幕府の政務を行う管領の一人であり従五位下右京太夫である。山名宗全とは親戚であり最初は
仲は悪くなかった。しかし畠山家の家督争いとそれに続く斯波家の家督争いを巡って宗全と対立し
抜き差しならぬ敵対関係になってゆくのだ。勝元は禅をよくし短歌や絵にも明るく教養人
であった。
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一方西軍の総大将である山名宗全は毘沙門天の生まれ変わりと呼ばれるぐらい戦いが得意であり、
激情的な性格であった。但馬、播磨、美作、備前とその領地は広く室町幕府きっての猛将である。
元の名は持豊であったが出家して宗全と改めたのだ。
そして失脚したはずの畠山義就が上洛し、宗全が義就についたころから再び都は騒然として
くるのである。
また富子を将軍家に嫁いでくるときにも室町御所に内部では、どろどろとして権力闘争があった。
義政の乳母であった今参局が義政の威光を利用して権勢を振るうのを嫌った義政の母日野重子
(京マチコ)が勝光と組んで、義政の子が死ぬように呪いをかけたと言いがかりを
つけて殺害してしまったのだ。
李朝の宮廷謀略を思わせる血の粛清が室町御所でもあったのだ。なお題名の「花の乱」は
室町御所が花の御所と呼ばれたことからつけられた。
西軍の総大将におさまった宗全たちは、しかし朝廷の賊軍となることを恐れた。
そのためには大儀が必要だった。そして誰もが考え付かないような奇策を使ったのだ。
義政は将軍職を弟の義視に譲ると約束しておきながら、いつまでたっても譲ろうとしない。
そのことで義視は疑心暗鬼になっていた。子供がなかなか生まれなかった富子の嫡男が誕生し
義政が心変わりをして嫡子に将軍職を譲るのではないかと疑ったのだ。
このことが宗全につけいる隙があった。だが宗全は御所で富子と再会して以来肝胆相照らし
息子の春王を将来将軍につけると約束していたのだ。
そこで山名宗全の秘策がとんでもない策だったのだ・・・
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