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2016年06月23日

「大忠臣蔵5 三船敏郎渡哲也」

大石たちに先立ち江戸に潜伏していた同志たちの一人で槍の達人前原伊助(若林豪)は、米屋五兵衛と名前を変え

吉良屋敷付近に店を構え吉良の動向を探っていた。

また同志の一人がなんとか吉良屋敷の絵図面を手に入れた。最後の重要なことは吉良が確実に屋敷にいる

日を確かめることである。大高源吾は恋人を通じて12月14日に吉良が屋敷で茶会を開くことを突き止め

討ち入りの日が決まった。

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大石は瑤泉院と名を変えた浅野未亡人に最後のわかれを告げ、赤埴源蔵もほのかな恋心をもっていた義姉(小山

明子)に最後の別れをしそれぞれ義士たちも心残りのないように討ち入りの日を迎えたのである。


討ち入りは表門の大将は内蔵助が務め裏門は内蔵助の長男主税が務めた。掛屋で門を粉砕し屋敷に躍り込んだ


義士たちは槍を短く切って室内での戦闘に備えていた。しかも鎖帷子で身体を防護して腕と足も手甲脚絆で固めて

いたので吉良側の刀は通らなかったのである。

吉良を守る家臣の小林平八郎(芦田伸介)の奮闘もむなしく切り倒された。

だが肝心の吉良が見つからなかった。焦る義士たちだったが吉良(市川小太夫)はどうやら炭焼き小屋に隠れている

らしいことがわかった。

義士たちに吉良は見つかるとさすがに観念し、大石は吉良の首をとったのである。

宿願を果たし号泣する義士たち、そのあと内匠頭の墓前に報告するため義士は泉岳寺へ向かって凱旋した。


だが不思議なのはこれだけの騒擾事件で幕府が知らないはずがないのに討ち入りを止めた気配がないことである。

あまつさえ吉良の首を堂々と掲げて江戸を行進しているのに咎めを受けた記録がないのはなぜか?

幕府は義士たちの行動を黙認していたのでないか?





posted by ハヤテ at 16:25| テレビ太河ドラマ
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