2020年12月10日
ドグラマグラA
「私」がどうして精神病棟に入れられたのかだが、それは過去に母親を絞め殺して、その疑いが晴れたかと思ったら、またしても同じようにモヨ子を絞め殺し、納戸で巻物を広げて、さながら事の発端といっても差し支えない、呉青禿のような先祖の行動を繰り返していたからである。
二つの殺人事件を種明かしすると、最初の母親の殺人は正木博士が行ったものであり、次いでのモヨ子の殺人未遂は正木博士が呉一郎に「母親から預かったもの」と言い、巻物の内容を見せたのが真相である。
正木博士から渡された九相図を見て、たった数時間のうちに心理遺伝(先祖の善悪や性格が遺伝する)に取り憑かれた呉一郎は、戸倉仙五郎に岩場で発見されたとき、白紙のページを凝視していたとの発言があるが、恐らくこれは物語終盤で、呉一郎の父親が誰なのか把握していたためだと思われる(「お父さんモデルを貸して下さい」から考察される個人的な見解)。
また、巻物は大昔に焼かれ呪いの連鎖が無くなったものだと思われていたが、実は呉家御用達の仏像の中に隠されている。
しかし「私」が幾度に渡って幻覚を見ていることと、その母親が裁縫(最早存在しない過去の技術)に関しては一種の執着性を持っていることから、九相図の描かれた巻物ではない偽物だと考察することが可能である。
絞め殺され仮死状態になったモヨ子でさえ、寝顔が成熟した婦人のものから、中華時代の髪の毛に結い直すことから、呉家全体は発狂しなくとも甚だ正気とは言い難い。
ドグラマグラの最大の謎は、若林博士は存命なのか、「語り部」である「私」は誰なのかといった謎である。他人か、正木博士か、呉一郎か、その子供の胎児の夢なのか……。
ぶっちゃけたところドグラマグラはどのように受け取るかは読者の自由で、全ての要素において断言することは敵わない。要は信用できない語り部。
またループものとして
・火炙りの絵画、アトリエを焼かれた呉青禿と、モヨ子の母の焼死
・作中でメタ的に登場するドグラマグラと、胎児の夢の論文
・牛乳やパンの描写と、正木博士にすすめられたカステラと飲まされたアルコール(もしくは薬物)
・解剖室での監視と、「私」の観察
・六美女の歌と、巻物における実母の短歌
・正木博士の水死体と、呉青禿の溺死
・呉青禿が鍬で撃ち殺した男女の生まれ変わりや、坪太郎に退治された暴漢
・楊貴妃だと認識された女性
・「犯人は俺だよ」のコツコツ音のノックと、冒頭での隣室からポテポテと弱弱しく壁を殴打する音
・「私」が早朝に聞いた下駄の音と、巻物の短歌を読み逃げ出して聴く往来の音
など、類似点を彷彿とする内容が若干入り混じっている。
ストーリー終盤で、
「電燈の並んだ防波堤の三方海原の行き止まりまで来てビックリして引き返した」
は、もしかすると正木博士の溺死体を見たのかもしれない。時系列が狂うが……しかし、誰が「私」である語り部なのかハッキリと明言されてはいない。正木博士が恩師である斎藤寿八を殺した事実を鑑みれば、父親の思い出が遺伝したものだと考察可能。
なお、「私」が物語序盤で若林博士(と思わしき人物)から、思わずカッと目を見開き睨まれるほどの描写がなされているが、解放治療場での事件勃発後の若林博士は甘粕藤太氏である可能性が高い。
若林博士は家系的に肺炎を患い、甘粕藤太は正木博士に肺炎を治してもらった恩義など、荒唐無稽な考察ではないだろう。
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