし美濃一国を支配しました。

道三の死後、永禄十年(1567年)に尾張(愛知県)の織田信長が斎藤氏を倒し、美濃を領有します。

斎藤氏に替わり稲葉山城に入った信長は、この地から天下を目指すことを決意したので、古い地名を捨て新しい地名に変えることにしました。

そこで信長は禅僧・沢彦宗恩(たくげんそうおん)に相談し、沢彦が提案した「岐山」「岐陽」「岐阜」という三つの候補の中から信長が選んだのが岐阜でした。

この岐阜という地名は、山に都を置き天下を平定した」という中国の文王の故事と、学問の祖・孔子の生誕地である「曲」(きょくふ)を合わせた言葉といわれています。

つまり、この地名には自らの天下統一と、民が学問に励んで豊かな暮らしができるようにという信長の願いが込められているのです。

信長は井ノ口を岐阜と改め、居城の稲葉山城も岐阜城と改名しました。

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まとめ

  • 盛岡 → 南部利直が不来方から改名(森岡)

  • 仙台 → 伊達政宗が千体・川内から改名

  • 岐阜 → 織田信長が井ノ口から改名


「宮城県」よりも「仙台」の方が全国的な認知度が高いのは、「神奈川県」より「横浜」の方が知名度が高いのと同じ理由と思われますが、横浜市以外の神奈川県民は大いに不満です。(笑)
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元高校教師。 以前に「日本史講座」のタイトルでツイッターをやってました。 ここでは(現代にも繫がる日本史)をテーマにエピソードを多数紹介し、肩肘張らず(ほー、なるほど)と思える話を語っていきたいと思います。
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