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2018年01月09日

永観三年三月の実資〈中〉(正月六日)



承前

 十一日は、まず読経をさせている。これは円融上皇のところの穢れが実資のところにも及んだからであろうか。それを理由に四日間の休暇を申請している。
 穢れのせいか陣内(内裏)には入らずに式部丞の藤原為時を介して奏上しているのは、石清水の臨時祭に花山天皇が勅使を遣わすのは今年が初めてのことだから、廿六日に延期することになった事情を石清水の神宮寺の別当に知らせたらどうかということだった。天皇も賛成している。
 天皇の近臣の藤原惟成に会って十五日の童舞をどうするか相談している。天皇の意向次第だけど、石清水の臨時祭の前にこんなことをするのはあまりいいことではないというのが実資の意見である。実資が退出した後、惟成から十五日の童舞は中止になったという連絡が来る。

 十二日は、まず藤原頼忠に呼び出され、夕方からは上皇の物忌に籠っている。そこにいた人々と話して、明日、山の桜を見に行くことになっている。この前出掛けたばかりなのだけどね。

 十三日は、早朝から前日上皇の物忌に籠っていた人たちと一緒に東山に花見に出かけている。小野山荘にも足を向けているが午後から雨に降られている。
 今日から七日間、僧の勝祚に不動の調伏法を行なわせているが、これは出産を控えた妻のためのものである。この妻は、源惟正の娘だという。

 十四日は左大臣の召集で円融上皇のところに出向く。院の侍所で季御読経について決めている。内裏の場合には四日間行われるものだが、今回は廿七と廿九の二日だという。連続していないのが不思議である。
 上皇は左大臣を御前に召して、蔵人所の下級官人の中からしかるべき人を選んで、上皇の許にも出仕させるように命じている。また、上皇は院の庁に仕えている官人の中から、勤務日数をもとに、院の御給として京官の除目に申請するものを選ぶようとも言っている。
 伝聞で、内裏で天皇の禊が行なわれたことが記される。これは石清水の臨時祭の延期にかかわるものである。

 十五日は、頼忠に呼び出されて、密かに円融寺を見学に行くのに同行している。夜更けになって上皇から、明日は西山の桜を身に行くので早朝から参入してその手配をするようにという連絡が来ている。今日は毛踏みを出していない日なので参内するつもりだったのに、頼忠のお供で参内できなかった。明日も上皇のお供で参内できそうもない。ということで深夜になって、子の二剋に参内している。こんな時間に参内して出勤したことになったのかね。

 十六日は早朝内裏を出て、円融上皇の許に向かう。車に乗って西山の桜を見に行くのである。左近衛大将藤原朝光以下の官人が同行している。円融上皇は大堰川の川辺で馬に乗り換えて、辺りの寺を見物している。上皇とは縁の深い寛朝の広沢の池の山荘で朝食というから、本当に朝早くから出かけてものと見える。
 仁和寺を経て、勅願寺の円融寺に向かい、酒と和歌の宴が催されている。夕方帰る途中で雨に降られている。太政大臣の藤原頼忠のコメントとして、上皇の乳母を務めた典侍頼子が亡くなったというのにこんなことをするのは不快であると記される。典侍頼子は小野宮の関係者だったのだろうか。また「御乳母加賀」と記される女性と同一人物であろうか。
 夜になって内裏から、庚申の日の夜を、徹夜で遊ぶ御庚申に参入するようにという連絡が来るが、実資は障りがあると言って断っている。

 十七日は雨の中参内しただけで特別なことはない。

 十八日も雨。今回は病気のために三日間の休暇願いを提出している。午後から晴れたので毎月恒例の清水寺参拝に騎馬で出かける。病気はどうしたのだろう。
 その帰りに祖父にして養父の実頼から伝領した小野宮第に立ち寄っている。引越しの準備を進めているものと思われる。

 十九日は記事がなく、廿日は早朝から上皇の許に向かっている。物忌で読経が行われているが、院の殿上を許された者たちが、肴を一品ずつ持ち寄って酒宴を開いている。いいのか? また実資は院の御前に召されて蹴鞠を披露している。
2018年1月6日22時30分。





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