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2014年04月15日

オホーツクに独自の文化圏

縄文時代の土器や土偶を見る機会が多く、年に1度は東京国立博物館の古代日本資料を展示する本館に行く。2月24日のブログ「上野公園での心霊体験」に載せた話は、博物館で亀ヶ岡遮光土偶を見に行くついでに体験したもの。北海道でもアイヌ以前に先住の原日本人がいて、縄文時代の土器や土偶が各所で見つかっている。特筆すべきは、オホーツク文化といわれる、カムチャッカ半島やシベリヤから、枝幸や網走、紋別などに定住した異民族がかつて存在していたこと。その名残が土器や原日本人との混血で生まれた、青みがかった瞳の子孫に残されている。
   
北海道にも縄文時代は狩猟を生活の糧とした原日本人が住んでいた。アイヌの直接的な祖先と見られるが、原日本人とアイヌを結ぶ歴史は曖昧だ。本州の縄文人との交易を通して、北海道も文化の発展が見られたようだ。道南で見つかった縄文土偶は東北で見つかった文様とよく似ており、さらに本州の遺跡跡で目にするストーンサークル(環状列石)は道南ばかりではなく小樽や余市、ニセコでも存在が知られている。

ただ、北海道には近畿や九州でごく普通に見られる前方後円墳が無い。縄文時代から稲作が伝来した弥生時代を経て、仏教の渡来以降中国の王族の墓を模倣した日本の古墳は形を変えてきた。そして遂には、中国にもない独特の前方後円墳を築き上げた。近年、朝鮮半島で見つかった前方後円墳は、時代的に日本の前方後円墳の後に作られたことが立証されていているが、仁徳天皇陵などの圧倒的なスケールを誇る日本の古墳と比べて規模は小さい。
この古墳にも見られるように、渡来文化のオリジナリティを生かしながら、弥生時代以降も独自の文化を築いてきたわけだが、その背景には縄文時代から連綿と受け継がれてきた、日本人の物づくりに対する姿勢がある。世界の古代史の中でも、土器や土偶ひとつを取ってみても、縄文人は豊かな文化を有する民族として評価されている。

前方後円墳は東北北部まで伝播したが、海を隔てた北海道には到達しなかった。東京で驚いたことがある。世田谷区の一角にある何の特徴も無い公園の砂場の横に、3メートルほどの小高い丘があった。その横には「0000氏の古墳跡」の案内看板。ありふれた生活の場にも遺跡が存在している。さらに大阪や京都では、生活を共にするエリアとして当たり前に存在している。実質150年ほどの歴史しかない北海道の人間から見れば羨ましいかぎりだ。
写真は東京国立博物館に展示してある亀ヶ岡遮光土偶
オホーツクに独自の文化圏

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