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2016年06月25日

「大忠臣蔵6 三船敏郎、司葉子、神山繁」

見事本懐を果たした赤穂義士たちは、吉田忠左衛門らが大目付の千石伯耆守に討ち入りのことを報告へ上がる。

内蔵助が細川越中守にお預けになったのをはじめ義士たちは松平、毛利、水野の各大名にお預けとなる。

処分が決まるまで義士たちは丁重に扱われたのである。内匠頭が弁明も許されず即日切腹になったのと大違いであ

る。

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この扱いに将軍綱吉の意向があったと言われている。綱吉は武士道を体現した義士たちの行動を評価していたと

言う。しかしもともとの原因は自分が作りながら勝手なものだ。ドラマでは政務を取り仕切る柳沢出羽守(神山繁)

が吉良の実子が養子に入った米沢上杉15万石と赤穂義士を争わせてとりつぶすためにあえて討ち入りを許した

設定となっている。

しかし幕府は江戸庶民の英雄となった義士たちの取り扱いに困っていたのである。下手な処置をすれば批判は幕府

に向くことになる。

中には義士全員ご赦免のうえ各藩で召し抱えのうわさまであった。実際幕府内で相当の論争があったようである。

しかし処分が下ったが打ち首ではなかったが切腹の処分となる。徒党を組んで押し入ったことは重大な罪だが


武士の対面を重んじて切腹となったのだ。

しかし大石以下義士たちが目的を果たして晴れ晴れとしていた。一方吉良家を継いだ吉良吉周は諏訪安芸守に

お預けとなり20歳で死に吉良家はお家断絶となった。喧嘩両成敗である。


ドラマでは但馬豊岡に帰った大石りく司葉子)が遺児たちと川原で遊ぶシーンで終わっている。

忠臣蔵のドラマとしては重厚で見ごたえのあるドラマだった。余談だがこのドラマで少年義士矢頭右衛門七


を演じた田村正和は他の忠臣蔵で大石内蔵助を演じ、萱野三平を演じた石坂浩二は「元禄繚乱」で吉良上野介

を演じている。

大石たち赤穂義士の長い闘いはこれで終わったが、赤穂藩は最後の仇討ちと言われた事件を明治になって

起こすのである。

このことはいずれ改めて触れることにする。
posted by ハヤテ at 16:11| テレビ太河ドラマ
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