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2014年04月14日
「サンカ」と神代文字
4月2日のブログhttps://fanblogs.jp/bukki/daily/201404/02/
で古史古伝の話を書いた。その中で、漢字が到来する以前にあったとされる神代文字について触れた。今回テーマとした「サンカ」もその神代文字が深く関わってくる。サンカを取り上げた理由は、定住地を持たない職能民として、全国を渡り歩いたことの歴史的な背景と、現在の生活状況に興味があったから。西欧ではジプシーの存在がそれにあたり、独自の生活規範や部外者との排他的な交流などが余りにも似ている。
サンカの存在を初めて世の中に知らしめた民俗学者・柳田國男は、サンカを「原日本人(あるいは縄文人)でヤマト王権により山間部に追いやられた異民族」とする説を打ち出した。また、「動乱の続いた室町時代(南北朝、戦国時代)の遊芸民、職能集団を源」とする説、「江戸時代末期の飢饉から明治維新の混乱までの間に山間部に避難した人びと」という説もあり、これまではっきりと説明できたものは見当たらない。いずれにしても、時代の国家権力に馴染まなかった、山の生活を基盤とした「まつろわぬ」人々で、原始的共同体を維持しているという特徴を持つ。生活規範は異なるが、体制から自ら離れた落ち武者部落民や被差別部落民との関わりも当然あるだろう。
このサンカが漢字やカタカナ、ひらがなではなく独自の文字を持っていたといわれている。サンカの使っていたとされる文字は、神代文字の「豊国文字」とそっくりで、同じ時代に形作られたもとだとすれば、豊国文字で記された「上記(ウエツフミ)」との関わりも否定できない。『上記(ウエツフミ)』は1837年(天保8年)に豊後国(現在の大分県)で発見された豊国文字で記されている古史古伝のひとつ。古事記、日本書紀以前の伝書(ツタヘフミ)で、 神話や伝承の他に民俗、習俗、地理、言語、暦制、天文、教育、医薬、医学など多岐にわたり記されている。
序文には、1223年(貞応2年)に源頼朝の落胤とも伝えられている豊後国守護の大友能直が『新はりの記』や『高千穂宮司家文』等の古文書をもとに編纂したとある。記載されている主な内容としては「神武天皇はウガヤフキアエズ王朝の第73代」「中国に農業や文字を伝えたのは日本」「日本では精密な独自の太陽暦があった」などがある。また、サンカに伝わる伝承として、「仲間を1600人も殺され、神代からの書物一切を奪われた」、その後「自分達の文字は一切秘密となり、仲間以外には見せなくなった」とある。
山の民といわれるサンカも、昭和40年代後半には地域社会に溶け込んだことから姿を見ることがなくなったという。先祖がサンカだったという事実を知らない、あるいは親から教えられない世代がほとんどを占めているようだ。
独自の文字を持つからには、文化や世界観も一般の日本国民とは異なっていたと考えられる。特に歴史については、古事記や日本書紀の正史と相容れない内容を子々孫々に伝えてきたのだろう。サンカの研究者は多いと聞く。その研究者たちが、サンカの視点で日本の歴史を解き明かしていくことを期待している。
サンカが用いた文字と似かよっているといわれる豊国文字。大分県国東郡国東町=インディ電子書籍J-パピルスから引用
で古史古伝の話を書いた。その中で、漢字が到来する以前にあったとされる神代文字について触れた。今回テーマとした「サンカ」もその神代文字が深く関わってくる。サンカを取り上げた理由は、定住地を持たない職能民として、全国を渡り歩いたことの歴史的な背景と、現在の生活状況に興味があったから。西欧ではジプシーの存在がそれにあたり、独自の生活規範や部外者との排他的な交流などが余りにも似ている。
サンカの存在を初めて世の中に知らしめた民俗学者・柳田國男は、サンカを「原日本人(あるいは縄文人)でヤマト王権により山間部に追いやられた異民族」とする説を打ち出した。また、「動乱の続いた室町時代(南北朝、戦国時代)の遊芸民、職能集団を源」とする説、「江戸時代末期の飢饉から明治維新の混乱までの間に山間部に避難した人びと」という説もあり、これまではっきりと説明できたものは見当たらない。いずれにしても、時代の国家権力に馴染まなかった、山の生活を基盤とした「まつろわぬ」人々で、原始的共同体を維持しているという特徴を持つ。生活規範は異なるが、体制から自ら離れた落ち武者部落民や被差別部落民との関わりも当然あるだろう。
このサンカが漢字やカタカナ、ひらがなではなく独自の文字を持っていたといわれている。サンカの使っていたとされる文字は、神代文字の「豊国文字」とそっくりで、同じ時代に形作られたもとだとすれば、豊国文字で記された「上記(ウエツフミ)」との関わりも否定できない。『上記(ウエツフミ)』は1837年(天保8年)に豊後国(現在の大分県)で発見された豊国文字で記されている古史古伝のひとつ。古事記、日本書紀以前の伝書(ツタヘフミ)で、 神話や伝承の他に民俗、習俗、地理、言語、暦制、天文、教育、医薬、医学など多岐にわたり記されている。
序文には、1223年(貞応2年)に源頼朝の落胤とも伝えられている豊後国守護の大友能直が『新はりの記』や『高千穂宮司家文』等の古文書をもとに編纂したとある。記載されている主な内容としては「神武天皇はウガヤフキアエズ王朝の第73代」「中国に農業や文字を伝えたのは日本」「日本では精密な独自の太陽暦があった」などがある。また、サンカに伝わる伝承として、「仲間を1600人も殺され、神代からの書物一切を奪われた」、その後「自分達の文字は一切秘密となり、仲間以外には見せなくなった」とある。
山の民といわれるサンカも、昭和40年代後半には地域社会に溶け込んだことから姿を見ることがなくなったという。先祖がサンカだったという事実を知らない、あるいは親から教えられない世代がほとんどを占めているようだ。
独自の文字を持つからには、文化や世界観も一般の日本国民とは異なっていたと考えられる。特に歴史については、古事記や日本書紀の正史と相容れない内容を子々孫々に伝えてきたのだろう。サンカの研究者は多いと聞く。その研究者たちが、サンカの視点で日本の歴史を解き明かしていくことを期待している。
サンカが用いた文字と似かよっているといわれる豊国文字。大分県国東郡国東町=インディ電子書籍J-パピルスから引用